第3章 空中庭園
どこかに向かっている。何によってかは分からないが、それだけは、はっきりしている。それは気持ちよく悪くはない。
「……!!」
突然、何かが割り込んできた。その何かは、天空城に向かう道をプツリと切り落としてしまった。それが何かはわからない。ただとても気分の悪いものであるのは確かでそれによって自身の体が逆らえない落下をしていることも確かであった。
「……ここは」
倒れた体を起こしながら辺りを見回すハカセ。どうやら花畑らしい。それによって助かったらしいことが分かった。
「……しかし」
訝しげに花畑を見回す。花は全て薔薇の花らしいが、何かがおかしい。
「……」
首をひねっているハカセの頭上で少年の澄き通った声がした。
「何色に見える?」
妙な質問をしてくる。
その質問にハカセは困惑した。
「……何色と言われましても、私には何色にも見えませんよ。……言葉で言えば不思議な色でしょうか」
と答えたハカセの目には赤でもない白でもない、言葉にするのが難しい色をした薔薇の花が映っていた。この世にある色では表すことができない色の薔薇。
「……驚いた。本質を見える人が僕の他にいたなんて」
少年の声は驚きを含んでいた。
ハカセは立ち上がり少年を見た。少年は自分と同い年ぐらいの外見に簡素な服を着ており、首にかけている紐には小さな笛が通してあった。
耳には金属が付けられ、金髪の三つ編みに薄紫の瞳には驚きに満ちていた。
「……本質とは何のことですか? ここはどこですか? あなたは何者ですか?」
次々に質問を畳み掛ける。
「……ここは空中庭園で、僕はここの番人。詳しいことは僕の家で話そう」
と慌てることなく全ての質問に答えた。
「ところで君は何者?」
と訊ねた。
「…ハカセと呼ばれている者です」
と簡単に答えた。
「そっか。じゃ、ハカセ僕について来て」
と指示をした。いろいろ知りたかったのでハカセはそれに従った。
二人は薔薇畑の中の小道を歩いて行った。
ハカセが案内された所は薔薇の中にたたずむ純白の小さな神殿だった。
「さあ。入って! 入って!」
招き入れられる。
居間らしき部屋にはテ−ブルと椅子に戸棚ぐらいしかなかった。
二人は向かい合って座り、話が始まった。
「ハカセ。君は地上から来たみたいだね。どーしてここに?」
最初に質問したのは番人だった。
「一週間続けて天空城の夢を見たので。しかし、途中で何かが割り込んできて、ここに落ちたんです」
簡単に今までの経緯を話した。
「……その何かは、おそらくハーブの仕業だろうな」
「……ハーブ?」
聞き返すハカセ。
「……他にはなかった? 夢について」
ハカセには答えず訊ねる。
「……呪いに囚われている、と」
「……呪いか。やっぱりハーブに間違いない」
強くうなずく番人。
「……ハーブとは何者ですか?」
たまりかねて、もう一度訊ねた。
「ハーブについて話す前に天空城の人々、天の民について話さないといけない」
話を続ける前に一呼吸置いた。
「天の民はここから離れた浮島にある天空城に住んでいて地上にいる生物の進化や滅亡を管理している。地上に生物が現れる以前からあり、地上に降りて、生物にいろんなことを教えたりしていた。例えば火を使うこととかね」
茶目っ気を含んだ調子で語った。
「すごい所なんですね。しかし……」
感動しつつも何か思うことがあるのか小さく言葉を洩らしたが、番人には聞こえなかった。
「だけど、そういう強い力とかがあるとそれに魅了される者が必ずいるんだ」
番人は少し悲しそうに重く口を動かした。
「それがハーブですね」
その重さが何を示しているのかがすぐ分かり言葉にした。
「その通りだよ。ハーブはとてつもない力と賢さを持ってた。愚かなものを見るのがたまらなく嫌だって言って好き勝手に生物を滅亡させていた。その中の一つにこういう話があるんだ。……ある所に人間が住む街があった。そこはとても文明が発達していた。発達していたのは、文明だけでなく、悪も発達していたんだ。スリや殺人とかね。全ての悪という悪がそこにあった。……ハーブはその街を滅ぼした。それを知った他の天の民はその街に機会を与えた。街は眠りに就いた。全ての悪が癒された時その街は目覚める。ただ、復活させるだけだとまた悪がはびこるかもしれないから。……それは死んだ街と呼ばれてる。話はハーブに戻して人々はハーブをこのままにしておくのはまずいと思い存在を消そうとしたけど、ハーブの方が一枚も二枚も賢く、強かった。戦いになった。姿を変え、力を絞り出し戦った。そして、ハーブを破った。しかし、犠牲は多かった。天空城に住む人々が皆消えた。それでもハーブは完全には消えてなかった。消えた生命は巡り、巡ってこの地に戻って来るはずなのにそれもない。……呪いに囚われているんだよ。それが夢に出てきたんだと思う。街のこともハーブのことも遠い昔のようにも昨日のことのようにも思う」
ここで一息つく。ハカセも頭を整理する。
「……生きているということですか。ところで姿を変えとはどういう意味ですか?」
説明がされていない言葉を聞き逃さず、訊ねた。
それに対してクスクス笑って、
「僕達は人間じゃないんだ。力なんだよ。人間の肉体が器とするなら、僕らは器のない魂なんだ。だから……」
こう言ったかと思うと
「こういうこともできるんだ」
立ち上がり、くるりと回る。その姿は金髪青眼の美女で、高い澄んだ女性の声で言う。
「……姿を変え、ということは、そのことなんですね」
納得がいったようにうなずいた。
「そういうこと」
また元の少年の姿に戻った。
「まぁ、僕はこの姿の方に馴染んでいるけどね」
そして、椅子に座る。
「ハーブは、全ての間違いを嫌った。全てを消し、一から直したいと思ってた。少しぐらい間違いがある方が自然でいいのにね。こうなることは戦いの前に知っていたんだよ。なんせ天空城からハ−ブの嫌な力を感じるからね。消えた力は呪いとなって天の民を苦しめ、残った力は侵入者を妨害する。……全てを消す計画が今、始まっているのかもしれない。だから、君がここに来たのかもしれない。僕だけじゃ、無理だし」
そう言って、黙る番人。
「……薔薇のことなんですけど」
もう一つの疑問を口にのぼらせる。
「あの薔薇は、人を惑わす力があるんだ。そのため、人は薔薇の本当の姿を見ることができない。薔薇の本当の姿を見ることができる者しか、薔薇の本当の力を引き出すことができない。だから、唯一見える僕はここで薔薇の世話をしてる。何があってもここを離れるわけにはいかない、戦いがあったとしても。薔薇の数は増やしたり減らしたりしてはいけないんだ、バランスが崩れるから。でも今となってはそうしてる場合じゃない」
そう言うなり、スクッと立ち上がり、
「……僕も君と一緒に行くよ天空城に。その前にちょっとやりたいことがあるから待ってて」
戸棚から布袋とはさみを取り出し、外へ行ってしまう。
「……?」
不思議に思いつつ待つハカセ。
しばらくして、三本の薔薇を手にした番人が現れた。
「……いいんですか? バランスが崩れるのでは」
心配げに訊ねると
「大丈夫。崩れないように、三つ種を植えてきたから」
戸棚に布袋とはさみを片付けながら言った。
「さぁ、行こう!」
ハカセを連れ、外へ出た。
すぐに行くかと思いきや、裏庭に来ていた。
裏庭には、赤いりんごに似た実をつけた低木が点々とあった。
「おいしそうですね」
実を見つめながら言うと、
「ダメだよ食べちゃ。これは僕らには毒だからあっという間に死んじゃうよ」
厳しい口調で言い、赤い実をもぎ取り、笛を吹く。
吹いた後、
「アルミルド!!」
木々の奥へ呼びかける。
ハカセも奥を見据える。
しばらくして、馬の蹄の音が聞こえ、音はどんどん近くなる。
そしてとうとうその姿をさらした。純白の毛並みに翼が生えた知的な青い瞳を持つ馬がゆっくりとこちらに近づいて来る。
「アルミルド!!」
番人は馬に近づき、鬣を撫でながら赤い実を馬の口に近づけ、話しかける。
「……早馬アルミルド。僕達は天空城に行きたいんだ。連れて行ってくれるかい」
馬は話が終わるなり赤い実をもしゃりもしゃりと食べ終え、嘶いた。
そして、少し脚を折り、乗りやすくする。
「……ありがとう アルミルド」
礼を言い、馬に乗った。
「ハカセも、早く!」
ハカセを促す。ハカセは急いで番人の後ろに座る。
「さぁ、行っておくれ!」
ポンと軽く鬣を叩くと馬は翼を羽ばたかせ空へ舞い上がった。
「すごい眺めですね」
小さくなっていく空中庭園を眺めながら呟いた。
「僕はね、薔薇と共に馬の世話もしているんだ。赤い実は彼らの食べ物なんだ。このアルミルドは馬の中で一番速い馬なんだ」
そう説明し、また黙る。風が駆け抜けていく。頬が風の感触を感じ、髪がなびく。
時はこの馬と共に過ぎていく。
「あれだよ!!」
前方を指し示す。その先にあったのは、ハカセが見た夢と同じ白い塔が建っていた。島に近づいて行く。近づけば近づくほど島が大きくなる。
そして、嫌な圧力がかかってくる。
「……ハーブ」
ぼそりと呟き、さっと右手を前方につき出した。
「……妨害したって無駄さ。僕達は君を片付けに来たんだから」
右手が指に沿って白く輝き、前へ前へと引き寄せていく。
圧力が少しずつ消えてゆく。
そして、何とか二人は島に降り立つことができた。
「アルミルド、ありがとう。来て欲しい時は笛を吹くから」
アルミルドの鬣を撫でながら言った。
アルミルドは一声上げ飛び立っていった。
「さぁ、行こっか。ハカセ」
横にいるハカセに向き、元気のある声で言う。
「えぇ。行きましょう」
その声にうなずく。
そして、二人は白い塔へ歩き出した。
そこに何が待っているかは分からないが、二人は行く。
番人は左手に持つ木箱に力を入れる。
ハカセは心持ちを決める。
二人の敵は強くとも簡単に負けることはないだろう。二人には本質を見る力があるのだから。
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