第2章 青涙の都へ
 
 
 長い年月は形なきものだが、見ることも感じることもできる。
 目の前にある世界がそうであるから。長い時を生きたと思われる風化した石柱。漂う静かで厳かな空気は遙か昔を肌に感じることができる。
「……一体誰が建てたんだろう」
 上古の探索者ローズは遙か高い天井を見上げながら声を上げた。
 彼女はいつもの旅をしていてどこにでもある遺跡の中に立っていた。
「……へぇ、静かな所だねぇ」
 突然、少年の声がしてローズは振り向いた。
「……あなたは」
 この遺跡には自分一人しかいないと思っていたので驚きを隠せない。
「何にもないなぁ」
 ローズの言葉にもどこ吹く風で辺りをつまらなさそうに見回している。
「……」
 じっと眉を寄せて15歳ぐらいの少年を見つつも胸の奥で警鐘が鳴り響いている。
 なぜだか嫌な予感で胸が気持ち悪くなる。それは少年の外見のせいだけではない。
 彼の風貌はボサボサの頭に前髪から覗く額には生々しい傷が縦に走っている。いくつもの糸が走り傷を塞いでいる。きちんとした服装が逆に浮いている。
「歪み(ひずみ)の者さ」
 ぐるりとローズの方に振り返り、無視していた彼女の質問に答えた。
「……歪みの者?」
 じっと自分を見る濁りきった目にますますの警戒を強める。これでも多少の呪術は使える。
「こんなに静かなのはつまらないなぁ。何かあればもう少し面白くなるかなぁ」
 とこれでもかというほど口を歪め、悪意を吐く。
「……!!」
 ローズは身構えて身を守ろうとするが、気持ちとは反対に膝が折れて地面に座り込んだ。
「なっ、どうして」
 急に力が抜け、腕を上げることさえできない。当然、立ち上がることもできない。力が抜けると共に指先から恐怖が入り込んでくる。
「……もう少し歪んだ顔が見たいなぁ。ねぇ、見せてよぉ」
 ローズの前に屈み、狂った笑みを向ける。
「……!!」
 彼の言葉が耳に入ると同時に恐怖は強くなり、呼吸さえ苦しくなる。何がどうなっているのか分からない。呪いなのかそれとも違う何かなのか。この世界では何があっても不思議ではない分恐怖も大きい。
「あは、面白いなぁ」
 ますます楽しそうにローズを見ている。その目を見ると心が掻き乱される。離れたいのに離れることができない。どうすればいいのか、大賢者の頭で必死に考えるも何も浮かばない。誰か助けが来てくれないだろうか。このままだと自分はどうなるのか。
「……ばら姫、大丈夫ですか」
 背後から知った声がする。よく知る人物の声。振り向く力さえ残ってはいないが分かる。あの人だ。一番の話し相手で頼りにしている人物。最近も会いに行こうとして留守だった。
「……ハカセ」
 苦しい中、現れた人物の名前を絞り出す。
 6歳ぐらいに性別不明の外見とマゼンタのおだんごに右目に掛けているブリッジ式のモノクル(片眼鏡)にゆったりとした服装。この人がいれば大丈夫だ。
「……ありがとう」
 大丈夫。何とかなる。ゆっくりと振り向く。予想通りの人がいるだろうと思いながら。
 そして、いた。いつの間にか苦しさが消えていることに気付き、視線をハカセから歪みの者に戻して驚いた。
「……あれ」
 先ほどまでいたあの狂った少年が消えている。ハカセが現れたおかげだろうか。それとも飽きてしまったのだろうか。
「……一体」
 何がどうなったのかは分からないが、心底安心した。目を閉じ、大きく息を吐いた。
 そして、彼女はゆっくりと目を開けた。
 
「……」
 ゆっくりと開けたローズの目に映るのは遺跡ではなくどこかの部屋である。
「……あれは夢」
 ゆっくりと体を起こして改めて周りを見渡す。
 ベッドに窓、自分が座っている椅子にテーブル。小さな部屋だが恐怖はない。
「……いつの間に」
 ローズは先ほどまで読んでいた小瓶の情報に目を向けた。情報を確認して小瓶を眺め回していたはずなのにいつの間に眠ってしまったのだろうか。それほど疲れていたのだろうか。旅暮らしの彼女には仕方がないのだが。
「……あれはただの夢? それにしては」
 胸に手を当て、落ち着かない心臓を感じる。眠ることは数え切れないほどしてきて悪夢も数多見たが、あれほどまで心を蝕む夢を見ることはなかった。起きてこれほどまで引きずることはなかった。
「……まさか見るなんて」
 旅の間中、話では聞いていたがまさか自分が人々を不安がらせる夢を見るとは思いもしなかった。
「……ハカセのおかげね」
 現実の世界であることに感謝し、あの歴史の大家に心からのお礼を言った。
「……もしかしたらハカセも会ってるのかも」
 なぜかそんな気がした。珍しく留守だったことと夢に出てきたせいなのかそう思えた。もしそうだとしてもあの人なら何とかしているだろう。
「……私は」
 ローズは紙切れを手に取り、これからのことに心を向けた。悪夢を忘れようと。
 彼女が今日購入した小瓶はただの小瓶ではなかった。透明で何も入っていないように見えるが、実はとんでもない物が入っている。
 この世界、目に見えているものが全てではない。
 小瓶の中に入っているのは、なかなかの不思議さを持つものである。
 その中身のためにローズは海人の国の下に存在する四つの島の中で一番上にある島、地図ではスーシアと記され、多くの人には水涙(すいるい)の島などと様々に呼ばれている場所に存在する都を目指している。都は公的名をシスティアで青涙(せいるい)の都、涙の都などと様々に呼ばれている場所である。
「ふぅ」
 紙切れから顔を上げて窓を見ると午後の青ばかりが目に入ってくる。
 あんなにも心が冷たくなる夢を見たというのに世界はいつもと同じ顔を見せてくれる。そのことがどれほど安心したのか計り知れない。非現実もまた現実になる世界だったとしても。
「さてと」
 ローズは立ち上がり、青歴で買い物した物をスーツケースに片付けてから部屋を出た。
 そして、船内を歩き回る内に自分以外に悪夢を見た者達がいることを知る。強運なことに彼女が乗船している間、死者は出なかった。
 
 一週間後、無事目的地に辿り着いた。