第1章 盗まれた本〜狂いの始まり〜
 
 
 呪術師達が多く住む呪術師の妖しの都からさらに西に位置する都、賢人の華の都で妙な事件が起きた。いつもと変わらない一日が始まり終わると思っていたそんな日常にふと起きた事件。 
 そもそも賢人とは大賢者や賢者の総称である。大賢者は全ての事柄に精通し、超越している者で人数は賢者に比べて少ない。その中には、相応しくない者も何人かいる。賢者は、位置としては大賢者の下で研究者の色が濃く人数も多い。こちらの方が優れている者は多い。そんな人達がいる都での出来事。
 
 裏通りの目立たぬ所にひっそりとあるそこそこ大きな屋敷。
 一人の青年がその屋敷を訪れた。年齢は、18歳ぐらいで肩まである金髪は無造作に後ろで縛られている。青色の瞳はつまらなさそうに開かない扉を見ていた。
「……あいつ、いるかな」
 チャイムを一回鳴らすが、何も変化がない。
「……いないのか。せっかく来たのに」  
 再びチャイムを鳴らすが、誰も出て来ない。
「……帰るか」
 諦めて扉に背を向けた時、ガチャリと鍵が開き、扉が開いた。
「どなたですか?」
 出て来たのは外見が6歳ぐらいの少年だった。穏やかそうな雰囲気に賢そうな光が瞳に宿っている。
「いたのかよ。何度もチャイム鳴らしたのに出て来なかったじゃねぇか」
 口を尖らせ、不満を口にした。
「ごめん、ごめん。作業をしてたらいつの間にか寝てしまってて」
 申し訳なさそうに謝る。よく見れば少し目がトロンとしてて寝起きなのがよく分かる。
「はぁ、お前らしいな」
 ため息をつき、尖った口が崩れ、すっかり呆れている。
「さぁ、中に入りなよ」
「おう」
 少年は青年を屋敷の中に招き入れた。
 
 青年を案内した広い居間には素朴な色合いの調度品が置かれ、それも必要最低限の物しかなく、華やかさはない。
 紅茶とお菓子で青年をもてなし、
「……で、今日はどうしたの?」
 と穏やかに訊ねながらもてなしの際にテーブルの隅に置いた何冊もの本を近くの本棚に片付ける。
「……今日、賢人総会にで出た。三日前に紛失した本についての話だった。今日の会議は、賢人図書館から紛失した本についてだった」
 実は三日前の早朝、何者かによって『トキアスの成り立ち』という世界の成り立ちを綴った何の変哲もない本が盗まれたことを図書館職員が知り、都中がそのことについて連日対策と銘打って緊急時に開かれる賢人総会が開かれているのだ。
「それで?」
 カップに口をつけながら訊ねた。
「調査をしても誰が盗んだかも分からないし、鋭意捜索中だってよ。そのわりには呑気な奴らが多い。ここのところ連続で総会が行われてるのによぉ、全然進展がない。もっと緊迫することじゃないのか? 本じゃなくて盗まれたことがまずいんじゃないのか」
 会議のことを思い出したのか顔が苛立ちの色になった。
 「……仕方無いよ。自分のことで手一杯の人が多いし、盗まれた本が大した物じゃなかったのもあると思うよ。怒っても何もならないよ、焔の大賢者」
 いつものことのように焔の苛立ちをさらりと流してしまう。
「分かってるけどよぉ、何か気が済まないんだよな。お前はどうなんだよ、大賢者の君」
 重いため息をつき、カップに口をつけた。君の言う通りなのはよく分かるのだが、感情がそういかないのだ。
「僕は盗難のあった図書館の責任者の彩月のことが心配かな」
 焔の言葉に少し心配の色になり、今も必死に頑張っているだろう友人のことを思い浮かべる。
「あぁ、吊し上げにあってるな。盗難防止でかけている呪いを頼りにしなくちゃならなくなってたまらないらしい」
 お菓子を食べながら少し苛立ち混じりに会議でのことを口にした。
「まぁ、呪いは最終手段だからね。盗まれないために厳重な管理をしていてもしもが起きたら呪いで本の行方を辿る」
 この都に存在している図書館など資料や本が保管されている場所は厳重に管理され、万一のことを考えて本に呪いをかけ盗難の際に場所を特定できるようにしているが、呪いを施している所はそれほど多くはなく、むしろ軽蔑されている。一部の賢人が呪術師を呪いを使うだけの教養のない奴だと言い、それがこの都の気風になっているのだ。実際はそんなのは関係ないと思っている者が多数だが。
「まぁな。その厳重な管理について吊し上げられてるけどな。呪いに頼るまでに何とかできなかったのかってな」
 堂々巡りのうんざり会議を思い出して肩をすくめた。同じことばかりで居眠りを少ししていたくらいだ。 
「起きたことを言っても仕方無いのに。いくら完璧にしようと思っても無理なのに」
「まぁな」
 軽くため息をつきながらカップの水面を見つめる君にうなずき、焔はまたお菓子を口に入れる。
 二人は何かと話して時間を過ごしていた時、来客を知らせるチャイムが部屋に響いた。
「……誰か来たみたいだ。ちょっと、待ってて」
 君は立ち上がり、玄関に向かった。
「おう」
 焔はお菓子を手に持ったまま見送り、喉を潤した。 
 
 少しして君は一人の青年を伴って戻って来た。
 青年は25歳ぐらいで黒髪の長い三つ編みに鋭い漆黒の瞳をし、服装は黒一色。聡明さよりも冷たさの際立つ雰囲気を纏っていた。彼こそ先ほど君や焔の話に出て来た図書館の責任者大賢者の彩月である。
「……焔の大賢者もいたのか」
 外見通りの感情の薄い声を発し、細い目を焔に向けた。
「……あぁ」
 軽く右手を挙げて挨拶をするが、その声には君に向けたような親しさはなかった。
 二人はそれほど仲が良いというわけではないらしい。
 彩月はゆっくりと焔の隣に腰を下ろし、君は彼の分のカップを用意した。
「……本が盗難にあったのを知ったその日のうちに行方を氷室の大賢者に追わせた。目的地に入る前に場所を知らせてくれてからまだ何もない。彼には少しばかり無茶をさせたから翌日には目的地に着いたはずだが」
 彩月はカップに口をつけることなく淡々と話し始めた。
「その目的地って?」
「呪術師の妖しの都だ」
 君が少し心配に眉を寄せながら訊ね、答えはすぐに返ってきた。
 呪術師の妖しの都とは呪いを扱う術者達が住む都で地図では賢人の華の都から東に位置する。
「本当か? 賢人総会では何も言ってなかったよな」
 焔は疑いの目を彩月に向けた。今日出席した会議にも彩月はいたが、その時は何も言わず、ただ捜索中の一点張りだった。
「それは本を見つけていないからだ」
 ムッとした焔の言い方にも気分を害することなくさらりと流した。
「で、僕の所に来たのはどうして?」
 本の居場所は分かったが、訊ねるべきことを訊ねた。
「……少々、胸騒ぎがするんだ。それで悪いのだが、彼に会って来てくれないか。責任者である自分が行くべきなのは承知しているが、他の者も自分も何かと動けない状態になってしまっているのでな」
 彼の無表情の中に少しだけ疲れが見え隠れした。会議で何を言われようと平然と流していたが、それなりに忙しく心身ともに疲れているのだろう。
「だろうな。責任追及で仕事を辞めるかどうかだもんな」
 焔は周りが散々言っていることを口にし、お菓子を食べた。全く気遣う様子が無いのは二人の仲を表しているのか単に無神経なだけなのかは分からないが。
「……まぁな。それ自体は大したことじゃない。ただ、本が盗まれたことが気になる。それも大した内容ではない本が」
 焔の言葉に気にすることなくさらりと流した。 
「……大丈夫。すぐに出発するよ。そして、本を見つけ次第持って帰るから」
 力強く言い、にっこりと笑った。
「あぁ、すまない。……悪いが、頼む」
 君の笑みに安心し、小さなため息を吐き、立ち上がった。
 結局、話だけしてカップに口をつけることもお菓子を食べることもしなかった。ただ、用件を済ませただけだ。
「うん、彩月も少しは休むようにね」
 部屋を出て行く彼に気遣いの言葉を投げかけたが、彩月はそれに応えることなく部屋を出て行った。焔は見送ることなくお菓子や紅茶を飲んで和んでいた。 
「さてと、準備をして今日中に行こうかな」
 立ち上がり、のびをした。大変なことを引き受けたわりには呑気な様子だ。
「だったら、オレも行くぜ。いいだろう?」
 お菓子を食べる手を止め、いつもの呑気な彼ではなく真剣な大賢者の顔だった。 
「いいよ。君がいればとても助かるし」
 にっこりと笑みを浮かべ、同行を認めた。
「おう。じゃ、オレも用意してくるか」
 お菓子を食べ、紅茶を飲み干してから立ち上がり、出て行った。
 この後、二人はそれぞれ準備をしてから今日のうちに出発をした。
 出発は早ければ早いほどいい。事件がひどくなる前に、彩月が辞職をさせられる前に。