第8章 森の声
 
 
 四方が自然に囲まれ、田舎のような街があった。だからといって何も無いわけではなく石壁の塔や研究所らしい建物が点々と並び、自然と合っている。この街こそが深緑街と呼ばれる所で公的名はグレラスである。地図では右の大陸の上部に位置する静華の国、公的名アミアスに位置する。
 ここでは環境の影響か自然についての研究や学問が多くあるが、あまり目立たない所でもあった。
 
 ある大きな図書館。午後の光が窓から射し込む穏やかな時間。
「……無い。もうこれで二十冊目。太古の森は古い森。古い森は太古の森。同じ事ばっかり。別世界の入り口とか書いていない。やっぱり人に聞いた方がよさそうね」
 本を片付け、司書の女性の所へ行く。
 二人の大賢者に会った後、上古の探索者ローズは古き森についての情報が多くあると思われるここを目指した。途中、休みながらも二、三週間で辿り着いたが、思っていたより情報は少なく今まさに困っている。
「あのぉ、この辺りに太古の森に詳しい人が住んでいませんか? もし、住んでいるのならその人の場所を教えて下さいませんか?」
 声をかけると女性は少し困った顔になった。
「……太古の森ねぇ」
 司書が困ったように首を傾げた時、横から元気のいい青年の声がした。
「そんなことだったらオレの友人の方が一番詳しいよ」
 18歳ぐらいの誰かさんを思い出す調子のよさを持った青年がいた。黒髪に紫の目。おせっかいそうで、自分の言い分を押し通しそうな意志の強そうな雰囲気を持っていた。
「あ、ロベル君。本を返しに来たの?」
 司書は厳しい口調と顔でロベルという青年を見た。
「あー、そのつもりだったんだけど、本を忘れてさぁ」
 青年はいつものようにあっさりと言う。こういう小言には慣れているようだ。
「……もう一ヶ月と二週間よ。早く返却してちょうだい」
 司書は呆れ果てたように催促をするが、ほとんど諦めている。
「大丈夫! 次、持って来るからさ」
 カラカラと笑いながら答える。
 そしてローズの方を見て    
「んで、どーだい? オレの友人に会ってみないか? お嬢ちゃん」
 改めて訊ねる。
 ローズは少し考えた後、
「そうね。……案内して下さい」
 と答えた。
「よし、それじゃ行こう!」
 二人は、図書館を出た。
 そしていくつかある石橋の一つを歩き、森へ入って行った。
 しばらく行くと小さな家が目に入った。
「あれがオレの友人の家だ」
 と言い、玄関のチャイムを鳴らす。
「はい、はい。誰ですか?」
 扉を開けたのは青年と同い年ぐらいの女性だった。薄い金髪に薄青の目をした明るそうな感じの愛嬌のある人物だった。
「お、ローじゃん。どうしたよ?」
 青年の友人は意外そうに訊ねた。
「客だよ。太古の森を知りたがってたからお前の所に連れて来たんだ」
 隣のローズの方に顎をしゃくりながら言う。
「ふーん。まぁ、中に入りなよ」
 ロベルの友人はローズを見た後、二人を招き入れた。
 
 外見が小さいわりに中はなかなか広く、飾りっ気が無い。
 居間のような所に通され、もてなしを受ける。
「あ、そーいえば、まだ名前を聞いてなかったな。オレはロベル」
 隣りに座っているローズに自己紹介をする。
「私はローズ。……一応、大賢者で上古の探索者です」
 と答える。二人は少し驚いた顔をする。なぜならここに訪問者、それも賢人が来ることはめったにないからだ。
「へぇー、すごいね。私はニコル・モリアン。ニコルでいいよ。それでどんな用?」   
 喉を潤しながら訊ねる。
「……太古の森について詳しいことを知りたいのよ」
 熱の入った声をくつろいでいるニコルに向けた。
「……太古の森ねぇ。知ってはいるけど、何のために?」
 カップをソーサーに置き、真剣な目をローズに向けた。
「……世界の中心に行くためにどうしても必要なの」
 必死な眼差しでニコルの瞳を見つめる。
「分かった。力を貸すよ」
 ローズを気に入ったのかニコルはにっと少女に笑いかけた。
「ありがとう!!」
 感無量というように礼を言った。
「んじゃ、後は任せるぜ」
 用が済んだロベルは立ち上がった。
「ありがとう!!」
 ローズは笑みを浮かべてロベルに礼を言った。
「どーも」
 ロベルは照れながら答えた。
「行く前にロー、前に貸したノート返してよ。もう一ヶ月も経つんだからさぁ」
 催促するニコル。ロベルは返却しない王だ。
「あー、悪い。今度、持って来るからよぉ。勘弁な」
 そう言って、そそくさと出て行ってしまった。
 ようやく二人っきりになった。
「うーん、太古の森はとても古い森っていうことなんだけど……。とりあえず、知っている者に聞くのが一番ということで、外に行こっか」
 立ち上がり、ローズを促す。
「あ、はい」
 慌ててローズも立ち上がり、ニコルについて行く。
 
 森。森。森。葉擦れの音。風が通る音。
「みんな、ローズちゃんのことを不思議がってる」
 見上げながら、妙なことを言う。
「……?」
 何を言っているんだと不思議そうにニコルと周りの木々を眺める。
 沈黙しながら二人は森の奥へ進んで行く。
 
 着いた先にあるのは巨大な老木だった。何百年も生きていると分かる年輪の深さ。
 ニコルは老木の前に立ち、
「…………」
 急に黙り込んで老木を見つめだした。ローズは何をしようとしているのか理解できないが、邪魔をしてはいけない空気を感じ、ニコルを見ていた。老木の葉擦れの音だけが聞こえる。
「………………」
 ニコルの沈黙は続き、なかなかローズに説明がされることはなかった。ローズもひたすら黙るニコルと老木の葉擦れの音を聞いていた。急にニコルがローズの方に顔を向け、声を上げた。
「ローズちゃんのことを長老に紹介したよ。ローズちゃんが目指していることも」
 ニコルの言葉はローズに疑問を与えた。
「紹介ってどういうこと? 木と話していたの?」
 疑問にたまらず、答えを求めて質問を口にする。 
「そうだよ。木や花も私達のように話をするんだよ。ただこの世界では、その声が私達のように音として口から出るものじゃないけど。きっとローズちゃんも聞こえるよ。彼らの声は心に入ってくるものだから耳をよく澄まして、理解しようする。そして、心を白にすると聞こえる」
 老木を見つめながらローズの質問に答えた。 
「そうなんだ」
 心得たローズは耳を澄まし、心を静かにして老木の声を聞こうとした。隣でニコルがその様子を邪魔をしないように黙って見守っていた。
 低く、深い声が響いてくる。
 そして、その声と同じ声で返事をする。
(わしは、この森の長老だ)
(……太古の森について教えて下さい)
(……太古の森か。よかろう、話そう)
 長老の話が始まった。
 
(太古の森。それは人間が生まれる前に存在していた森。その存在は、わしら森達にも分からぬ。ただ知っているのは、その森はわしらとは別格で呪いの言葉を唱えるということだ。そして、北の方に存在しているということ。それがどんな形で存在しているかは、誰も知らぬ。北に行く道々で、わしらの仲間に聞いたらよかろう。……何か知っているかも知れぬ。……大賢者というのなら心配は無かろう)
 と、話はくくられた。
(……そこは、世界の中心と通じていると、聞きましたが……)
(……それは、わしも聞いたことがある。おそらく通じておろう。しかし、太古の森に行くことも世界の中心に行くことも容易いなことではなかろう)
(……通じているのなら、いいです。容易なことでなかったとしても私は行きます。私の道がそこにあるかぎり)
 強い決意を心の言の葉にのせる。
(そうか。その強い心があるなら行けるだろう)
 一言、答えるだけだった。
 そして話は終わり、二人は森を後にした。
 
 ニコルの小さな屋敷に戻った。今日はここに泊めてもらうことにした。
 夕食の後、ローズはニコルに訊ねた。
「すごいね。森の声が聞こえるなんて! どーしてなの?」
「……どーしてって言われても、突然聞こえたものだし。でも聞こえるようになるための心がけはやっていたんだ。それを教えてくれた人がいたんだよ。私はその時、今と違っていたんだ。暗い奴で何もできなかった。今みたいな人生を歩めるなんて思ってもいなかった」
 遠い目で昔のことを語る。
「そうなの? そうに見えないけど」
 温かい飲み物を口にしながら意外そうに言う。今日、接した限りでは陽気な友人を持つ明るい人だと思ったから。
「今の私があるのは、その教えてくれた人のおかげなんだ。その人に学問だけじゃなくていろいろ大切なことを教えてもらった。そして、自らの道を選び取ることができた。……出会いって何か意味があるもんだよねぇ」
 しみじみと言う。話が歪曲しているように感じられる。
「その人は誰なの?」   
 興味津々で訊ねる。そして、意外な言葉が返ってきた。
「……ハカセっていう人なんだ。その人のためなら自分を犠牲にしてもいい。あの人が困るような目に遭うのはないだろうけど」
 ニコルの真剣な言葉。言葉通りの揺るぎない思いが瞳から見て取れたが、それよりもローズには驚くことがあった。
「……ハカセって片方だけ眼鏡をしてて、おだんご頭の!?」
 身を乗り出して言う。声が少しばかり大きくなっている。
「うん。そうだよ。六年前ぐらいにここで会ったんだよ。いろいろ教えてもらってさぁ。別れの時に『ニコル』っていう呼び名を貰ってね。それからいろいろ歩き回って森を知り、声を知った。そして、『モリアン』と言う呼び名を私が自分に贈った。この家だって昔、ハカセが住んでいたんだよ。……もしかして、ハカセを知ってるの?」
 驚いているローズに訊ねた。
「知ってる。……ハカセは白歴に住んでるよ。でも、天の祭壇に行くって言ってたから今はいないと思う」
 と答えつつ、ハカセの詳しい居場所を教えるが意外な出会いに胸中は驚いていた。
「そっか、白歴かぁ。部屋はやっぱり散らかってたりする?」
 柔らかい笑みを浮かべる歴史の大家を思い浮かべながらお菓子を食べる。会いたい人の居所が分かり、嬉しくて思い出すと口元に笑みが浮かぶ。
「それもいつ来てもよ。初めて会った時は部屋の有様に驚いたけど」
 ため息を吐きながら最初に出会った時のことを思い出していた。客をもてなすには相応しくない部屋の有様に驚きはしたが、出会いはよきものだった。
「……ハカセらしいなぁ。私も旅に出ようかな。幻の森を目指して」
 ニコルは思わず言葉を洩らした。旅人を目の前にしたせいか自分も動きたくなってきた。
「幻の森って花々が年中咲いているという」
 頭の引き出しを開けながら、言葉を発する。
「うん、そうだよ」
 お気楽な調子でうなずくニコル。
「すごいね。……森の声が聞こえるっていうのもそうだけど」
 長老とのやり取りを思い出しながら、ローズは感心の言葉を口にした。
「難しいことじゃないんだよ。とても難しくて不可能に思えるけど、やろうと思えば誰でもできるんだよ。……とにかく、森の声を聞くことは森の中を歩く時に役に立つよ。やり方を忘れなければね。……さてと、もう寝よっか」
 話をここで止め、二人は眠りに入る。
 静かな夜が過ぎて行く。
 
 別れの朝。
「森に入ったら、枝を折らないように。彼らは人間に対して警戒をすごくしてるから。もし、そんなことしたら道に迷ってしまうことになるから気をつけて」
 忠告を与えるニコル。
「はい。……全てが終わったらまた来るね。その時は幻の森のことを聞かせてね」
 笑みを浮かべる。
「うん。世界の中心についてもね。……またね」
 再会することを信じてニコルは笑顔で別れを言った。
「うん。それじゃぁ、さようなら」
 ローズは別れを言い、歩き出した。
 向かうは北。
 
 ……出会いには、全て何かの意味がある。どんなにちっぽけで些細な出会いだったとしても先にある道を照らしたりしてくれる。
 この出会いもまた二人の道を照らすことになった。