第14章 深緑街〜始まり〜
 
 
 北の頑固な森と別れ、五日。上古の探索者は道を急ぎ、自然の街、深緑街に到着した。そして、彼女は森の声を聞く者が住んでいる家に向かった。
 
 午前の爽やかな陽光が射し込む中、森の小さな家ではチャイムが鳴り響いていた。
「はーい」
 扉が開けられ、ニコル・モリアンが顔を出す。そして、驚く。
「……ローズちゃん!!」
 ローズは微笑を浮かべ、うなずいた。
「入って! 入って!」
 とても嬉しそうにローズを中に招き入れた。
 
 居間でもてなしを受けるローズはゆっくりとした時間を得た。
「久しぶりだね。ニコルさん」
 まずは挨拶。
「うん。で、行けたの? どんな所だった?」
 挨拶が終わると、待っていたとばかりに質問を浴びせる。
「行けたよ。……とても素晴らしい所だった」
 と言って世界の中心までの道中のことを話した。
「………すごいね。あぁ、私も行きたい」
 話を聞いたニコルはほぅと息をついた。
「幻の森は?」
 次はローズが訊ねた。
「行けたよ。……とても美しくて、儚かった」
 目を輝かせながら、幻の森についてありありと語った。
 幻の森に通じる白い霧や森に咲いていた見たこともない美しい花や幻の森を案内してくれた風。様々なことを話してくれた。そして年中花が咲き乱れている美しさの裏にあるものや霧の発生について森に聞いたことを語った。
「森にも長く生き、長く花咲いていたいという夢があったのね。私達と変わらないね。私達も長く生き、できれば地位や名誉が欲しいと思ってる」     ローズはニコルの話を聞いてゆっくりと口を開けた。
「その通りだよ。でも多くの木達は花咲くことなく人間に切られてしまい、散るものが多い。……幻の森は森達の夢と死んだものの願いで作られた儚い森なんだよ。そして、その通り道の霧はその夢や願いが強い森に現れるんだって」
 ニコルは寂しさのある声で言った。
「私、その話を聞くまで年中、花が咲き乱れていて季節が無い儚い森でどこか夢のような場所だと思ってた」
 ニコルは切なそうに語った。旅の思いが胸に溢れるのだろう。
「切ないことね。霧のある森は多くの木が消えてしまったってことでしょう」
 ローズはぽつりとそう言った。
「……私もそう思ったんだ。でも、希望はあるって言ってた。生まれてくるものがいると」
 沈みつつも心の奥に残った言葉を口にした。
「と、こんな話はここまでにしょっか。せっかくローズちゃんが来てくれたんだから」
 ニコルはぱっといつもの元気な彼女に戻った。
「……今日はニコルさんにお礼が言いたくて来たのよ。本当にありがとう。あなたのおかげで目的を達成することができたよ。本当にありがとう」
 心の底からのお礼にニコルは頬を赤らめた。
「いいって、そんな」
 照れたように言った。
「あと、長老にもお礼が言いたいのだけど……」
 ローズは最も礼をしなければならない存在を忘れてはいなかった。
「案内するよ。行こう」
 ニコルは快く案内をすることにした。
 
 緑が天から降り注ぐ金色の光を受けて温かい雰囲気を纏っていた。そのせいか森は暖かい空気だった。心地良い風が通り過ぎて行く。
「……着いたよ」
 二人の前には巨大な老木がいた。長い年月を生き抜いたどっしりとした風格があった。自然と畏敬の念が湧き起こる。
(……長老、お久しぶりです。私は無事に旅を終えることができました)
 ローズは老木に声無き声で話しかけた。
(……そうか)
 長老は葉を揺らしながら答えた。
(あなたのおかげです。深く感謝します)
 思わずローズは頭を下げた。
(おぬしの強い心が成したことであって、わしは何もしてはおらんよ)
 深い声がローズの心に響く。 
(いいえ、話がとても参考になりました。ありがとうございます)
 ローズはもう一度礼を言った。
(……そうか)
 長老は一言言うだけだった。
(はい、また来ますね)
 別れを言い、ローズは歩き出した。
「あ、ローズちゃん」
 ローズと長老のやり取りを眺めていたニコルは慌てて歩き出した。
 
 二人はニコルの家の玄関前にいた。別れの時がやって来たのだ。
「それじゃ、もう行くね。お元気で」
 ローズは別れの言葉を口にした。
「うん、ローズちゃんも元気でね。ねぇ、私と会ってからハカセに会った?」
「ううん会っていないけど。どうかしたの?」
 ローズは不思議そうに訊ねた。
「私のこと、ニコル・モリアンになったこと言わないでほしいの。……私がハカセに会って言いたいから。ちょっと驚かせたいから」
 彼女にとっては重要な頼み事をする。
「いいよ。ニコルさんに会ったらハカセ喜ぶよ」
 快くそれを受けた。二人が無事に再会することを願った。
「それじゃ、またね。あとロベルさんにもお礼を言っておいて」
 ローズはもう一人礼を言うべき者の名を挙げた。
「うん、言っておくよ。気をつけて。……ありがとう」
 ニコルは旅人を見送ろうとした時、やって来る青年の姿が目に入り、二人の別れが少し延びた。
「お、ローズちゃんじゃないか」
 やって来るなりロベルはローズに声をかけた。
「ロー、何かあった?」
 ニコルはそんなロベルに訊ねた。
「……本を借りに来たんだ」
 ロベルは笑顔で答えた。
「ちょっと、前に貸した本、まだ返してないじゃん」
 ニコルはあからさまに顔を迷惑色に変えた。
「今度、返すからいいじゃん。な? 友達だろう」
 いつものごとく頼み込む。しかし、それで早く返したことはない。そのためニコルは渋っている。
「……分かったよ」
 ニコルは仕方無く折れた。折れるまでロベルは諦めず、まとわりついてくるからだ。
「ありがとな。で、行けたのかい?」
 ニコルに礼を言った後、ローズに注意を向けた。
「えぇ、とてもすごい所だったよ」
 ローズはそう答えた。
「へぇ、どんな所だったんだ?」
 ロベルは興味を示した。
 そこでニコルに話したように旅について話した。少々、長い立ち話となったが。
「そこは形がなくて私達が感じ取ることができる以上の世界だった。とにかく、言葉では言い表せないのよ」
 ローズは何とかして世界の中心を言葉にしようとするがなかなかできない。
「とにかくすごかったんだな。オレも旅に出ようかなぁ。ニコルとローズちゃんの話を聞いていると自分も旅したくなるな」
 ロベルは少し羨ましそうな声を上げた。
「そうしてくれると私はありがたいよ。本を借りに来る人がいなくなるから」
 ロベルにちょっかいをかける。
「そういうこと言うかぁ」
 ロベルは少しムキになって声を上げた。
「ロベルさん、ありがとう。あなたのおかげで目的を達成することができたよ」
 ローズはロベルに礼を言った。
「そっか」
 お礼を言われてロベルは少し照れている様子。
「それじゃ、また」
 ローズは別れの言葉を言った。
「うん、気をつけてね」
「元気でな」
 深緑街の二人は別れを言い、ローズを見送った後、二人は家の中に入った。
 
 二人は本の貸し借りをするため居間にいた。
「はい、これでいいね」
 ニコルはロベルが言った本を机に置いた。どうやら二冊貸すようだ。
「おう、さすがニコル」
 嬉しそうにロベルは手を叩いた。
「読んだらすぐに返してよ」
 ニコルは強く念を押す。内心ではまた遅いだろうなと思っている。
「分かってるって」
 ロベルは本を抱えて軽い口調で言う。信用は全くできない。
「ローのその言葉、頼りにならないんだよね」 
 きっぱりと失礼なことを言う。
「そういうこと言うなよ。今度こそ早く返すからな」
 ニコルの口調にムッときて言い返すが、前科が多くあるため信憑性は無い。
「はいはい、信じずに待ってるよ」
 ニコルは適当にロベルをあしらった。
「またそういうことを言う」
 ロベルはかなり信じられていない。元々この青年は忘れやすいところがあり、自覚はしているが直せずにいるのだ。
「本当のことじゃん」
 軽く言う。これまで何度もあったのできっぱりと言い切る。
 それなら、貸さなくてもいいのにそうはしない。文句を言いながらも貸すのだ。やはり友人の力になりたいと思っているからだろう。それに頼りにされるのは悪くない。
「とにかく、借りて行くからな」
 ロベルはそう言って居間を出て行った。
 ニコルはそれをため息混じりに見送った。
 
 本を抱えたロベルが出て行った後、ニコルは長老に会いに行った。
(再会って思いがけないところにあるもんだよね)
 ニコルはそう言った。脳裏にはとても尊敬してやまない歴史家がいた。 
(そうだのう。今回のようにとんでもないことを目指している者に出会えるとは思ってもいなかったからのう)
 葉音が辺りに響く。
(そうだね)
 ニコルも同じ気持ちらしく同調する。
(……ニコル)
 急に長老の声に緊迫さが表れた。 
(どうしたの? 何かあった?)
 ニコルはその声に不安を抱き、訊ねた。
(……声が聞こえる)
 長老の言葉にニコルは心を澄ます。
 ニコルの頭の中にか細い声なき声が響いてくる。
(……た、す、け……て……守れ……ない……もう……だ……め)
 心を澄まさないと聞こえないほどの小さく弱々しい声。
(……聞こえたけど。これは?)
 声から不穏なものを感じ、眉を寄せる。
(わしら森には共鳴というものがある。声が森を伝い伝い響いてくる。同じ大陸ならば、かすれはするがはっきりとする。海を越えた所ならば、かすみ、途切れ途切れになる。さっきの声もそうだったからのう。何かあって弱っているかもしれぬ。……行って見た方がよいかもしれん)
 不安を含みながら語った。
(それなら、行ってみようか?)
(行ってくれるか)
 ニコルの申し出に心配を含んだ声で返した。
(……遠くの声を聞くにはどうすればいい? ここは森の中でうまくいくけど。海を越えた所となると、船の上で聞かないといけないかもしれないし)
 不安のある声で訊ねる。
 答えは心地よい低音で返ってきた。
(……わしらと話すよりも心を澄まし、全てを遠くに向ける。要領はそう変わらん)
 その言葉を聞いたニコルはうなずき
(……ありがとう)
 そう一言、言って家に戻った。
 戻るなり、旅仕度をしてロベルに当分会えないということを告げて翌日、旅立った。
 港のある街に向けて。
 
 その頃、ローズは時の雫を目指して歩いていた。