第4章 道草
                     
 
 時の山を離れ、再び海の街に向かう上古の探索者。
 少しずつ目的に近づいている。限りない苦労が彼女の道を幾度も暗く包んだ。
 しかし、今は大きな明かりとなる小さな明かりを持っている。先へ進む前に彼女は少しだけ道草をすることにした。久しぶりにあの歴史家の顔を見たくなった。
 いつもいつも心を張り、体を動かしてばかりでは疲れてしまうから。
 
「珍しいねぇ」
 とローズは声を上げた。
 整理下手な歴史家の部屋は片付けを施されすっきりとしていた。今まで綺麗になった部屋を見たことのない彼女にとっては驚きでしかなかった。
「そうですか?」
 ハカセはお茶セットを持って現れた。
「そうよ。あなたの部屋といったらいつも汚いもの」
 あっさりと言ってのけ、出されたカップに口をつけた。
「でもどうしたの? ハカセ」
 お菓子をほおばっているハカセに訊ねた。
 珍しいことが起きたということは何かあるに違いない。
「明日ぐらいにでもここを留守にしようと思っているんです。あなたの方はどうですか。その様子だと、うまくいったようですね」
 その言葉を待ってましたとばかりに嬉しそうな顔で
「えぇ、その通りよ。あなたの言葉通りだった。……それで時の山に行って」
 ソフィーのことや聖域のこと、箱のことなどをハカセに話して聞かせた。
 そして例の箱を取り出した。ふたは開いている。ローズには少しなら呪いを解く解呪や呪いをかける力を持っている。旅で何かと必要なので。
「もう、ふたは開けたのよ。意外に簡単に開いて中には古代文字で書かれた紙が入っていたのよ。……あとはその訳だけ。とりあえず賢人の華の都にでも行こうかと思ってる。あそこならいろいろあるだろうから。でもどうして時の山のことを教えてくれたの?」
 ふと不思議に思ったことを訊ねた。以前から何かとこの知り合いには不思議さがつきまとっている。この世界では外見通りの年齢ではないことは当たり前だと心得ているが、奇妙でならない。 
「……知っていたからです。以前、何かで見ましたから」
 あっけなく答え、話を終わらせた。
「……そう。そう言えば、ここを留守にするって、何かあったの?」
 いつものことなので深く追求することはせず、もう一つ気になることを訊ねた。
「……天空城に行くんです。……最近、一週間続けて同じ夢を見たんですよ。天空城の。二日や三日ぐらいなら気にしないんですが、長く続いたので二日前に青歴に住んでいる知り合いの助言で行くことに決めたんです」
 青歴とは公名はアクアノール。白歴とは姉妹都市である。そのため歴史家や骨董屋、博物館が多くある。場所は地図で示すと白歴の左にある。
「……それで行くことに?」
 喉を潤しながら訊ねた。
「えぇ、私が度々夢を見たのも行くことを求められているからだそうで、明日から天の祭壇に向かおうと考えています。以前、行ったことがあるので問題は無いでしょうが」
 最後少し言葉を濁した。何か思うことがあるのだろう。旅は明らかに厄介事が待っているとしか思えないので。
「……じゃ、会えるのは今日だけね。……今度会うときはお互い全てが終わってからになりそうね。あぁ、少し残念。大変そうだけど、私も天空城を見たかったなぁ。……自分の旅があるから行けないと分かるとますますそう思う」
 ため息をつきながら呟いた。
「……ばら姫だけじゃありませんよ。私も残念です。あなたと一緒に時の山に行けばよかったと思っています。……天空城のことで忙しかったので仕方の無いことでしたが。世界の中心もまたこの目で見たいのですが、どうやらそれもできそうにないようですし」
 こちらもとても残念そうに呟く。
「そうねぇ。もう私達の進むべき道は交わっていないし、仕方の無いことよね。でも、本当に残念。……今度会う時はあなたの話を聞かせてね」
 と言って立ち上がった。
「えぇ、あなたの話もぜひ。……もう行くんですか?」
 といつもの言葉を彼女にかける。
「えぇ、時間を無駄にしたくないから。……ハカセの旅が明るい道でありますように」 
 床に置いていたスーツケースを持ち、笑顔を浮かべ別れを惜しんだ。
「ばら姫の旅にも幸運がありますように」
 いつもの柔和な笑顔でローズに答えた。
「ありがとう。それじゃ、さようなら」
 スーツケースを握り直してから部屋を出て行った。
 ハカセはその後ろ姿を惜しむように見つめていた。
 
 この別れの後、旅をしている間、会うことはなかった。もし会ったとしてもゆっくりと話すことはできなかっただろう。
 二人はそれぞれやらねばならないことがあるのだから。全てが終わった時こそ、二人が再会する時。時は長くゆっくりと、二人の道に流れる。