第3章 時の山
時の山。時間を崇拝する民族がいたのでそう呼ばれている。
時の民。時間を崇拝する一風変わった民族で優れた呪術師であり賢人であったらしい。大昔に滅んだと言われ、その滅んだ理由を様々に研究しているもいまだに不明のままである。
時の山にあるのは、その記憶の跡。
ここは、地図で言うところの右下の大陸、時人の国、公的名ミリアーヌにある場所で時の山の麓に存在する規模の小さい街。名は時の雫。公的名はスプリアルである。小さなわりには立派な設備があり、旅人もたまに来る。
時の山の遺跡の発掘が多くされ、一掘りすれば書物やら壺やらが十も二十も出て来たそうだ。街の名の通りそれらは時の民が残した雫のようだ。
街にはそれらを展示している所が点々とある。
「はぁ、やっぱりこういう時は『大賢者』が役に立つのねぇ」
照明設備が整っている地下の階段を下りて行くローズ。
彼女は歴史の大家ハカセの助言により、時の雫に来ていた。そこで彼女は時の民の資料を見るつもりだったのだが、全てガラスケースや地下の蔵に納められ、一般人しかも正体の知れぬ旅人に見せることも見ることもできない。
しかし、訪問者が一般人でなはなく大賢者という尊敬すべき者であればどうだろうか。人々は手の平を返したようにローズの願いを聞いた。
そのため彼女は今、一般人が閲覧をするのを禁止している本が眠る蔵へ向かっている。
蔵に着き、借りた鍵で重い扉を開ける。
中は埃っぽく、古い本が不気味なほど多く座っていた。
「……これだけあれば、一冊ぐらい当たりはあるはず」
と言うなり手近の本を取り、ページをめくる。埃が宙を舞う。
「…………」
数分して、本を閉じて片づける。お気に召さなかったようだ。
次々と出しては開き、出しては開きと単調な作業を続けていく。
その間、ローズは埃を吸い込みたくないのか黙り込んでいた。
「……!」
ある厚い本を手に取った時、彼女の顔色が変わった。
「……時間の流れに支配されない地!?」
今まで見たことのない単語が目に入る。今までは、時間は神聖なもの、神であるというようなことばかりだった。
さらに古代語を読み進めていく。
「……全ての生物には、生まれ消えていく間の時間が等しく流れる。どんな場所でも時間の流れからは逃れられない。しかし唯一、時間の流れから外れた地がある。そこには、時の民しか行くことができず、彼らはそこを聖域と呼んでいる、か」
少し間を置き、考えを巡らす。
「………時の民しか行くことができなかった。……なぜ? 時間をただ崇拝しているわけじゃないのかもしれない。何かの恩恵を得ていたのかもしれない。どういうことだろう。……やっぱり時の山の遺跡に行くべきかも」
本を閉じ、一つ息を吐いてから蔵を早々に出て行った。
向かうはただ一つ、時の山。
ローズは一人、山道を歩く。住人に道を教えてもらい、休みなく歩き続け、強行軍をもし、足を速めた。
そのおかげで二日目の朝、山頂に着いた。ちなみに時の山はあまり高くはない。
ローズの視界には、荒れた大地が広がっていた。上古の探索者はゆっくりと上古の記憶を歩く。崩れ、風化している多くの柱や壁。
ローズは大きい神殿跡と思われる所にいた。
「……神殿みたいね。あれは」
しばらく歩いていたが、すぐに足を止めた。先客がいた。
「……あの、発掘隊の人ですか?」
ローズは恐る恐る先客である女性に声をかけた。発掘が多くされているためローズは発掘隊と思ったのだ。
「そうだが、あんたは?」
女性は振り向いた。地味な動きやすい服を着ていて外見は20代前半ぐらいだが顔には深い疲れが見て取れた。
「私は上古の探索者で大賢者のローズ」
緊張しながらも名乗り、じっと女性を見た。
「……私はソフィー。もう、ここにはほとんど何も残っていない。何か知りたければ私について来い」
と言ってさっさと行ってしまった。
「……えーと。あの……」
ローズは戸惑うが、彼女について行くことにした。
案内された所は遺跡から少し離れた場所にある小屋だった。おそらく、発掘隊が寝泊まりをする所だろう。
「……お邪魔します」
そう言って遠慮がちに中に入る。
中はテーブルや椅子はなく、資料を片付ける棚と大量の毛布しかなかった。
ローズは仕方なく、床に座り、向かいに座っているソフィーを見た。とても落ち着かない上に沈黙が続く。
「発掘隊の一人と言っていましたけど、あなた一人なんですか?」
とりあえず、沈黙を終わらせたいので質問する。
「今はな。他の奴らは食料の買い出しや報告をしに行っている」
答えは素っ気ないものだった。
「……そうですか」
それ以上何も言えずに黙ってしまった。会話が全く弾まない。
「それでここに何しに来た? めぼしい物はほとんどないが」
これまた感情のない声で訊ねた。
「……時の民が口にしていた聖域とは何かを調べたくて、もしかしたら世界の中心と何か関わりがあるかもしれないと思って」
自分の目的をようやく口にした。これで少しは話が進むはずだ。
「……そうか。その二つの関連性は分からないが、今の段階で分かっていることは多くない。そもそも彼らが崇拝していた『時』というものは形無きものだからな。それ故、始まりも終わりもない」
ソフィーは自分の見解を話した。
「そうですね。しかし、壺とか書物とかいろいろありましたけど」
ここまで来るまでに見たり読んだりした資料のことを思い出していた。
「……そうか。そんな資料よりも」
おもむろにソフィーは立ち上がり、部屋の隅に置かれている鞄を持って戻って来た。
「……?」
不思議そうにソフィーの行動を目で追った。ソフィーは鞄の中から古ぼけた箱を取り出した。箱には花弁の多い花が刻まれていた。
「これは、遺跡から見つかった物だ。私以外、誰も知らない」
「それは?」
出された箱について訊ねる。
女は少し間を置いて答えた。
「……箱だ。これは何種類もある箱の中では詩や歌を入れた詩箱か歌箱だ。中に何が入っているのかは分からない。神殿に納められていた物だ。つい最近、私が見つけた物だ。もしかしたらこの中に何か手掛かりがあるかもしれない。持って行ったらいい」
箱をローズに差し出した。箱とは様々なものが入った入れ物であり、中に入っているものによって呼び名が変化する。詩ならば詩箱、歌なら詩箱、呪いなら呪箱というように。
「……どうしてこれを? 発掘した物を勝手にどうこうするのはまずいことじゃ」
少々困ったように訊ねた。
「まずくはない。知っているのは私だけだ。あんたが必要としているのなら持って行ったらいい。物は必要な者の手に渡るのが一番だ。それに私がそうしたいからしているだけだ。気にしなくていい。もしかしたら呪いがかかっているかもしれない」
本当に惜しみのないように素っ気なく言う。
「ありがとうございます。……全てが終わったらこれを持ってお礼に来ますね」
箱をしっかり受け取り、礼を言った。
「礼などしなくてかまわない。また、会えるかも分からないのに」
少し虚ろな瞳で明るい顔をしたローズを見た。
「……そうかもしれません。でも、私はここに来ます。この箱は私の道を明るくしてくれます。感謝すべきことです。だから私は全てが終わった後、全てのことに対してお礼をしに行こうと思っています。十分でないかもしれないけど。今の私が言えること、ずっと後の私ができることはそれしかありませんから」
ローズは力強い口調で言った。心の中にはここに来るまでに関わった人達の顔が思い浮かんでいた。その人達のためにも自分は旅を成功させなければならない。
「……そうか、待ってるよ。旅がうまくいくようにな」
ふと疲れた顔に一瞬笑顔が横切った。
「ありがとうございます。あなたにも安らぎが訪れますように。……それでは、さようなら」
別れを惜しむように言葉を紡ぎ、ペコリと頭を下げ、去って行く。しっかりと箱を抱えて。
女はいつまでも旅人が去った先を見つめていた。
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