第1章 ある遺跡で
 
 
 午後の澄み切った青い空の下に6歳ぐらいのスーツケースを持った少女がいた。彼女の前には閑散とした遺跡があった。何かの宮殿らしいが、今の世ではただの瓦礫の山にしか見えない。通路とおぼしき所に立っている柱は崩れ、思い描くことでしかこの遺跡の全貌を見ることはできない。乾いた空気を感じながら通路を通って宮殿に行く。宮殿は立派な形をしていた。素っ気ない造りで何も無いが、年月によってそれなりの風格を纏っていた。
 
「……本当に何も無い」
 彼女は遺跡の内部を見て回ったが、ここにはそれほど興味を引く何かはない。
「……名前のない遺跡、か」
 この遺跡は発見された当初はそれなりにもてはやされたが、すぐに冷めた。この遺跡には何も無いのだ。いつの時代のものなのか、誰が造ったのか、どんな目的があるのか解らないのだ。いろんな専門家がここを訪れたが何も解らなかった。そのため、この遺跡は人々から見放され、名前を与えられなかったのだ。
 そんな遺跡にも唯一あるものがあった。
「……秘石素材の扉、か」
 それは扉であった。
 ちょうど彼女はその扉の前に立っていた。
 飾り気のない石の扉であった。ただし素材は普通の石ではない。
 秘石というものだ。それは不思議な力を持った石のことである。色や品質も様々で宝石やお守り、細工の材料、燃料、塗り薬などあらゆる用途に使われている。全ての秘石は持っている効力は同じだが、物によって優れている効力がある。以前は飲み薬としても使われていたが、秘石と言えど鉱物のため人体への影響を考え使用率がぐっと下がった。ちなみに秘石の採掘によって栄えている街もある。
「鍵があるのね」
 少女は扉にある小さな鍵穴を見つめた。
 以前、腕のいい錠前師がこの扉を開けようとしたが無理であったという話がある。
「これと同じ素材の鍵じゃないと無理なのね」
 鍵穴に手を触れながら残念そうに呟いた。
「……残念」
 彼女は諦め、ここを離れて来た道を歩いて行く。
「これほど証明する物が無いっていうのは何かあるのかもしれない。記憶を残していないということになるわけだし……」
 よほどこの遺跡に興味があるのか彼女は頭を巡らしていた。
 彼女は、ここが何も無い所だと耳にしてもやって来たのだ。そして、がっかりするよりもますます興味を持ってしまった。おそらく今までここに訪れてきた人とは見る所、考える所が違うのだろう。 
 そして、彼女は現実の世界に出て行った。
 
 午後の空が彼女を見下ろしていた。何も変わってはいない。
「……証明する物は無かったし。本当にここは名前が無かったのかなぁ。昔はあったけど現代には残っていないってことも有り得るし。秘石素材というものも気になるなぁ」
 少女は宮殿の入り口に腰を下ろして今見た物の気になる点を口にしていく。結局は、挙げるだけに終わってしまった。 
 しばらく考えた後、気分を変えようとスーツケースから革製のカバーが付いた手帳を取り出した。カバーには美しい赤薔薇が刻まれていた。
「……今はこっちの方が興味あるし。存在も分かってるし。やることは行動だけ」
 手帳を開けた。そこには今、興味を持っていることについて調べたことが記されていた。参考資料の名前、いつのものか、どこにあったのかということの他、必要な文も写されていた。かなり念入りに調べられている。後はそれらを元に行動するだけであった。そうする前にどうしてもここを訪れたかった。行動を起こせばそれにかかりっきりになると考えられるため。
「……これが先ね」
 手帳を閉じ、空を見上げた。自分の考えが澄み切った空に広がっていくように感じた。
 彼女は手帳をスーツケースに入れ、立ち上がった。
「まずはあの人に会おう。……あの人なら私の知らないことも知っているだろうし」
 少女はスーツケースを握りしめ、歩き出した。彼女の目には意志の強い煌めきが宿っていた。
 
 乾いた風が訪問者が去った遺跡を通っていた。
 当分はここを訪れる者はいないだろう。