第3章 薬
呪術師が多く住まう妖しの呪術師の都では最近、“ピュティス”というピンク色の粉が約一週間前から流行し、ものすごい浸透率で水面下を汚していた。ちょうど図書館責任者が知人に相談をする前日のことである。
その理由は、幸せになるとか体が軽くなるという多幸感を人々に与えるからだ。
しかし、それら全てはまやかしにしか過ぎず、その実体は歪曲した恐怖に満ちたものでしかなかった。
二人の大賢者と出会ってから三日後の午後の陽光が花々が咲き乱れる庭を包む。
庭ではお茶会を楽しんでいる声が溢れていた。
「ねぇ、偉大な呪術師、あなたにいい物見せてあげる」
呪いの天才と謳われる魔女が言った。
「いい物とは?」
偉大な呪術師が嫌な顔で訊ねた。艶のある髪が午後の陽光に照らされ、時々吹く風が髪を揺らす。
「これよ」
と言って取り出したのはピンクの粉が入った小瓶だった。
「それは一部で流行している“ピュティス”という物ですね。趣味が悪いですね、魔女」
それを聞いた魔女は肩をすくめ、少しがっかりしたように
「知ってたのね、残念。自慢しようと思ったのに」
と言ったが、魔女の言葉はそれで終わりではなかった。
「よく見てご覧なさいな。感じるものがあるんじゃなくて?」
偉大な呪術師は魔女に促されるまま小瓶を手に取り、睨む。
「呪いがかかっていますね」
と呟いた。
「そうよ。で、それが何か分かるかしら?」
面白そうに訊ねる。
「依存性の強い呪いですね。幻覚作用のある物でしょうか」
呪いの正体を見事に言い当てる。彼にとってこんなことは造作のないことだ。
「その通りよ。見る幻覚は幸せなものでしょうけど、体の内部をじわじわと蝕んでいくのよ。面白いわよね。最期は痛みと幻で狂って死ぬのよ」
さらりと言うその口調は楽しそうである。だから、悪趣味なのだ。
「……狂って死ぬ、あまりいいものではありませんね」
少し眉をひそめて言う。
「薬を求めるあまり家族さえも殺してしまったっていうのもあるらしいわよ。他の呪術師さん達はどうにもできなくて大慌てよぉ。あまりのひどさに街も出入りできなくなっちゃったし」
ここに来るまでに目にした光景を思い出しながら話した。街の出入り口で訪問客が追い返されていたり、血みどろのナイフを手に薬を求めながら歩き回る中毒者、被害に遭わないようにと避ける通行人、呪いと見抜くも何もできないでいる呪術師。徐々にこの都の風景が危険なものに変わりつつある。彼女にとってそれはあまりにも楽しいことである。
「あなたのことですから止めなかったのでしょうけど。このままにしておくのはあまりにもひどいですよ」
ため息混じりに言い、小瓶をテーブルに置いた。まともな神経を持った彼は今の状況を何とかしないといけないと思い始めている。
「当然じゃなくて。あたしの一番嫌いなことは解呪よ。あれほどつまらないものはないわ」
当たり前のようにさらりとひどいことを口にし、喉を潤した。
「でしょうね。ちょうど本物が目の前にあることですし、逆の効果のある薬を作ることができますね」
力を持つ者のまともな考えを言った。救う力があれば救いたいと思うのが普通である。
「あら、本当に作る気?」
信じられないというように肩をすくめ、わとざらしく声を高くした。
「えぇ、このままにしておくことはできませんからね。少しの間、待ってもらえますか?」
適当に流し、小瓶を持って立ち上がった。どうすればいいのかはこの呪いを見た瞬間に浮かんでいる。あとは形にするだけである。
「気分が良ければ、待つわよ」
お菓子を一つ口にしながら適当に言い、屋敷に入って行く偉大な呪術師を見送った。
「では、少しこれを借りますね」
偉大な呪術師は作業をするために動き出した。
数十分後、二つの小瓶と一つの紙切れを持って偉大な呪術師は中庭に現れた。
「あら、もう終わったの? 早いわねぇ」
つまらなさそうに言い、お菓子を一つ頬張った。
「これを流行らせてもらえませんか? 作り方はこの紙に書いていますから」
小瓶二つと紙を魔女の前に置いた。
「あたしにこれをねぇ。確かにこれなら何度か服用すれば解呪されるでしょうけど」
作製された白色の粉の入った小瓶を手に取り眺めながら言った。
「趣味ではないと?」
明らかに嫌そうな顔をした魔女に確認するかのように言った。
「当然でしょう」
愚問というようにあっさりと言い、喉を潤した。
「そうでしょけど、協力する価値はありますよ。こちらが行動を起こせば犯人が動き出しますし」
渋っている魔女にとどめの言葉を口にした。必ず彼女が動くだろうと確信して。
「あら、そういう考え方もあるわね。こんな騒ぎを起こすほどだから。少しは楽しめそうだし、協力するわ」
ころりと顔色を変え、解呪用の小瓶をスカートのポケットに片付けた。彼女にとって誰かを救うというのは興味ない。興味があるのはただ一つ、事件の犯人である。できることなら犯人をその呪いの技で楽しみたいとさえ思っている。
「ありがとうございます。作り方があれば、大抵の呪術師なら作ることができます。適当に売りさばいている者にこちらのが売れるとか言えばいいですよ。あなたならできるでしょう? この薬を手に入れたぐらいなんですから」
満足げに礼を言い、後のことを魔女に任せることにした。何かと言いながらもきちんとやってくれるだろうと信じながら。
「はいはい。では、おいとまするわ」
紙切れをちらりと見た後、持って来た小瓶と一緒にスカートのポケットに片付け、まだ不満そうな顔を浮かべながら屋敷を出て行った。
「……もう少しゆっくりしますか」
偉大な呪術師は厄介者が消え、静かになった中庭でゆっくりとお茶を楽しんだ。
自分のやるべき仕事は終わった。仕上げは魔女がやってくれるはずだ。
「いつも厄介事ばかり持って来くるのだから少しは力を貸して貰わないと」
渋っている魔女の顔を思い浮かべ笑みをこぼしながら喉を潤した。
解決策を講じてから三日後のある日。街は、変化がないようで少し変化があった。狂った者達がほんの少し減った気がするが、相変わらず街を闊歩するのは薬を求める狂った人達ばかりで正常な人々は家に閉じこもっていた。
「すぐに大きな変化が出るっていうものじゃないわよねぇ」
魔女は相変わらず面白げに公園のベンチに座り、狂い踊っている人を眺めている。
「相変わらずですね」
透き通った少年の声がし、後ろを振り返った。
「あら、それはあたしだけじゃないでしょ? とても楽しいものよ」
偉大な呪術師に小悪魔な笑みを向けた後、また犠牲者を楽しそうに眺めた。助けようなどとはこれぽっちも考えていない。
「それよりどうかしたの?」
家に閉じこもっているはずの偉大な呪術師に訊ねた。
「ずっと家にいたのですが、少々気になって出て来たんです。あまり、変化はないようですね」
辺りを見回しながら、答えた。
「出て来て正解よぉ。こんなに楽しいことは滅多になくてよ」
唇を舐めながらさも愉快そうに言う。
「……そうでしょうね」
あまり相手をしたくないのでさらりと流した。
ふと別の呪いの力をそれも強い力を二人は感じ取った。
「……どうやら犯人みたいですね。私達を知っているかもしれません」
近づいてくる嫌な気配に慎重な顔で言う偉大な呪術師。二人はベンチから立ち上がり迎えることにした。
「おそらく、知ってると思うわよ。あたし達って有名ですもの」
唇を舐めながら不敵な笑みを浮かべる。
「……あなたは」
魔女の言葉に返す言葉を無くし、ただ前を見つめた。彼女の言うように有名であるが、なりたくてなったわけではないので魔女のように平気に言えない。
「あなたは謙遜しすぎよ。ねぇ、そう思うでしょう」
偉大な呪術師に小悪魔な笑みを向けたかと思ったらやって来た人物に声をかけた。これから始まることにわくわくしながら。
「確かに。よろしく、この都で一番の有名人さん達」
現れたのは6歳ぐらいの少年の姿をした人物だった。艶のある髪は一つに束ねられ、軽装でサンダルを履いている。どこか気まぐれな感じがし、それでいて抜け目のない鋭く冷たい目をしていた。その目の何よりの特徴は右は紫、左は黄色であった。
「あなたは」
現れた姿に気を引き締めた。何日か前に賢人の都で騒ぎを起こした人物と特徴が一致している。
「あら、分かってるじゃない。あなたが犯人ね」
偉大な呪術師が言葉を続けるよりも先に魔女が言った。
「それは答えなくても分かるよね」
外見通りの陽気さで答えるも目は陽気ではなく鋭く二人を見ている。
「あなたは何をしようとしているんですか? 賢人の都を陥れようとしたりこの都も」
呪いをかけられた本や今の状況について自分が抱いた考えを言葉にしてぶつけた。
「陥れるかぁ。ボクにその気は無いんだけどね。ただ、自分の心が命じるままに動いているだけで」
悪気のない軽い口調で答え、周りを歩き回っている犠牲者に目を向けた。
「そんな言葉で引き下がるわけにはいかなくてよ。どんな気があるの知りたいわねぇ」
唇を舐めてからねっとりと言った。犠牲者のためではなく興味津々の自分のために聞き出そうとしている。
「この世界、思い人の世界とはよく言ったものだよ。世界は人の思いで成り立っている」
くるりと背を向け、組んだ両手を頭に回しながら空に向けた。空は相変わらず平和な青色をしている。
「それがどうしたのかしら」
なかなかはっきりしない答えに少しイラっとしながらも話を促した。
「その世界とはどういうものなんだろうね。そもそもこの世界にボク達は本当に存在しているんだろうか」
組んでいた手をほどき、再び二人の方に向き直り、妙なことを口走った。
「難しい問題ですね。あなたはそれを知りたいと? そうだとしてもこういうことをする必要はないのではありませんか」
答えの有無さえも分からない少年の言葉に彼の目的と疑問を口にした。
「そうかもしれない。でも、ボクはそうする。心が命じるままに」
胸に手を当てながらゆっくりと揺るぎない決意のこもった言葉を口にした。
「心が命じるままにねぇ」
辺りを歩く狂った人々を面白そうに見ながら納得できない答えをわざとらしく言った。
「心が命じるままに全てを壊していくと」
これから起きるだろうことを言う偉大な呪術師の顔には苛立ちも呆れもなかったいつもと変わりのない静かな色が塗り込められていた。
「何か見えてくるかもしれない。今日はこれで、またね」
悪戯っ子のように笑ったかと思ったら背を向けて歩き出した。
「名乗らずに去るなんて礼儀知らずじゃなくて」
去っていく背中に厳しい言葉が飛んだ。
「それもそうだね。ボクはキャッツって名乗ってるよろしく」
足を止め、二人に振り返ってようやく名乗り、軽く笑いながら風のように去って行った。
二人はその後を追うことはしなかった。
今から追ったとしてもきっと姿は消えているからである。なぜなら、こんなに都がひどいことになっていながら今日まで犯人に会うことがなかったからである。それほど尻尾を掴むことは簡単ではないということである。
「子猫ちゃんがこれで終わりにするわけないわね。これからもっと楽しくなるわよ」
この先に起きるだろう多くの人の不幸を脳裏に浮かべ、楽しそうに笑む。
こんな彼女がキャッツを捕まえて世界平和に貢献するわけがない。
「でしょうね。とりあえず、今の状況が良くなることだけを考えるべきですね」
常識的な彼は息を吐き、これからするべきことを頭の中で順序立てをしていた。
この後、二人はこの場所で別れ、それぞれの時間を過ごすことにした。
魔女は楽しそうに外を歩き回り、偉大な呪術師は屋敷にこもった。
しばらくして都は出入りが自由になり平和な元の姿に戻った。
巷では“ピュティス”よりもずっと楽しくなると言われている白い粉が流行り、それを人々は勝手に“キルミア”と呼んだ。その薬が偉大な呪術師が作製し、魔女が広めたと多くの人は知らない。ただ、その薬が命を救ったことだけは確かな記憶として残るも戻った平和には今までにはなに暗い影があった。都がまた恐怖に彩られるのではないかという不安の影が。
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