第2章 探索者と歴史の大家
 
 
 この世界は人々の思いによって成り立っている。
 それが探求心や悲しみの心、悪しき心に関わらず、世界はただそこにある。
 その世界を示す地図や公文書ではトキアスと記されているが、多くの人は親しみと畏敬の念を込めて思い人の世界と呼ぶ。左右の大陸が陸続きであり、空いた真ん中には島があり、二つの大きな大陸の上には三つの島がある。遙か海の先には大陸と異なる文化を築いている島国も存在している。
 そして、そんな世界には多くの人々が住む。
 歴史家に呪いを生業とする呪術師、叡智を持つ賢人、未来を見透かす先見(さきみ)の民、占いを生業とする占い人、声なきものの声を聞く者、言葉を見る者、夢に住む者など様々な力を持つ者が住んでいる。それ故、外見と中身が同じとは限らないというのが当たり前となっていた。
 人だけではなく、遺跡も数多く点在する。それらの謎を知ろうとしている者も多くいる。その中でもとりわけ変わった者がいた。
 その者は世界の中心を求める道を歩んでいた。自分が持っていない重要な手掛かりを持っているだろうと思われる知り合いの歴史の大家に会うことにした。
 
 ここは、地図で見る所の左の大陸の上部のシークリア、通り名思跡の国のとある国で一般に白歴と呼ばれており公的にはアリアノールと言われている。その名はあまり使われず、昔からの通り名である白歴と呼ばれている。海に面しており当然、魚介類がとてもおいしい所である。その上、歴史ある物や歴史家が多く存在している。もちろん、賢き人である賢人や呪いを扱う呪術師の類いも住んでいるが、あまり多くはない。いたとしても賢人の比率が高い。
「……ハカセ、いるといいんだけど」
 白壁の家の玄関に立ち、チャイムを鳴らす少女がいた。
 外見は6歳ぐらいでカールした金髪は、薔薇の髪留めで二つに留められている。意志の強そうな顔立ちに上品な服装と黒色のタイツにブーツを履き、どこぞの深窓のお嬢さんのようだ。
 少しして扉が開き、6歳ぐらいの子供が現れた。姿は艶のあるマゼンタ色の髪をおだんごにし、上品でゆったりとした服装に右目にはブリッジ式のモノクル(片眼鏡)をしている。物腰が柔らかそうだが、性別だけが分からない。
「……ばら姫じゃないですか。どうしたんですか?」
 とハカセと呼ばれた子供が声を上げた。
「久しぶりにあなたの顔が見たくなって来たのよ。それにいろいろ話をしたいことがあるのだけど、いいかしら?」
 と遠慮がちに訊ねた。
「えぇ、いいですよ。どーぞ」
 ハカセは客人を招き入れた。
 
 客人は居間に案内されたが、そこは客人を招き入れられない部屋と化していた。
「相変わらずねぇ、ハカセ」
 本や書類で汚くなった部屋に驚く様子もなく、いつものことのように言う。
「ちょっと待ってて下さい」
 そう言うなりハカセはばたばたと本を隅に追いやり、何とか二人分の座り場所を作り、急いで茶を出した。名前は立派なのに部屋は相反してずぼらである。
「それで今日は?」
 落ち着いたところで本題を持ち出した。
「今まで探索した遺跡について話したくなって来たのよ。……最近、名前を与えられなかった遺跡に行って来たのよ。本当に何も無かった」
 そう話しながら彼女はあの閑散とした遺跡を思い浮かべていた。
「ここから南方にある遺跡ですね。本当に何も無かったんですね」
 ハカセはカップを手に持ちながら彼女の話を聞いていた。
「……えぇ。でも、不思議な物はあったのよ。秘石素材の扉が奥にね」
 彼女はカップに口をつけて喉を潤した。
「秘石素材の扉ですか。それは何かあるとしか思えませんね」
 ハカセはカップをソーサーに置きながら言った。
「でしょう。でも鍵が必要よ。それも無いし。今は諦めなくちゃいけないから残念よ」
 彼女もカップをソーサーに置き、水面を見つめた。
「それはひとまず置いておくとして、あなたの方はどうなの?」 
 話をハカセに向けた。
「……天空城に少し興味を持っていますね」
 と答えた。
「……天空城。大昔、空に存在していたと言われる城」
 少女は書物などでよく見かけるフレーズを口にした。
「そうです。ところで、あなたが一番興味を持っている遺跡は何ですか? 大賢者ローズ」
 探る目を彼女に向ける。彼女の名は、ローズ。多くの知識を持った賢者よりも賢い大賢者。といってもはぐれ者で他の賢人とは馴れ合わない。そして呪いを使う呪術師の力もある。しかし、それら全ては彼女の上古の探索に使われている。
「……世界の中心よ」
 自信に満ちた声で旅の目的をしっかりと答えた。
「世界の中心。この世の全ての謎の答えがある始まりであり終わりの地と言われる場所」
 ハカセはおもむろに呟く。
「そう。それで、ハカセなら何か知っているんじゃないかと思って来たのよ」
 じっとハカセを見つめるローズ。
「……知っていることですか。私もそのことについてはあまり知らないんですよ。ただ知っていることは、全ての謎の答えがあり、この世のどこかに存在しているということだけです」
 あまり頼りのない答えを返す。
「……この世のどこかにある?」
 頼りない言葉の中に何かを得た大賢者。
「えぇ。……ちょっと待ってて下さい。今、それが載っている書物を持って来ますから」
 そう言って、席を立ち、辺りに散らばる本を探索し始める。
「……本当に」
 その様子を呆れ顔で眺めるローズ。
 
 数十分経過。
 もう諦めかけていたその時、
「ありましたよ!!」
 ハカセの喜々とした声が響いた。
 手にしている本は厚く、ボロボロでとても年季のはいった本だった。
 それを抱えて席に戻って来る。
「それで、その本のどこにあるの?」
 と訊ねる。
「……えーと」
 パラパラとページをめくる。その度に埃が舞い上がり、年月の長さを感じさせる。
「ここですよ」
 開いたページをローズに向ける。古ぼけた紙の上には、にょろにょろとミミズが這ったような文字がずらりずらりと並んでいた。
「……だいぶ古い時代の文字ね」
 興味がありありと感じられる口調で言う。
「……この世に存在せぬものはない。どんなものでも。『世界の中心』と呼ばれているものでさえ、この世に存在している。それが必ずしも形を持っているとは限らない。知る方法が必ずしもないわけではない。この世のどこかにそれは存在している。それを知るは容易だが、行くのはかなりの困難を伴う」     
 と古代語をさらりと読み上げるハカセ。
「なるほど。でもその本どこで手に入れたの?」
 最もなことを訊ねるローズ。
「歴史を歩く者に貰ったんですよ。もし必要ならこの本あげますよ」
 歴史の闇に消えた本などを入手する達人から貰った本をローズの前に置く。
「……歴史を歩く者からね。こんな大切な物貰えない。……でも、必要だから借りておくわ。全てが終わった時に返しに来るわね。……たぶん遅くなるけど」
 ローズも歴史の上を歩く者はよく知っており、その者が貴重なものを運ぶことも知っているので少しためらいながらも本を手に取りスーツケースの中に入れた。
「そんなこと気にしなくていいですよ」
 いつものように穏やかに言う。
 ローズは立ち上がり、にこやかな笑顔を向け、
「ありがとうハカセ。もう行くわね。一分たりとも無駄にしたくないから」
 と言う。
「もう夕方ですよ。……どこに行くんですか?」
 ハカセは少し驚きの声で訊ねた。
「図書館に調べに行くのよ。まだ開いているだろうし」
 さらりと答える。
「そこに行くより時の山、時間を崇拝していた民族が住んでいた山に行く方がいいですよ。そこにある図書館の方があなたの力となりますよ」
 的確なアドバイスをする。
「ありがとう。そこに行ってみるわね」
 ハカセの言った場所に何があるのか気になりながらも笑顔で応えた。
「あなたの旅が無事でありますように」
 と最後の言葉を彼女に告げる。
「あなたも無事で。それじゃ、また」
 彼女も別れを告げ、部屋を出て行く。
 その後ろ姿を静かに見送るハカセ。
 
 一人、散らかった部屋に残ったハカセは宙を見上げて、
「彼女の旅が幸福なもので、彼女の求めるものがありますように」
 と願うように呟いた。