第17章 賢人の華の都〜胸騒ぎ〜
 
 
 ハカセと別れた後、ローズは賢人の華の都に向かった。
 旅をして五日目、再会を約束した彼らに会うため午後の光が静かに注ぐ裏通りにやって来た。
 
 ローズはある屋敷の玄関に立ち、チャイムを鳴らした。
 すぐに扉は開き、屋敷の主が現れた。
「ローズ嬢!!」
 主は驚きの声を上げた。
「久しぶり! 大賢者の君!」
 にっこりと微笑んだ。
「うん。さぁ、中に入って、焔もいるから」
 と言って客人を奥へ案内して行く。
 
 居間には焔がいた。彼はローズに気付くなり、片手を上げて挨拶をした。
「よぉ、久しぶりだな! かわいいロールパン!!」
 表情に再会の喜びが広がっていた。 
「久しぶり。でも、ロールパンって言うのはよしてよ」
 と言いつつ席に着いた。
 君はローズにもてなしをした後、席に着いた。
「それで旅は?」
 君は席に着くなり早速、訊ねた。
「うん。二人に会ってからは……」
 旅の話を隅々まで話した。
「すごいねぇ」
「しかしよぉ、世界の中心って結局、どういう所だったんだ?」
 と焔はローズに意見を求めた。
 それに対し、ローズはこう答えた。
「人間が知ることができるのは、第五感までだけど、世界の中心は人間の感じることができる感覚以上の世界だったの」
「すごかったんだなぁ。しかし、なかなかやるなぁ。かわいいロールパン」
 焔はそれを聞いて声を上げた。
「ありがとう。それより、そっちは何かあった?」
 二人に訊ねた。二人はしばしの間、沈黙していたが、君が口を開いた。
「かなり日数が経ってるけど、賢人図書館から本が盗まれたんだ」
 賢人図書館とは普通の図書館とは違っていて賢人でなければ入ることができない所である。そこには持ち出し禁止の本などたくさんの秘密や謎や歴史、知識などが記されている物が多くある。そのため本の扱い方や貸出期間などの管理が普通と比べて厳しい。
「本当なの? 管理が厳しいはずでしょう」
 ローズは君の言葉に耳を疑い、疑問に満ちた声で問うた。彼女は何度か図書館を利用したことがあり、異常なほどの管理の厳しさを知っていたため意外に思った。
「本当だよ。本は戻って来たんだ。呪術師の都にあったんだよ。そして、その本には開いた人に呪いをかけ、その人に接触した人にも呪いがかかるという呪いがあって」
 君は顔を曇らせ、言葉を濁した。 
「それで何とかできたの?」
 何となく答えは予想できるが訊ねないわけにはいかないので訊ねた。
「できなかった。解呪しようと思ったけど、これは下手に手を出したらヤバイことになりそうでやめた。解いたオレが呪いにかかりそうな感じでよぉ。それ系統はそれ系統の方法があるんだけどな、それも使えそうにないんだよな。呪術師の都でやればよかったんだけどな」 
 焔は肩をすくめて言った。実は彼は呪術師でもある。今は取り立てて必要ではないのでほとんど使っていないだけだ。
「それは仕方無いよ。うるさい方々が結構いるし。盗難のあった図書館の管理人っていう立場で大変な彩月のこともあったし」
 重いため息をつきながら、焔の言っていることはとても分かるが、もし解呪してから帰っていると彩月はクビになっていたかもしれない。本が返って来たことで何とか言いくるめることができたのだから。
「だな」
 こちらもため息を吐いた。言ってもどうにもならないことは知っているが言わずには言われなかったのだ。
「大変ね。それで、本の管理はどうなってるの?」
「大賢者彩月に力を貸してもらって、今は僕が保管してる」
 持ち出すことに関していろいろと大変であった。とくに反対する者を説得することが。
「そう、大変だったんじゃない?」
 ローズは大変さを感じ取ったらしく訊ねた。
「その通りだぜ。規則規則って体面ばかり気にしている奴らが多いからな。本には呪いがかけられてるっていうのによ、図書館に戻してそこで管理し、秩序を取り戻すのが先だとさ。こんな物、置いてたらヤバイだろ。この都には呪術師じゃない奴もいるし嫌っている奴もいる。もしもということもないわけじゃねぇのによ」
 焔はうんざりしたように言った。
「そうね。そんな本があると思うと安心して図書館を利用できないし。それで誰が盗んだの? どうして、呪術師の都にあったの?」
 何か大変なことが起きていると感じて質問したが、急に二人の顔が曇りだした。
「盗んだ奴は有り得ない奴さ」
 焔がちらりと君の顔を見た後、憎々しげに答えた。
「……有り得ない?」
 ローズは焔の答えに眉をしかめながら訊ねた。
「あぁ、その通りだ。言ったとしても信じねぇだろうからな」
 と焔がなおも言い、ローズの興味がますます強くなる。
「誰なの?」
 気になったローズはさらに訊ねる。早く知りたくてたまらない。
「違い目の民だったんだよ」  
 落ち着いた顔で君が驚きの答えを言った。
「違い目の民って。……どんな者よりも賢く、呪術にも長けていて身体的特徴である色違いの目は私達の知らない力を持っている証と言われてる。でも彼らは滅んだはずじゃ」   
 ローズは信じられないというように言った。彼らが滅んだ理由として迫害や巨大な力を持ったせいだとか様々に囁かれているが、どれも確かな証拠はない。「だろう。だから信じねぇと言っただろう。でもそれは本当なんだ。最近でも呪術師の都の方で大変な事件を起こしたらしいからな。まぁ、解決はしたらしいけど」
 ローズの驚きを見て面白かったのか焔の声には少し笑いの色があった。
「事件?」
 ローズは焔の笑いにかまわず、君に訊ねた。あの甘い少女の顔が浮かぶ。彼女の住むあの場所で大変なことが起きたとは信じられなかった。
「うん。“ピュティス”という妙な薬が広まった事件だよ。何でも呪いが微量にあるピンクの粉でそれを服用するとあっという間に狂うんだって。しかも依存性も強いし、体内に残り、内部をじわじわと傷付けていく。本人はそのことを知らない。ただ快感に感じるだけなんだって。人によって効き具合は違うらしいけど。必ずそうなるんだって、死ぬまで狂うのは。その上、克服することはできないらしいんだ。で、それをやったのが違い目の民の者なんだ」
 君は呪術師の都で起きた騒ぎを話す。
「その違い目の民は右目が紫色で左目が黄色で、二人と同じくらいの外見をした奴だ。キャッツと名乗ったそうだ」
 忌々しげに違い目の民の特徴を口にした後、飲み物で口の中の忌々しさを流した。
「……キャッツねぇ。だけど、どうしてそんなに詳しいの?」
「それはね、呪術師の都に知り合いがいるからなんだ。しかもその知り合いは、その違い目の民に会ったんだよ。そのこと全て教えてくれたからなんだ。それでどうにかしないといけないと思って……」
 情報源を明かす。
「……本のことも会議で言いくるめるのに時間がかかったし、保管について決定してから解呪に取りかかったからな。もう少し早ければ、できないと分かってもいろいろと手立てがあったのによぉ。今から他の人に頼むとしても時間のこともあるしな。まぁ、この都以外の奴に頼むって知ったら奴ら怒るだろうし、結局こうなっていたか」
 うんざりしたように経緯を話し、ローズに意見を求める。
「その通りね。そう言えば、私達とは違う呪術を使う者達がいると聞いたことがあるけど。その人達に頼んでみたらどうかしら。もしかしたらうまくいくかもしれないし。いればだけど」
 ローズはふと思いついたことを言葉にし、その言葉は焔の顔を明るくした。
「そっか。そーだな!」
 声高くうなずいた。どうやら心当たりがあるらしい。しかし、君の顔は少しも明るくなっていない。
「心当たりがあるみたいだけど」
 君は彼が何を得たのか知ろうと目を向けている。
「おう、その話はあとだ」
 焔はいつも以上に自信に満ちた声で答えた。彼に何か策があるようだ。
「……何にしても本の盗難や薬の事件をただ起こしたとは考えられないし。何かやるつもりでその足掛かりで起こしたものとしか思えない。今は薬の事件が収まって元に戻ったみたいだけど。油断はしない方がいいんじゃないかしら。違い目の民は誰よりも賢いのだから」
 ローズはあまりにもあっさりとしているため事件がまだ終わっていないと思っていた。
「うん、僕もそう思ってる。何かあるんじゃないかって」
 やはり君もローズと同じことを考えていたようだ。
「とんでもないことが起きるだろうな。平和なようで平和じゃないな」
 焔はうんざりしたように言った。
「焔、平和は脆いものだよ。だから人は一生懸命生きるんだよ」
 君は落ち着いた声で言った。何か思い当たることでもあるのだろうか。
「そうだな」 
 焔は今回のことでしみじみとうなずく。
「で、事件のことや本のことはどのぐらい知られているの?」
 ローズはふと思ったので聞いた。
「違い目の民が盗んだこととか全部賢人総会で知らせた。そこで本のことでいろいろとあった。あと、知り合いにはもっと細かいことを知らせたけどな。賢人以外には他言無用ってさ。何したって黙ってりゃ分からねぇのに。今頃、内心ビクビクだろうな」 
 焔は馬鹿にしたように言った。彼は違い目の民のことを聞いた体面ばかりの者達のビクつきを思い出し、面白くなった。事件によって大変な立場になっていた大賢者彩月は納得した様子だった。
「そう、大変ね。こういう時こそ賢人と呪術師が都を上げて協力すればいいのにそれもなさそうね」 
 ため息をつきながら賢人総会で大変だっただろう二人に同情する。二つの都が都規模で協力すれば何とかなるだろうが互いに嫌っている者が多いのでうまくいかない。
「まぁ、何とかなるよ。頼りになる人はいるし」
 そう言い、君は焔に笑いかけた。
「おいおい」
 焔はからかい笑顔の君に参ったように頭を掻いた。
「さてと、もう行こうかしら」
 ローズは話が一段落したのを感じて床に置いていたスーツケースを持ち、立ち上がった。その時、焔の言葉が降りかかった。
「かわいいロールパン、全てを知った後だとしても旅は続けるのか?」
 ローズは笑みを向け、
「えぇ、続ける。全てを知ったとしても発見がないわけじゃない。以前、見たものも今、見ればきっとその時に見つけることができなかった発見があると思うのよ。それに勝手知った中にも常に発見はあるものよ」
 と答えた。
「……そうか」
 カラカラと焔は笑った。ローズらしいと思っているのだろう。
「もう行くって言っても、もう夕方になるよ」
 話し込んだおかげで、時間は飛ぶように過ぎっていった。
「えぇ、でも太陽はまだ沈んでいないし、一日は終わっていないから。私は行くつもりよ。心配ありがとう」
「そうか。気をつけてな」
「またね」
 三人はここで別れた。
 
 二人はまだ残っていた。
「そういえば、違う呪術の言葉が出た時、君は知っているようだったけど」
 思い出したように訊ねた。
「あぁ知ってる。お前も知ってる奴だ。……遠い人の国出身の陽気な奴だよ」
 と言う。その言葉で君はすぐに分かった。
「緑樹(りょくじゅ)か!」
 君は驚きと希望に声を上げた。
「そうだ。あいつならできるかもしれない」
 焔は力強くうなずいた。
「でも彼は今、国に戻ってるんじゃなかったけ?」
「そうだ。……そこが問題なんだ」
 と答えた。
 結局、話は進まなかった。