第2章 悪夢からの目覚め
世界にどんなことが起きようとも朝はやって来る。
人々はいつものように自分達の日常を生きる。
深い緑の街に住む女性だけは違った。
「ふぁぁ」
眠たそうに机に突っ伏すが、ぎりぎりのところで眠りに入るのを堪えている。
昨夜の悪夢がまだ心の奥に残り、気持ちが悪い。悪夢から目覚めたのは深夜でそれからずっと起きている。
眠るのが怖い。今まで悪夢は見てきたが、あれほど怖いものは初めてだ。
「……ハカセに手紙も出したし」
眠いなりにもするべきことはしている。三日もすれば手紙はハカセの手に届くだろう。
それまでの我慢だ。
「……あぁ」
今度のため息は空腹の声。深夜目を覚ましてから温かい飲み物しか飲んでいないのでお腹が空いたようだ。それでも動く様子はない。動くのも疲れるといった感じでずっと机に伏している。
そうやって無駄と思える時間が過ぎようとした時、チャイムが鳴り響いた。
「……もしかして」
ゆっくりと顔を上げ、響くチャイムの音に心当たりを感じる。ここを訪れるのは尊敬するあの人か親友しかいない。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、玄関に向かった。
「……はい」
いつもより元気なくノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開けた。
そこにいたのは18歳ぐらいの黒髪に紫の目をした青年。予想通りの客がいた。
「よぉ、ニコル。今日はこれを返しに来たぞ」
青年は誇らしげに手に持っている一冊の分厚い本を見せた。
「……ローにしては珍しいね。いつも忘れるくせに」
元気がないなりにも口はきく。
「ニコル、元気がないな。何かあったのか?」
彼女の親友ロベルは心配そうに訊ねた。
「……悪夢を見たんだ。目が覚めてからずっと起きてるから」
ぼんやりとする頭で答えた。今でも思い出す。あの背筋が寒くなる感覚を。
「おいおい。大丈夫かよ。どんな夢を見たんだ」
いつもと様子が違う親友の顔色に心配になった。
「……中で話すよ」
長くなりそうな話を立ち話にする訳にはいかないのでロベルを家に招き入れた。
話は居間に着いてから始まった。
「へぇ、そんな夢をなぁ」
ニコルの話を聞き終えたロベルは頭の中で整理する。
「どう思う?」
ロベルの意見を聞こうと訊ねた。
「お前と同じでただの夢には思えないな。だとしても呪いが絡んでる感じもないし」
整理した中で出てきた答えを言葉にする。呪術師としての顔を持つ彼でも分からなかった。
「私もそう思う。私には何もできないから手紙を出した。私がこの世界で一番頼りにしている人に」
ニコルはうなずき、今朝一番に出した手紙のことを思い出していた。悪夢と歪みの者、助けてくれた人、ハカセの出現、忘れられないこと、ハカセの無事を訊ねる内容を綴っている手紙。三日目には相手に届いているだろう。
「前に何度か話してくれた人か」
親友が誰に手紙を出したのかはすぐに分かった。以前から何度か話に聞いた人で自分も興味を持った人だ。
「うん。きっと何とかしてくれるはず」
力強くうなずき、脳裏にあの人の穏やかな笑みを浮かべている。
「だったらいいな。しかし、その人に会ってみたいな」
話の重さが一気に軽くなった。ニコルの話を聞く度に思っていたことを口にする。
「きっと会う機会もあるよ」
ニコルにはそう思えた。この世界は巡り巡る。自分ももう会えないと思ったあの人に再会できたのだから。
「だな。それじゃ、図書館に本を返しに行かないといけねぇから」
笑顔でうなずき、用事を思い出したのか椅子から立ち上がった。
「本って本なんか持ってないじゃん」
何も持っていないロベルを指摘した。
「あっ、しまった」
両手が手ぶらであることに今更に気づく。ニコルに借りた本しか持っていたなかったようだ。家を出る前に気づくべきことを今気づく。
「あぁ、本当に君は」
いつもと変わらない友人に笑う。
いつもなら呆れるのに今日は心が和む。
「大丈夫。頭の中にあるからな。家に戻って本を取りに帰ったらいい」
頭を指しながら笑うニコルに答えるが、彼女の突っ込みが入る。
「家に着いた頃には忘れてるよ」
度を超した友人の忘れ癖を知っているのでますます笑う。
「いくらオレでもそんなことは。まぁ、とにかく帰る」
もう少し反論したそうだが、言葉を止める。これ以上相手をしていると本当に忘れそうなので。
「はいはい、気を付けて」
部屋を出て行く友人を適当に見送った。
少しだけ心が平和になっても悪夢に対しての怯えは残っている。
ニコルが安心して眠りに就けるのはいつの日か。
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