第5章 船でのひととき
 
 
 ハカセと別れ、ローズは白歴から船に乗り、外海のルートでクルアーノ、呼び名は賢呪の国に行くことにした。呪術師が住むパンドリアまたは呪術師の妖しの都を通り、賢人の華の都に向かう。二つの都は同じ経度である。
 船は秘石を動力とする特急船で普通船の倍以上速い。
 とにかく、ローズは船旅を楽しむことにした。                   
 船旅の一日目の夜。
 夕食を済ませたローズは一休みをするため自分の部屋に戻った。
「少しの間は休めるようだし」
 彼女はベッドに座りながら愛用のスーツケースから手帳を取り出した。
「……」
 ローズは今まで調べたことを見た。ずっと今の旅のために備えていた。いつ目指すのかを迷っていたが今はこうやって旅に出ている。目指してみると他にも気になるものが出てくる。
「……時の民かぁ」
 それも彼女が気になっているものの一つである。
「呪いを扱う呪術師、知識を扱う賢人、歴史を扱う歴史家。本当に様々な能力を持っている人が多い。……その中には有り得ないと思うようなものを持っている人がいるかもしれない」    
 彼女は感慨深く呟いた。旅をしていると自然とそう思ってしまう。この世は平凡な世界ではないと。
「終わったら天空城の話をハカセかに聞かせてもらおう。それにしても相変わらずこれは時々にしか役に立たない」
 手帳をスーツケースの中に入れ、カードを取り出した。
 名前と大賢者か賢者かの賢人の種類、カード番号が記されていた。つまり、ローズの身分を証明する証明書である。大賢者になった時に配布された物だが、彼女がこれを出すのは大賢者や賢者でなければ利用できないとされる施設のみでそれ以外で出したことはあまりない。人と違って呪術師は証明書を持っている者と持っていない者がいる。相応しい力があるなら名乗れば大抵は信じる。この世界では常識では考えられないことが存在し、そのことを多くの人は知り、当たり前としているので信じることは大したことではない。
「……はぁ」
 息を吐き、カードを片付けてから小瓶を取り出した。
「……」
 ローズは静かにそれを見つめていた。
 小瓶の中には美しさと上品さを形にしたような真紅の宝石があった。ローズの好きな薔薇の形に加工されている。しかもただの宝石ではなく、秘石である。
「これを手に入れた時は何とも思わなかったけど、まさかこんなことになるなんて」
 ローズがそれを手に入れたのは薔薇を好むロゼリアン家という呪術師の屋敷である。彼女がそこに行き、手に入れた物である。その時にハカセや歴史を歩く者と知り合った。全てはそれが始まりだったのではないかと思わずにはいられなかった。
「……ばら姫
 ローズは宝石に呼びかけた。それがこの宝石の名前であり、ハカセが彼女の呼び名としたものである。
 少しの間それを感慨深く見つめた後、スーツケースに片づけた。
「……さてと」
 ローズはいつもの明るい顔で立ち上がり、この部屋を出て行った。
 
 ローズの向かった先は談話室だった。そこにはくつろいでいる様々な人達がいた。
 彼女は適当に見て回った。歩き回る彼女の足元にペンが転がって来た。
 ローズはそれを拾い、落としただろうと思われる少年に渡そうと声をかけた。
「これ、あなたの物じゃないかしら?」
「そうだよ。ありがとう」
 少年は笑顔で礼を言い、受け取った。
 その時、少年の机に目がいった。そこには地図とノートがあった。何かの作業の途中なのだろう。何をしていたのかとても気になる。
 興味を持ったローズは少年に話しかけた。
「何をしてるの?」
 少年は嫌な顔をせず、
「名前を記しているんだよ」
 と答えた。
 その少年は10歳ぐらいの外見に小柄な体型をしている。大きな瞳に艶のある髪。左サイドの髪は肩まであり、造花をさしていて葉っぱが尻尾のように垂れている。半袖半ズボンの格好で腰に布を巻き、前で結んでいる。サンダルを履いていて床にリュックがあった。
「名前って?」
 興味を持ったローズは少年に訊ねた。
「旅した街全ての名前だよ」
 と、少年はあっさりと答えた。
 そして、彼は広げてあったノートをローズに渡した。
 そこには様々な街の名前があった。名前には公に認められたものと呼び名がある。公に認められたものは、地図や公共機関などで使われる比較的新しいものである。呼び名は人が古くから呼んでいる親しみのこもった名前である。そのため生き生きとしたものを感じたり歴史があったりする。
「すごいね。こんなに名前があったのね」
 ノートから顔を上げてローズは感心の声を上げた。
 そして、ノートを少年に返した。
「人は親しみをこめて呼ぶからね。自分の仲間や家族のように住んでいる土地を大切にするから呼び名は廃れることなく今も使われてる。本当にすごいよ。まだまだあるんだから」
 ローズからノートを受け取りながら言った。
「そうね。親しみがあるからこそ人はその土地に住み続けてる。名前を付けるって魂を吹き込むことだものね。魂があるから生きているから人が住む。死んだ所には誰も住まないもの。それでどうしてこんなに集めているの?」
 ローズはしみじみとした後、疑問を率直に訊ねた。確かに名前はすごいものである。住人は土地の名前通りの生活をしているので名前が分かればどんな所なのか予想ができるのだ。
「それは僕の旅の目的地がたぶん、その先にあると思うから」
 答えるも表情は曖昧で自分の発した言葉さえも疑っている感じであった。
「その先というと」
 分かるような分からないような少年の答えを自分の口でもう一度発した。
「……あえて言葉にすると裏側になるのかな。感覚では求めているものは明確だけど言葉にすると逃げていくもの」
 人に分かるように言葉を選びながら話すが、まだ曖昧さは抜けきれない。
「裏側というとこの世界の?」
 何となくローズも分かってきたが、まだはっきりとはしない。
「たぶん。名前ってそのものを示すものだけど全てじゃない」
 自信なさそうにうなずき、話を変えた。
「その通りだと思う。みんなその時々で名前を変えるし、いろんな意味を含ませるけどそれが全てじゃない。自分を人に示すのに便利だから使っているだけでそこに価値の有無は関係のないこと」
 うなずき、今まで出会った人々のことを思い出す。この世界では名前は好きなように名乗ることができるのだ。土地や国の名前も同じように好きなように呼ぶことができるが、地図や公的文書では統一を必要とされるため呼び名とは別の名前が記されているが、それを使う者は少ない。
「うん。僕の目的地はこの世界を知ることから始まると思うからこうやって書いてる。何か見えてくるかもしれないし」
 ノートをじっと見つめながら無駄だとは思っていない今までのことを思い出す。
「……求めていれば必ずいつかは手に入るものだから頑張って」
 ノートを見つめている少年に多くの旅で得た彼女なりの考えを口にし、励ました。その言葉の通りローズは今まで求めたものは必ず得てきた。そうなるように彼女は努力をした。目的のためにいろいろと手間をかけているこの少年が目的地に行けないことはないと信じている。
「ありがとう。ところでこんなに話が盛り上がるとは思わなかったよ。君の名前は?」
 にっこりと礼を言い、お互い名乗っていないことを思い出して訊ねた。
「私はローズ。大賢者で上古の探索者」
 といつものように名乗った。
「そっか。僕はラッセル・ワルセル。ラッセでかまわないよ。気ままな一人旅をしているところだよ。ところでローズちゃんはどこを目指してるの?」
 ラッセルが興味を含んだ声で訊ねてきた。
「世界の中心というこの世にあるあらゆる謎の答えがあるといわれている地を目指しているのよ。あなたは?」
 自分の目的を話しながら、ラッセルの向かいの席に座った。
「すごいね。僕は話したようにこの世界の先とか裏側を求めてるんだ」
 改めて旅の目的を話した。
「改めて考えるとお互い大変な所を目的地にしてるね」
 肩をすくめ笑みをこぼしながら言った。こんなに大変な場所を目指している人はそんなにはいない。
「そうだね」
 ラッセルも思わず笑ってしまった。
「……僕達が求めるものはいろんな名前だけど簡単にすると真実というものかもしれないね」
 様々のことを考えることができるが、総括すると真実という言葉に落ち着く。
「……真実。夜見る夢のように広く多くあり、遠くに輝く星を掴もうとするのと同じくらい掴むのが難しく理解しがたいもの」
 ローズは今までしてきた旅のことを思い出しながら、含みを込めながら言った。
「うん。こうやって僕達が出会ったのも何かの力が働いてる感じがするしね。それも真実というものの一つなのかも」
 ラッセルは今日の出会いに感謝しながらもどこかでこうなるように何かが働いたのではないかと思えてならなかった。
「そうかもしれない。この世に絶対無いと否定できるものはないもの。何においても……」 
 大賢者らしいことを言い、口を閉じた。
「……そうだね。世界の中心や様々な遺跡や世界が必ずしも架空とは限らない」
 うなずき、ラッセルも静かになった。
 二人はそれぞれの胸の中に様々な真実を抱え、噛み締めていた。
「そういうこと! さてともう部屋に戻ろうかしら」 
 ローズは静かになった空気を打ち破るかのように明るく言い、立ち上がってラッセルを見た。もう時間は夕方から夜に変わっていた。
「おやすみ、ローズちゃん。とても楽しかったよ」
 笑顔で言う。本当に楽しかったらしい。
「それは私もよ、ラッセ君。それじゃぁ、おやすみ」
 ローズも笑顔で応え、談話室を出て行った。
 その後、しばらくしてラッセルも部屋を出て行った。
 
 翌日もまたローズは朝食を終えた後、談話室に行った。思っていた通り昨日の少年がいた。ローズは彼に近づいた。
「おはよう、ラッセ君」
 ノートを何冊も広げて必死に作業をしている少年に声をかけた。 
「あ、おはよう」
 ラッセルも手を止めてそれに答えた。
「大変だねぇ」
 ローズはラッセの向かいの席に座りながら言った。
「そんなことないよ。好きでやっていることだから苦痛じゃないよ」
 作業をしながらローズの言葉に答える。
「ラッセ君、名前を与えられなかった遺跡には行った?」
 ローズはふとその遺跡に対してラッセルがどう思っているのかが知りたくて訊ねた。
「まだだよ。いつかは行くよ。気になる所だからね」
 本当にこの世界の隅々まで行くつもりなのかにっこりと笑った。
……あ、これって」
 ローズは一冊の広げられているノートに目がいった。
「あぁ、それは街々の歴史や調べたことを書いてあるんだ。知ることが目的地に辿り着く手段だから」
 ローズが気になって手に取ったノートには街の名前、これは呼び名で記されてある。街の特徴、歴史などが細かく記されていた。参考資料の著名や題名も書かれてあった。
「……すごいね」
 ローズは感心したように声を上げた。
「そんなことないよ」
 ラッセルは照れながらも控えめに言った。
「すごいよ。知ることによって今まで見えなかったことが見えてくることもあるし」
 心当たりがあるようにローズは言った。
「そう思うよ」
 ラッセルはローズの言葉にうなずいた。
 この後も二人は様々な話をして時間を楽しんだ。
 
 船は何日かして呪術師の妖しの都に着いた。
 二人の旅人は港にいた。そこでお別れだ。
「さよなら、ラッセ君。……あなたの旅に幸がありますように」
「ローズちゃんの旅が明るいものでありますように。さよなら」
 互いに相手の旅の無事を祈りながら別れの言葉を口にした。
 この後二人はそれぞれの旅の目的地へと向かった。
 
 出会いと別れは季節のように幾度もやって来る。そしてそれは再会も同じこと。
 だから二人は再会するだろう。……奇縁はこの世の常なので。