第2章 本の行方
 
 
 二人の大賢者が目的地、呪術師の妖しの都に辿り着いたのは三日後の朝だった。のんびり観光ではないので休まず、目的地を急いだため早く到着した。街は相変わらず、呪術師と依頼者を助勢する組織がいくつも建ち並んでいた。
 都の着くなり二人は氷室の大賢者を捜し始めた。
 
「……この辺りか」
 焔は足を止め、じっと裏通りに続く道を見つめた。
 二人は盗難防止の呪いを辿っていた。先を歩くのは大賢者であり呪術師の焔である。
「……行ってみよう」
 足を止めた焔を促した。音信不通となった氷室も心配だが、苦しい立場にある彩月のこともある。早くしなければならない。
「……あぁ」
 のんびりしていられない状況だということを分かっているので再び歩き始めた。細心の注意を払って。
 
 歩き出した二人の足はすぐに止まった。
 道に誰か人が倒れていたのだ。
「……あれは、氷室?」
 眉を寄せ、足を止めて道の先に倒れている人を見る。
「そうかもしれない」 
 同じく足を止めた君も焔と同じ方向を見た。
 二人はよく彩月が責任者となっている図書館を利用するのでそこの職員である氷室のことは知っている。
 二人は急いで倒れている人に近づき、顔を確認してほっとした。
「やっぱり、氷室だ。見つかったな」
 焔はほっと息を吐いて安心した。
 氷室と言われた者は20歳ぐらいで肩まである銀髪が美しい青年だった。顔色が異常なほど蒼白だった。
「……見つかってほっとしたけど。どうしてここで倒れてるのかな。それに」
 君も安心はしたが、一方で不安を感じた。その理由は倒れている彼が抱きかかえている物にあった。
「……『トキアスの成り立ち』だな」
 焔は氷室が抱えている物、本を見て少し緊張し始めた。
 盗まれた物がこうもあっさり見つかるとは何かあるとしか思えない。 
「……呪いだ」
 呪術師としての力が目覚めない氷室に秘められたものを突き止めた。
「……どうする? ここで解呪する?」
 じっと気を失っている氷室を見ながら訊ねた。
「……そうだな」
 少し迷いながら氷室を見た。
 時間がない今、ここで解呪すれば時間短縮になるが、下手に急いで落とし穴に落ちるわけにはいかない。ここであっさりと解くことができる呪いともかぎらないのだ。
「……焦らない方がいいですよ」
 背後から少し艶のある澄んだ声がし、二人は振り向いた。
 そこに立っていたのは6歳ぐらいの外見をした男の子だった。
 肩まである艶やかな黒髪に細長い漆黒の瞳を持ち、ゆったりとした服装をしている。
 腕には紙袋を抱えていた。
「こんな所で解呪をするわけにはいかないでしょうから私の屋敷にでもどうぞ」
 少年は氷室の様子を窺いながら二人に言った。
「あぁ、そうさせてもらうか」
「うん」
 二人は突然現れた少年の提案を受け入れた。
 氷室のことがあったので肝心の質問をするのを忘れていた。一体何者かと問う質問を。
 そして、少年の屋敷へと移動することにした。焔が氷室を抱え、君が本を持って少年について行った。
 
 二人の大賢者が案内された所はそこそこ大きな屋敷だった。
 屋敷内は外装に負けないほどの広さで品の良い調度品が置かれ、余計な物など一つもない。来客は居間に通され、呪いにかかった氷室をソファーに座らせ、君は本をテーブルに置いてから氷室の横に座って成り行きを見守ることにした。少年は来客を案内した後、荷物を片付けに部屋を出た。
「……解いてみるか」
「……気をつけて下さい。呪い自体は大したことはありませんが、解呪者が呪いにかかってしまうものですから」
 焔は呪いを解こうと氷室の前に屈み、彼の左手首を握った。お菓子やお茶セットを持って戻って来た少年の方を見た。君は氷室を心配そうに見ている。
「あぁ、大丈夫だ」
 息を吐き、気持ちを落ち着かせる。大賢者となってから呪術師として活動することは減った。うまくできるかどうか緊張が走り、氷室の手首を握る手にも力が入る。そして、ゆっくりと呪いを解いていく。氷室の顔色もそれに伴って戻っていく。何とか呪いを解いたようだ。解呪が終わると焔は氷室の横に座った。
「……なぁ、何者だ? 呪術師だろ。呪いの気配を感じて来たんだろ?」
 落ち着いたところで向かいの席に座ってのんびりとカップに口をつけている少年に訊ねた。すっかり自分が名乗っていないことを忘れている。
「それは……」
 カップを置き、名乗ろうとした時、来客を知らせるチャイムが鳴り、話を止めた。
「すみません。ちょっと席を外しますね。厄介な来客でしょうけど」
 来客の見当がついている様子で部屋を出た。
 残された方はゆっくりと待つことにした。
 その間に氷室の意識が戻った。
「……ん、ここは?」
 氷室はまだぼんやりとする意識の中、声を出した。
「起きたか、氷室」
 ほっとした焔は思わず声を上げた。君も心底安心の顔をしていた。 
「あぁ。焔の大賢者に大賢者の君」
 氷室は知った顔を見てほっとした。
 そうやって三人が互いにほっとしていた時、扉の先から少年と来客と思われる少女の声がし、扉が開いた。
「お待たせしました。目を覚ましたんですね」
 少年が現れ、目覚めた氷室を見て声をかけた。彼の背後から来客と思われる少女が姿を
現した。6歳ぐらいの外見に美しい金髪をおだんご二つと両側の三つ編みでまとめ、ピンクを基調にしたフリルいっぱいの可愛らしい服装に容姿は愛らしいがどこか小悪魔的でもある。   
「あぁ、その可愛らしいお嬢さんは?」
 焔は少年の言葉にうなずきつつも少女が気になるのか視線がそちらに言っている。
「まぁ、可愛らしいなんてお上手じゃなくて。あたしは魔女よ」
 少女は嬉しそうに右手を頬に当て焔の質問に答えた。可愛らしい仕草のわりに飛び出した名前はとんでもないものだった。
「魔女ってあの呪いで多くの人間を闇に葬ったという」
 本人を目の前にしてとんでもないことを口走りつつも驚きはおさまらない。
「まぁ、ひどい噂ね」
 可愛らしく肩をすくめ、少し口を尖らせた。
「それで君は?」
 君がようやく少年に正体を訊ねた。
「あらぁ、まだ名乗ってなかったの? 自分が偉大な呪術師って呼ばれてるって」
 少年が答えるよりも先に魔女が正体を明かし、少年に小悪魔的な視線を送った。
「本当か!? あの天才と呼ばれてる」
「そんなことはないですよ」
 真っ先に驚いたのは焔だった。焔の驚きの声にも穏やかに流し、目覚めた氷室と魔女のためにカップの用意を始めた。魔女はさっさと席に座った。
「いや、今回の呪いだって氷室を目にする前に分かってたんだろう」
 タイミング良く現れたことを思い出し、そのことを口にした。
「それは呪術師をやってますから」
 これまたあっさりと流し、魔女の隣に座った。
「それよりあなた達は?」
 魔女は優雅にカップに口をつけながら君達に訊ねた。
「あぁ、オレは焔の大賢者で向こうが大賢者の君にこっちが氷室の大賢者だ」
 焔が名乗り、他の二人の正体も明かした。
 これでお互い正体が分かり、話もスムーズに進むだろう。
「本当に賢人って面白いわねぇ」
 カップを置きながら面白そうに三人を見た。この時、彼女の脳裏には偉大な目的を目指している旅人の姿が浮かんでいた。
「まぁな。まぁ、嫌ってるのは一部だし、オレは元々呪術師だったし」
 魔女の言葉にも嫌な顔はせずに肩をすくめて言った。
 一般的に広まっているのは一部の者の考え方であって、個人を示すものではない。
「……氷室、大丈夫かい?」
 君は話をしている間もぼんやりとしてカップに口をつけていない氷室を気遣った。
「……何とか」
 大きな息を吐き、ゆっくりと喉を潤した。まだ少し体の負担が抜けない。
「一体何があったんだい?」
 ここに来た目的を果たすための質問をした。
 氷室はカップを置き、ゆっくりと話し始めた。
「ここに本を盗んだ奴がいることを知って僕は本にかけられた呪いを追った。そして、出発して翌日、都に着いて本を持っている奴を見つけたけど、呪いをかけられて気を失ってしまった。倒れたのが裏通りで誰も通らない所だったから」
 偉大な呪術師や魔女がいるとしても場所が悪かった上に偉大な呪術師はそれほど外出する方ではないし、呪い好きの魔女に至っては放置することは目に見えている。そのため今日まで助けられることがなかった。君や焔が旅立った意味は十分にあった。
「……そっか。それでその犯人のことは覚えてる?」
 さらに重要なことを訊ねる。
「……多分、6歳ぐらいの子供の姿をした少年だった思う。でも顔は覚えてない。ただ目は覚えてる。とても印象的だった。紫と黄色だった」
 目を閉じ、ゆっくりと意識を失う前の記憶を呼び起こす。犯人と思われる人物の顔はぼやけるが、輝く色違いの目が体を震わせる。
「大丈夫? ごめんね、嫌なことを思い出させて。でも色違いの目って違い目の民かな」
 苦しそうにする氷室を気遣いつつも思い当たるものを口にする。
 彼が口にした違い目の民とはどんな者よりも賢く呪術の力が飛び抜けて強いと言われ、一番の特徴は色違いの目であり、それは底知れぬ力が宿っている証であると言われている。
「間違いないな。でも有り得ないだろう」
 焔の顔が曇った。その理由は違い目の民は滅びたとされ、近年姿を見る者がいないためである。その理由として色違い目のための迫害で滅びたとか巨大な力のためだとか様々に囁かれているが、どれも確実な理由にはならないでいる。
「そうだとしても生き残っている者はいるはずだよ。今まで見なかっただけでそれがすぐに滅びたとは言えないし」 
 お菓子を食べながら曇った顔の焔を納得させることを言った。
「……違い目の民って。楽しそうな話みたいねぇ」
 下唇を舐めながら大賢者達の話に首を突っ込み出した。横では偉大な呪術師が不機嫌な顔で狂気じみた魔女を見ていた。また、とんでもないことになると思っているようだ。
「実は……」
 焔が事情の知らない呪術師二人に本盗難の話をした。
「そういうことですか。それでお二人は本を」
 事情を呑み込んだ偉大な呪術師は三人の大賢者と本を見比べた。
「あぁ、本も戻って来たし。安心はしたけどな」
 安心したように言い、お菓子を口に放り込んだ。
「……呪いがかかっていますね」
 ふと本を手に取り、表紙を睨みながら呟いた。
「やっぱりそうか」
 彼の言葉に焔の顔が真剣な呪術師のものになる。
 氷室が本を抱えていた時から薄々感じていたことだ。こんなにも簡単に本が戻って来るとはあまりにも簡単すぎると。
「おそらく、それが犯人の目的でしょうね」
 本から顔を上げ、じっと焔を見た。
「本に呪いをかけてオレ達が回収するのがか?」
 何が言いたいのか分かりつつも続きを促す。
「回収すれば、誰かが本を開きます。本を開いた者は呪いを受け、呪いにかかった者に接触した者も呪いを受けてしまう。そういう系統の呪いがこれにかかっています」
 本をテーブルに置き、静かに言った。手に取る前から感じていた呪いの気配。手に取って一層、大変な呪いがかかっていることを知る。
「それであなたは解呪したいわけね。つまらないことを考えるわねぇ」
 優雅にお菓子を食べながら偉大な呪術師の性格をよく知っている魔女はつまらなさそうに言った。彼女にとって解呪は最もつまらないものなのだ。呪いこそが最高に楽しめる道具だと信じて疑わないため彼女が解呪を行うことは天変地異が起きても有り得ないことである。
「どうする?」
 焔が君に訊ねた。今回の旅の主導権を持っているのは彩月に頼まれた君である。彼が選ぶべきことである。
「……もうお昼になっちゃうよね」
 ふと大きな窓の外を見ながら言った。窓からよく手入れのされた庭が見える。大変なことが起きているというのに変わらない温かな光が降り注いでいる。
「……そうですね。今から作業を始めれば何とか今日中にできるとは思いますが、かかっている呪いの力にもよりますからどのぐらいでできるかは」
 本を見ながら少しだけ曇った顔で答えた。呪術の天才と呼ばれている彼にも答えられないほど本の呪いは厄介なもののようだ。
「……できればこの本、早く持って帰りたいんだ。この本の盗難で窮地に立たされている友人がいるから」
 呪いのことは気にかかるが、それよりも彩月のことがとても心配である。辞職についても大したことではないと言っているが相当参っていることは何となく分かっているので安心させたいのだ。
「……そうですか」
 強制することなく、引き下がるもまだ気になっているのか本の方を見た。
「呪いなら一応、オレも呪術師だし。どうしても手強かったら知らせるし本を送る。それでいいんじゃねぇか」
 焔は少し重くなった空気を軽くするかのように気楽な口調で言い、お菓子を食べた。先ほどまでの真剣な顔はあっという間に崩れていつものちゃらちゃらの顔に戻っていた。
「そうだね。ごめんね」
 焔の助け船にうなずき、せっかくの申し出を断ったことに謝った。
「いいえ、何かあればすぐに知らせて下さい」
「そうよぉ」
 気分を害されることなくただ力になることだけを言った。逆に魔女は不吉なことを期待しているとしか思えないねっとりとした笑みを浮かべていた。
「じゃぁ、僕達はこれで」
「また、何かあったらそっちも知らせてくれよ」
「あ、僕も。ありがとうございます」
 お互いの居場所を知らせ合って話を終わりとしてから別れた。
 ずっと聞いてばかりだった氷室も呪術師の二人に礼を言ってから君達について行った。
 
 三人は賑やかな通りに来ていた。
 足を止め、これからのことを話し始めた。
「で、二人はもう戻るのかい?」
 氷室は気になることを訊ねた。
「うん、彩月のことがあるから。君のことは彼に言っておくから」
 自分の荷物の中に本を入れている君が答えた。
「お前はもう少し休んでから戻って来いよ」
 焔はいつものようにお気楽な調子で氷室を気遣った。
「そうするよ。気をつけて」
 疲れが浮かんでいる笑みで答え、出発する二人を見送った。
 
 二人は休むことなく賢人の都を目指し、三日目に帰還することができたが問題はそれからだった。
 
 盗まれた本が見つかったぐらいで何もないと思われていたが、裏では確実に事件が起き、水面に浮き上がろうとしていた。