第3章 夢の人、歴史の大家に相談する
 
 
 遙かに続く緑の絨毯、時々吹く風に青い空を流れる雲、静かな湖。
 そこにいるのはたった一人。ニコルを助けた人物と同じ姿をしたその人だけ。
「……」
 のんびりと風景を眺める。時が流れていないようで流れている場所。
 そんな空間に少し焦った子供の声が入り込んできた。
「ハカセ!」
 どこから来たのかいつの間にか子供が立っていた。
 ゆっくりと振り返り、いつもの穏やかな笑みで訪問者に答える。
「どうしたんですか? ケイ」
 近づいて来る知り合い、夢の人ケイに訊ねた。
「ハカセ、大変なことが起きてるんだ」
 隣に座るなり、自分が遭遇した出来事を話した。
 ハカセは黙って耳を傾けている。
「……歪みの者ですか。実はここ数日、いろんな場所で眠ったまま命を失う人が現れているらしいんですよ。呪いではなさそうだと耳にしてあなたなら何か知っているのではないかと思いまして」
 ここ数日耳にする奇妙な出来事のことを思い出していた。眠っている人が命を失っているという出来事がちらちらと起きていること。場所は様々で夜の睡眠から昼のうたた寝にも及ぶ。呪術師が解決に乗り出すも呪いの痕跡はなく、ますます混迷している。睡眠を我慢し続けることは誰にもできない。不安を抱きながらも人々はそれぞれの対策を立てて眠りに入っている。事件は何週間も前から起きていたという。証言者も数も少なかったため今まで知られることが無かったのだろう。
 そこでハカセが目を向けたのは眠りの間ということ。眠りに関して力強い人がいることだ。
 だから、今ここにいるのだ。
「そっか。大変なことに」
 ケイは大きな息を吐いた。自分が思っていたより事態は悪いことを思い知らされ、止めることができなかったことに責任を感じたが、もう一つの気になることを思い出した。
「そういえば、その女性の夢にねハカセが出てきたんだ」
 助けた女性の側にいた子供のことを思い出したのだ。あれはどう見ても隣のこの人に間違いないのは確か。どういう理由なのかを知りたい。どんな理由でも納得できるだろうが。
「女性ですか。どんな女性ですか」
 思い当たる人物はいるが、一応特徴を訊ねる。
「……確か」
 覚えている範囲で特徴を伝え、ハカセの様子を見る。
「その女性は私の知り合いです。ありがとうございます」
 知り合いだと知り、助けてくれたことに対して礼を言った。
「ううん、大したことしていないよ。止めることができなかったんだから」
 首を振って答え、申し訳ない顔になった。自分が何とかすればずっと犠牲者は少なくなっていただろうに。そう思えてならなかった。
「ハカセも気を付けてね。また来るから」
 じっと真剣な目をハカセに向けてから立ち上がった。するべきことをしなければならない。
「はい。あなたも無理をしないように」
 うなずき、ハカセもまたケイの無事を祈る。
「うん」
 にっこりと答え、ケイは去った。
 しばらくしてハカセも午後の温かな光に抱かれた世界に戻って行った。
 
 ハカセは知らなかった。
 この時、来客を告げるチャイムが鳴り響いていたことを。
 そして、訪れた上古の探索者も知らなかった。
 その後、心怯える出来事に遭遇することを。
 
 ……深緑街で昨夜の出来事を綴る手紙がハカセの元に向かっていた。