第5章 ハーブ
中は広く、中央に長い階段があった。再び鳥に変化した番人の力によって階段は難なく越えることができた。
階段が終わると番人は人の姿に戻り、一階で行った方法で情報を広げた。文字が二人の周りを取り巻く。
「もうここまで進んでしまってるなんて」
眉を寄せ、驚きと焦りが声に溢れていた。
「まだ間に合いますよ。全てが消えたわけではないのですから」
状況はよく理解しているが、声には落ち着きがあり、希望を失っていない。
「うん。ハカセ、ここの情報を全て書き換えて。薔薇を使えばハカセにも情報を引き出せるようにできると思うから。本当ならしかるべき手続きが必要だけど。今はそんなこと言ってられないから」
ハカセの言葉に落ち着きを取り戻し、全てをハカセに託すことにした。
「……分かりました」
しっかりと木箱を持ち、うなずいた。
「僕はやらないといけないことがあるから」
そう言うなり、鳥に姿を変え緩やかに階段を飛び降りて行った。
番人が着地し、少年の姿に戻ると目の前に人が立っていた。
18歳ぐらいの外見で薄い金髪に凍りのように冷たい水色の瞳。紫色の服にショールを纏った細身の体からは、残忍な匂いが溢れている。
「……ハーブ」
番人は目の前に現れた性別不明の美しい支配者に言った。
名を呼ばれた支配者は
「愚か者が何しに来た? 力もろくに無いくせに」
軽蔑の言葉を美しい顔で言う。
「力が無いだって? あるさ。時間を稼ぐくらいの力は!」
右手を突き出す。彼の頭上に三つの光の球が現れ、球は三本の剣に変化し、三方からハーブを襲うが、ハーブはあさっりと避け、十本の槍を番人の上に注ぐ。番人は慌てて姿を変え、目に見えぬ塵となる。塵は空気中を漂い、槍を舞うように避けていく。そしてすぐさま赤いドラゴンに姿を変え、火を吐く。ハーブは小鳥に身を変え、羽ばたき火をかわしていく。攻防は堂々巡りである。
ハカセは番人と別れてすぐ木箱から薔薇を取り出し、
「……私にここを扱う力を」
と呟くと手に持った薔薇は輝き、かき消えたが、使命は果たした。
木箱を床に置き、番人がしていたように右手を宙に広げる。
「…………」
右手がパイプとなって記されている文字の内容が感覚となって入ってくる。そのため、 広がる文字が何を意味しているのか理解できる。
他の情報が見たいと思えばすぐに切り替わるが、操作は右手を広げている間しかできない。操作は全て思考によってできるようだ。右手を離せば、広がった文字をただ閲覧することしかできない。
「……やはり、無理かな」
取り消しを試みるもできず、ただ滅びる数が累々と増えていくだけだ。
「……探してみないと。できないようにしているものを」
次々に情報を変えていく。その間も番人は必死に戦っている。急がなければならない。
「……これが邪魔をしているのかも」
何度も情報を変え、いくつも消失されたが、探し物は見つけた。
操作不能を起こしている情報に対し、解錠を実行する。
見つけ当てるのは難しいが、見つけてしまえば事態はあっという間に収集する。
操作不能を解除されたのを見たハーブは、鋭い剣を生み出し、切っ先をそちらに向けた。番人は盾を出し、それを防いでしまう。ハーブの攻撃はそれだけではなかった。剣が四方から邪魔をした番人めがけて襲って来る。番人は体をひねり、飛び跳ね難なく避けていく。全てを避け、地に足を着けた時、背後から飛んで来た剣に左腕をかすめられ、体がよろめいた。傷は深くはなく、ほんの少しの痛みが襲うだけだった。
「……!」
驚き、傷を見るが、傷口は薄れ始めていた。そして傷は跡形も無く消えていった。人間ではなく力であるための特徴だろう。
「……絶対に行かせない!!」
強い言葉を吐き、右手から光が放たれる。
放たれた光はハーブの生み出した闇に呑まれてしまった。
「こんな弱々しい光で勝てると思っているのか」
嘲笑し、闇を放つ。闇から逃れようとするが、逃れることができない。
覚悟を決めた番人は足を踏ん張り、両手を前に突き出し、自分の持てる力全てを光にし、ハカセとしようとしていることを守る。
「……光は闇に呑み込まれるのが運命」
ハーブは呟いた。呟きの通り、番人の光は消され、その衝撃で彼の体は宙を泳ぎ、床に叩きつけられる。闇がまとわりついてくる。
「……くそぉ」
もそもそと痛む体を起こし、力を振り絞って闇を払い、力の入らない足に鞭を打ち立ち上がる。
「しぶとい」
うんざり気味にハーブが言う。
番人のハーブを睨む目の光は強さを失っていない。
しかし力の差は歴然とあり、どちらが有利でどちらが不利なのか明確である。それでも負けるわけにはいかないと目が言っている。
番人が必死に戦っている間、ハカセは作業を続けた。
「……これで消えていくのを止めることができるはず」
操作不能を解除し終えたハカセは次の作業を行おうとしていた。
再び取り消しを試みると今度はうまくいった。消失は停止し、静かになった。消えてしまったもののことがあるが、とりあずこれで一安心である。
自分の仕事を終えたハカセは番人の様子を見る。そしてすぐに番人が不利であることを知った。ハカセは床に置いた木箱から最後の薔薇を取り出した。
「力に力で対抗すればまた力で押されてしまう。終わることがない。そうではなく……」 少し間を置き、薔薇に小さく何かを呟いた後、
「必ずあの者の所へ」
薔薇を投げる。薔薇は魔法にでもかかっているかのように間違いなく飛び、生死の境界線に突き刺さった。
追いつめられた番人。もう打つ手はない。ハーブには何も効かない。このままではやられる。力はほとんど残っておらず、立っているのもやっとだ。
「……それでも負けるわけにはいかない」
小さく呟くが、明らかに顔には焦燥が溢れている。
それを見てハーブは嫌な笑みを浮かべる。
「さぁて、もうそろそろ終わりにしようか。あっちも片づけないといけないしな」
とどめを刺そうとした時、薔薇が二人の間に突き刺さった。
「……薔薇!!」
思わぬ出現に驚く番人。淡く輝いているのを見てさらに驚く。
「……!!」
こちらも驚いていた。しかしハーブの驚きは番人と違っていた。恐怖だった。
「……何だ……その薔薇は。……力が抜けて……いく」
声が虚ろになっていく。声だけではなく体まで徐々に薄くなり、存在自体が虚ろになっていく。
「……何だ……これは……」
戸惑いの色で透けていく両手を見る。消えていく。霧のように。
「……どーして? 一体何が……」
その様子を恐々と見つめる番人。一歩たりともそこから動くことができない。
もちろんハカセもその様子を見ていた。
二人が見ている中でハーブは消え、残るは薄い黒い霧だけだった。
呪い、恨み、憎悪。あらゆる負の想いが黒い霧となり残った。
それらは吸い込まれるように薔薇の中へと入っていった。薔薇は白から見事な黒へと 変化した。
「……消えた。ハーブが消えた。……助かったんだ」
ほっとして力が抜けた番人はその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
ハカセは木箱を置いたまま番人の元に駆け出し、番人に声をかけた。
「うん。大丈夫」
番人はハカセの手を借りて立ち上がり、突き刺さっている薔薇を抜くが、薔薇は抜かれてすぐ黒い砂となり空気に溶け込み、消えてしまった。
「……ハカセ、どうやってハーブを倒したの? 薔薇に強い破壊の力でも込めたの?」
薔薇が溶け消えた方向を見つめながら訊ねた。
「いいえ違います。力に力で対抗すればまた力で押されてしまいます。それは終わることがありません。だから私はあの者に愛と安らぎを与えるように言ったんです。それが終わらせる唯一のものだと思ったので」
薔薇に呟いた言葉がここで明らかになる。
「確かにそうだね。愛とか安らぎとかあいつには縁のないものだしね」
ハカセの言葉にうなずいた。感心の念が言葉の端々で分かる。
「ところで番人、消えてしまったものの処理はどうしますか? 停止するだけ作業を終えるわけにはいかないでしょう」
もう少し番人を労いたいところだが、まだやるべきことは終わっていない。まだ消えていないものは守ることができたが、消えてしまったものの処理が終わっていない。
「そうだね。それは僕がやるよ」
番人はハカセと共にゆっくりと階段を上り、作業を始めた。
作業は数十分で終わった。
「これで大丈夫だよ。全て元に戻るよ。消えたからといって実際に消えるには時間がかかるから間に合うよ」
疲れた番人はその場に座り込み、息を吐いた。本当にこれで何もかも終わった。
「さぁて、帰ろっか。すぐにでも帰りたいところなんだけど、そうもいかない。力がほとんど残ってないんだよ。こんなに力を使ったのは初めてだから」
番人はのびをして少し申し訳なさそうに隣に立っているハカセに言った。
「いいですよ。私にとってちょうどいいですよ。天空城を見学したと思っていたところなので」
と答えるハカセ。
「それじゃ、僕が案内するよ。と言っても僕もここには数回しか来たことないけど」
ゆっくりと立ち上がり、どんと胸を叩きながら言った。
「助かります」
番人の申し出に喜ぶハカセ。
「それじゃ、行こう!」
番人の言葉で二人は部屋を出て行った。空になった木箱はハカセがしっかりと持った。
ハカセは番人の案内で各部屋を巡っていった。
あらゆる時代のあらゆる国で書かれた本が山のように棚にあり、ここ天空城についての本もまた山のようにある。ハカセはその本のほとんどを読み、理解していった。この辺りはさすが歴史の大家だ。番人はハカセに所見を訊ねるとハカセはとても貴重な意見を述べ、番人を感心させる。また違う部屋では奇妙な実験器具や薬品があったり、奇妙なモニュメントがあったりとなかなか楽しめる所だった。そして、ハカセのもう一つの思いも強くなっていたが口にすることはなかった。
天空城を出るにはかなりの時間が必要だった。
外に出ると、ハーブの脅威が消えた澄んだ空があった。
「んー、気持ちいい。さぁて」
首にかかっている笛を取り、吹く。
すると、馬の嘶きと羽ばたきが二人の耳に入った。
「アルミルド」
島に着地した馬に近づき、鬣を愛撫する。
「さぁ、僕達を空中庭園に連れて行って」
アルミルドはそれに応え、二人を背中に乗せて空中庭園に向かった。
ようやく一息つける 。
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