第6章 別れ
 
 
 赤い実をつけた木が生きている裏庭に戻って来た。
 アルミルドは二人を降ろすなり庭の奥へと行ってしまった。
 その後ろ姿を見送った後、番人がハカセに振り向き、
「やっとゆっくり休めるね。……何か食べない?」
 と誘う。
「そうですね。そうしましょうか」
 誘いを受け、神殿の中に入って行く。
 
 中に入ってからハカセは木箱を持ち主に返し、それを片付けてから不思議な食べ物や奇妙な色をした飲み物が出てきた。
 見た目は奇妙だが、味はとてもおいしく、香りだけでも満足なものだ。その食事だけ ではなく、会話も楽しんだ。
「天空城の人達にハカセを会わせたかったよ。きっと喜んだだろうなぁ。僕はそんなに賢くないし、僕の知っているのは薔薇を育てることと馬の世話ぐらいだから」
 果物のようなものを囓りながら言う。
「確かに天空城の人に会いたいとは思いましたが、私はあなたに会えてよかったと思っていますよ。体験で得られる知識は人や本で得るものよりも深いですからね」
 そう言った後、喉を潤す。
「そう言ってくれるとうれしいよ」
 ニカッと白い歯を見せる。ハカセもつられて微笑みを見せる。
 心も体もようやく安らいだ。
 
 食事が終わると番人は立ち上がり、戸棚から布袋とはさみを取り出し、種を一つ手に握り、布袋を片づける。
「ハカセも帰らないといけないね。地上では三日か四日は過ぎているよ」
 自分を見つめているハカセに言う。
「そうですね。しかし、三日か四日とは。私にはとても長く感じられましたけど」 
 と言い、立ち上がる。
 地上と時間の流れが違うらしい。それにあんなやっかい事の中では体内の時間感覚でって麻痺してしまう。二人は外に出た。
 
 もさもさとした緑の草が島の生け垣として神殿の両側を陣取っている。
 薔薇畑か広がり、刺の無い薔薇は不思議な色を湛えていた。
 今、二人が歩いているのは唯一ある石畳の細い道だ。
「ここの薔薇はみんな同じですね」
 薔薇を見渡しながら言う。
「うん、そうだよ。大きすぎたり小さすぎたりするのはバランスが崩れるんだ。全て均
一でないといけないんだ。だから世話はなかなか大変で、本質の見える人じゃないと薔薇が何を欲しがっているのか分からない。だから僕は任命されたんだ」
 全て均一な薔薇を眺めながら言う。
「どのように任命されたんですか?」
 質問を畳み掛ける。
「この庭園が造られた時にみんなここに集められ、少しでも違う色が見える者を選出 し、最終的に僕に決められた。僕ははっきりと何度見ても明確に見えていたから。そ れは選出された人の中で一番だった」
 屈み、薔薇を吟味し始める。
「……いつ頃から庭園はここに?」
「……天空城が造られてすぐだったと思う。もうずっと昔のことだから覚えていない」
 ハカセに答えながら選んだ薔薇を切り、そこに種をまく。
「……なぜ薔薇を育てているんでしょうか?」
 種をまく番人を見つめながら訊ねた。
「さぁ、分からない。でも僕こういう日のために育てていたんだと思うんだ。危機を回避するための最後の手段がこれじゃないかって、だから何があってもここを離れるなと言ったんじゃないかって。薔薇の力を引き出せるのは本質の見える人だけだから」
 立ち上がり、薔薇をくるくると回しながら言った。
「……私もそう思います」
 番人の言葉にうなずくハカセ。
「もう少ししたら出口だよ」
 再び、ハカセの前を歩き出す。
「今までこの仕事に関しては、好きでも嫌いでもなかった。ただの義務だと思ってた。でも今はこの仕事についてよかったと思ってるんだ。君と出会うことができたから」
 薔薇を見つめ、ハカセに振り返って言う。
「それは私も同じですよ。とても貴重な体験ができましたし」
 笑みを浮かべて言うと番人が少し変な顔をした。
「あんなやっかい事が貴重!? 普通はさんざんだと思うよ!」
 驚きが混じった声で言う。
「そうですか。私はそうは思いませんけど……」
 きっぱりと言う。どうやらこれは本音らしい。
「変わってるなぁ。もしかしてハカセって今までにも大変な事に巻き込まれたことあるんじゃ」
 おそるおそる訊ねる。
「そうですねぇ、けっこうありますね。でも大変な事があるからこそ面白味があり、新しい発見もあるものですよ」
 あっさりと至極当然のことのように言う。何というか計り知れない人だ。
「んー、そんなものかなぁ」
 ハカセの言葉に考え込む番人。
「あ、着いたよ!!」
 急に顔を上げ、さっと左手でその方向を指し示す。
 そこは小さな円形の開けた場所だった。
 
 薔薇に囲まれた小さな円形の開けた所。石畳の床には溝があった。
 溝は円を描き、円の中に月が住んでいる。見覚えのある模様だった。
「…天の祭壇にあったものと同じですね」
 ハカセはそれを見るなり声を上げた。
「うん。でも微妙に違うんだよ。……色とか無いでしょ」
「そうですね。行きに使ったものは確か赤でしたね」
 思い出したように呟いた。
「色はただついているだけじゃない。力が込められてるんだ。天の祭壇は天の民が地上に降りるための所。そのため天空城にあるものも赤色なんだ」
 ここで番人は言葉を止めた。
「……つまり天空城と地上を繋ぐ橋ということですね」
 番人の言葉を簡単にして理解していることを示す。
「そういうこと。しかも色によって違うんだ。赤色は勝手に誰の助けも無しに行けるんだ。時間を特定することもできるし。青色は勝手にいけないんだ。自分達で行けるようにしないといけないからあまり使うことがなくてここみたいな辺境地にあるんだ。天空城やここからだと円の上に立つだけで行けるよ。ただ、地上からは天空城に行く場合は特別で赤い満月の夜という指定があるし、ここには繋がっていない。さてと……」
 番人は屈み左手を円の中央に置き、力を込める。
 青い輝線が溝を走る。それは緩やかに流れる川のようであった。
「……さぁ、ハカセ、ここに立って。天の祭壇と繋げたから」
 準備を整えてから立ち上がり、ハカセを急かす。
「分かりました」
 ハカセは青い月の上に立つ。
「気をつけて。あと、これをあげるよ。きっと役に立つ時が来るから」
 番人はハカセに近づき、薔薇を差し出した。
「ありがとうございます。お元気で」
 薔薇を受け取り、礼を言う。
「うん。また君が来る時までに僕も少しは面白い話でも備えておくよ」
 白い歯を見せて元気に言う。
「えぇ、また今度」
 それに答えたハカセは青い光と共に消えた。
 しばらくの間、番人はそれを見つめていたが、すぐに踵を返した。
「帰ろっと。みんなが巡り巡ってここに戻って来るまで番をしてなきゃね。なんせ、僕は番人なんだから」
 見えぬ闇の消えた青い空に呟き、番人は来た道を戻って行った。
 
 太陽は完全に昇っておらず、夜と朝の境で薄い雲が連なっている。
 そこに青い輝線が赤き月に降った。
「ふぅ、あっという間だったなぁ」
 と呟き、左手にある薔薇を見つめるハカセがいた。
 しばしの間、辺りを見回し自分がどこにいるのか確認した後、
「どうやら無事に戻ることができたみたいだ。さてと」
 と呟き、円から足を踏み出し、歩き出す。
 一度だけ振り返り、現実を確かめる。
 そして、薔薇を片付け、空っぽの両手を見つめる。
 奇妙な薔薇を手に持っていたのは本当だと確かめ、それはまだ自分の所にあることを感じる。
 その数秒後、ハカセは先を見つめ歩き出した。
 
 それはちょうど大賢者ローズが北の森々を歩き、頑固な森と話しているところであった。