第4章 悲しみの秘石使い
果てしなく続く青い空。空を流れる白い雲。風が吹き、草原を揺らしていく。風が通る度に湖が微かに震え、静かな風景の中に音を表現している。
そんな風景を草原に座って楽しんでいる人物がいた。
その人物の外見は6歳ぐらいの性別が分からない子供で紫紅のだんご頭に右目にブリッジ式のモノクル(片眼鏡)をしていた。ゆったりとした服装に知的な印象を纏わせている。
ただ静かに風景を楽しんでいる子供の背後から知った声が耳に入り振り返った。
「ハカセ、力を貸して」
現れたのはケイだった。夢の人が現れる場所は一つしかない。ここは夢である。
「どうしたんですか?」
穏やかに焦った顔をしたケイに訊ねた。
「実は……」
ハカセの横に座りながら青色の街について話し始めた。
「……水の民ですか」
全ての話を聞き終えたハカセは何か思うことがあるのか少し物思いに耽った。
「ボクが誰かの夢に行くことはあっても誰かの夢がボクの夢に入り込むことってほとんどないから気になって」
物思いの横顔を眺めながら話を続けた。
「何かあるかもしれませんね」
いつもの知的な表情に戻り、ケイにうなずいた。
「うん。夢を見ている人に何か大変なことが起きていて助けて欲しいという思いが重なってあんなことが起きたんじゃないかと思うんだけど」
夢の人としての考えをハカセに話す。
「そうかもしれませんね。どこまで力になれるかは分かりませんが、協力しますよ」
柔和な笑みを浮かべ、引き受けた。ハカセが断ることは滅多にない。だからこそ誰もが頼るのだ。
「ありがとう」
礼を言い、何とかなると安心したが、その表情はすぐに真剣なものに変わった。
「ハカセ!」
「あれですね」
二人の視線の先に青い光が現れ、光は激しく発光し、あまりの眩しさに二人は目を閉じた。
二人が目を開けるとそこに広がるのは青い世界だった。
「ここだよ、ハカセ」
「あなたの話の通り歌が聞こえますね。この歌……」
二人が座っているのは草原ではなく、街中のベンチだった。辺りは青一色に上を見上げれば優雅に泳ぐ水の民。
そして、耳を澄ませば聞こえる微かな音色。
「もしかして、知ってる歌」
ケイは音色に知った顔をしているハカセに訊ねた。
「えぇ。丘に行きましょう」
うなずき、ケイを促した。
「うん、案内するよ」
ケイが先頭に立ち、ハカセを丘へと案内した。
「ここだよ。ほら」
辿り着いた丘には以前と同じように少女が座って歌っていた。
「……やはり、この歌は」
よく耳を澄ませ、自分が思っている通りだと確認するとゆっくりと歌い始めた。それが彼女と通じる唯一の方法であるかのように。
「ハカセ?」
予想外の展開にケイは歌うハカセを見たが、笑みを向けてくるだけで何も分からない。ただ分かるのは何とかなろうとしているだけ。
二人の歌声が重なり、物語となる。
歌の内容は、街に来た水の民が迷子になり、そこを助けて貰った人と友人になって楽しく過ごすが、人は不治の病に冒されてしまう。それを治そうと水の民は最高の技術で水の民の至宝を薬として加工して飲ませ、一時は治ったと思ったら治らず、死んでしまう。水の民は友人を失って悲しんで心さえも無くしてしまう。あまりの悲しみに最後は楽しかった頃の幻を見始めるようになる。そして、その楽しい幻に満たされて眠りについてしまうというもの。
「あなたは誰? どうしてこの歌を知ってるの?」
歌が最後の音を紡ぎ終わると少女はもう一人の歌い手に声をかけた。
ケイの時とは違う反応を見せた。やはり、ハカセを連れて来て正解だったようだ。
「私はハカセと呼ばれている者です。歌は知り合いに教えて貰いました。人と水の民が友となり別れる歌」
ハカセはいつものように名乗ってから少女の隣に腰を下ろした。思い浮かぶのは寂しそうな横顔の少年。
「その通り」
少女はうなずいた。
「ボクはケイ。何かあったの?」
話が始まったところでケイも名乗り、ハカセと反対側に座った。
「……何か」
眉を寄せて何かを思い出そうとするが何も思い出せない。
「目の前のあなたが現実と同じならあなたは水の民ですね」
思い出すきっかけになればとハカセは言葉をかけた。視線は彼女の胸に輝く秘石のペンダントに向けられている。
「えぇ、そう私は水の民。秘石使いのミュア」
うなずいた。秘石使いとは主に秘石を調合して薬などを作る者のことを言う。
「水の民かぁ」
ハカセと違ってケイは驚きの目で少女を見た。
「……そうだ。鏡を見に行ったんだ。レリック家の」
はっとして少し鮮明になってきた記憶を言葉にした。ハカセと話したことがきっかけとなったようだ。
「呪いにかかっているという」
歴史家であるハカセはレリック家に存在する鏡と住人達の行く末について知っているので話はすぐに進んだ。ただ、ケイだけは微妙な顔をしている。
「そう、それで不思議な音が聞こえて」
思い出すのは手にした鏡から不思議な音が聞こえ、心が惹きつけられたこと。その時の不思議な感覚は今でも残っている。
「それで意識を失ってしまったんだね」
黙っていたケイが話に加わった。
「うん。でも、この水の民の至宝が護ってくれた。意識を失う瞬間分かった。多分、今は仲間に助けられてどこかで休んでる」
うなずきながら胸のペンダントを握り締めた。輝いていたのはただの秘石ではなく水の民の至宝というとても力を持った秘石だった。
「そっかぁ、起きるだけだね」
ケイは安心したように言った。
「でも、起きたくないかも」
秘石使いは呟き、街を見下ろした。
「どうして?」
理由が見当つかないケイが不思議そうに訊ねた。
「…………」
黙って街を見つめるばかり。そんな彼女に言葉をかけたのはハカセだった。
「先の海、ですか」
先の海とは水の民に伝わる永遠の楽園のことである。悲しみもなくただ悦びだけが存在している。海の先に存在していると言われているが詳細は不明である。
「私の一番の友達も先の海に行ってしまった。永遠の楽園だと言われてる場所を目指して。とても寂しい」
ハカセの言葉がきっかけとなり彼女は自分の思いをとつとつと言葉にしていく。
「ここならみんながいると。でも、君は秘石使いでしょ。必要としてる人がいるんじゃない?」
ケイは何とか彼女を説得して目覚めさせようとする。
「水の民の至宝の加工は秘密になってるから。あまり堂々と加工できない」
彼女達水の民しか知らない事情を寂しそうに語る。
「そうですか」
それ以上、言葉をかけることができない。
「みんなこっそり加工して裏で売ったりしてるし、私もそうしてる。もっとみんなに広げられたらいいと思うのにできない」
水の民としての悩みが口から出た。もっと広げることができれば今よりもずっと多くの人を救えると思えてならない。
「加工の技術をとても大切にしているんですね」
深入りしたことは言えず、一般的なことを口にした。
「そうかもしれない。みんなは恐れてるから自分達の持つもの全てが奪われるのではないかと」
ため息と共に出る言葉。思い出すのは初めて自分の気持ちを仲間に話した時のこと。聞いた仲間が必死になって自分を止めた。
「それであなたは」
静かに秘石使いの気持ちを訊ねる。
「私はいつかは技術を広めたいと思う。今は周りから止められてるし、みんなの了解が得られてないから」
空を見上げて自分の言葉にする。仲間ではないただの人に。
「得られるといいですね」
柔和な笑みで言葉をかけるハカセ。
「そのためには起きないと。ここにずっといてもだめだよ」
ケイは何とか起きることへと話を結びつける。
「起きたら何かできる?」
自分の話を聞いてくれた二人に問うた。起きても待っているのは難しい現実である。
「できますよ。やろうとする気持ちがあれば何だってできます。力が足りなければ助けを借りればいいんですよ。そう思っているのはきっとあなただけではないはずですから」
ハカセは諦めろとは言わず、希望を持たせるようなことを言った。
「ありがとう」
彼女はまっすぐハカセを見て礼を言って立ち上がった。
立ち上がった彼女の姿が少しずつ薄くなり、消えてしまった。
それと共に青色の街が消え去り、現れたのは果てしなく続く草原と青い空と白い雲。そして、いつまでも静かな湖だった。
「戻れたね」
「えぇ、きっと大丈夫です」
草原に座る二人は辺りを見回し、ほっとした。
そして、あの少女が無事に目覚めたことを願い、信じるのだ。
「うん。ボクもそう思うよ。でも本当にハカセは何でも知ってるね。あの水の民の歌とか」
ハカセの言葉にうなずいてから歌のことを思い出して興味で訊ねた。
「あれは知り合いが歌ってたんです。水の民をとても大切にする知り合いに」
いつもの柔和な笑みで答えた。
「へぇ」
感心し、ますます頼りになるという思いを強めた。
「それじゃ、またね」
「えぇ、また」
全ては解決し、世界は少しずつ薄れていく。ハカセの目覚めが近いため、二人は挨拶を交わして別れた。
ハカセは現実に戻り、ケイは夢を渡り歩く。それぞれの生活に戻って行った。
遠い場所で奇跡の目覚めが起きたことは言うまでもなく、今回の出来事が後にさらなる縁を結ぶとは誰も思いもしなかっただろう。
上古の探索者が賢人達と再会を楽しんだ翌日の出来事だった。
|