第2章 再会と求めていたモノ
思跡の国に存在する歴史が多く息づく歴史家の街、白歴に懐かしき人に会うために旅人が訪れた。
左の人差し指にある透明な宝石が朝の光で輝いていた。
「さて、どうしようかな。よく考えると家を知らないんだよね」
旅人ナディは足を止めて大事なことを思い出す。初対面の時は待ち合わせを言っただけでどこに家があるのかは聞いていない。ただ、この街で出会ったのでこの街のどこかにいることだけは確かだろう。旅人というような感じではなかったので。
「誰かに聞いた方がいいかな」
困り果てた彼は最も初歩的な方法に頼ることにした。周りを見れば歩く人は多くいる。その中の誰かが知っているかもしれない。
「……だけど」
側にある海から漂ってくる潮の香りが心地よく、思わず海の方に目が向いてしまう。
どこだろうと海は変わらない。
「……あれは」
ナディの目が向いたのは海だけではなかった。海辺を散歩している人物。自分のよく知っている会いたいと思っていた人物がいた。
「ハカセ!!」
ナディは急いで海辺に向かった。
「ふぅ」
海辺をのんびりと歩くハカセ。六日前に地下図書館に足を運んだり妙な本を渡されたりと読書に忙しかった。こうやって散歩をするのが何よりの心の癒しとなっている。
「さてと戻ろうか」
散歩で十分心を癒したハカセはゆっくりと帰りの道を歩こうとして足を止めた。
「あれは」
心当たりのある人物がやって来るのが見えたのだ。
そしてその人物が自分の所にやって来るのを知った。
「ハカセ!」
声を上げながらやって来た人物は水の民の遺跡に向かう旅で世話になったナディだった。
「お久しぶりですね」
思いがけない再会に嬉しくなった。
「うん。会えてよかったよ。住んでる家を聞き忘れてたからどうしようと思って」
再会を果たすことができて安心した。
「どうですか。私の家でゆっくりと話でも。あなたに渡したい物がありますし」
喜んだのは再会だけではない。渡すべき物を渡すことができるという安心もあった。
「渡したい物? うん、そうするよ」
探している物はあるが、ハカセから渡される物に心当たりが無いので思わず、声を出してしまった。
ナディはハカセの家に案内され、初対面の者誰もが驚く居間に通された。
「……えーと」
ナディは言葉を失ってしまった。至る所に紙切れや本などが累々と塔を作り、椅子がすっかり荷物置き場となって本棚は全く役目を果たしていない。人を招くにはあまりにも失礼な部屋である。
「本当に申し訳ありません。適当にどこでも置いて構いませんから」
必要があって人を招くことはたくさんあり、その度にいつも思う。片付けなければならないと。しかし、片付けても数時間もあればすっかり元の姿に戻ってしまうのだ。とにかく片付けというものが極端に苦手なのだ。
「うん。何かいろんな意味でハカセはすごいね」
気を害した様子はなく、知り合いの意外な一面を見て面白いという感じだった。
それからナディは言われた通り椅子に載っている本を床に移動してから座った。
「それで僕に渡したい物って」
気になりながら訊ねるとハカセは本棚に残っているわずかな本の中から一冊手に持って戻って来た。
「それはこれです」
青色の表紙の本を彼に渡してから椅子に座った。
「……これは」
受け取った本の題名を見て言葉を失った。
「あなたが探していた本だと」
ナディと旅をしていた最中に聞いた話を思い出していた。
「うん、そうだよ。これだよ。『青の民』、コリンさんが僕に渡そうとしていた本」
水分の混じった声で答えた。これこそ旅の目的だった。それが今自分の手の中にある。
「あなたと別れてすぐに知り合いがこれを持って来てくれたんです。本当ならすぐにでも青の村にでも送ったり何かするべきだったのですが」
本を手に入れた経緯を話す。あの時ほど時間が巻戻らないかと思ったことはない。忙しさで毎日が埋もれてしまい、かなりの時間が経ったが、こうして本を主に手渡すことができてハカセも一安心である。
「いいよ、そんなことは。今こうして手にあるんだから。本当にありがとう」
感無量のナディにとって本がここにあること以外どうでもいい。
「とてもいい内容でした」
ハカセは感想を口にした。青い海に水と戯れる水の民。天に響く美しき歌姫の調べ。儚さと美しさを湛える世界。本を開いた時に溢れてきたあの青い世界を思い出す。少しばかり自分の手から本が離れることが少し寂しかったりする。
「うん。ありがとう」
心の底から礼を言った。これでコリンの思いとナディの願いは叶えられた。
「あぁ、忘れるところだった。ハカセ、秘石使いミュアを知ってる?」
あまりの出来事で大事な用事を忘れるところだった。
「えぇ、レリック家の鏡で呪いにかかってしまった」
よく覚えている。夢の人ケイと共に秘石使いの夢に入り、彼女の手助けをしたことを。
「そう、その彼女は僕の知り合いでね。今は元気に秘石使いとして頑張ってるよ。ハカセにお礼を言っておいてって」
きちんと伝言を伝えた。
「そうですか。よかったです」
彼女が元気であることを知り、安心した。目覚めてからのことは知らないので知ることができてよかったと心底思っている様子である。
「うん。本当にハカセは水の民と縁があるね」
うなずき、今回の本のこと、自分との出会いに青の村、秘石使いのミュア。本当にハカセは水の民と縁がある。思わず笑ってしまった。
「かもしれません」
つられて笑う。自分でもそう思う。
「ちょっと気になったんだけど、その本は?」
今度はテーブルに置かれている分厚い本が気になって訊ねた。
何か特別な物を感じる。
「これは最近貰った百年ごとに刊行されているという本です」
幻想に溢れる物語が眠る図書館でキッドに貰った本。あれからずっと読んで理解しようと頑張っているが、なかなか難しい。その息抜きで散歩に出ていたのだ。
「あぁ、あの本かぁ。すごいねぇ」
ナディもその本がどんな物なのか話ぐらいは知っているので驚きと好奇心の混じった目で本を見た。
「読んでみますか」
好奇心に満ちている彼の瞳を見てにっこり笑った。
「うん、ぜひ」
ハカセの言葉に喜び、大切な本をテーブルに置いてから目的の本を手に取った。
ゆっくりと胸をどきどきさせながらページをめくっていく。
しばらくして本は閉じられ、ナディは顔を上げた。
「すごいね。でもそれぞれの文字が僕達の知っている意味として成り立っていないように思う。何というか支離滅裂だね。やっぱり、他の本もいるかもしれない」
感想は眉を寄せながらだった。彼の言葉通りこの本には確かに文字が書かれているが、それが言葉として意味を持っていない。ただの文字でしかない。二百年も前ということを差し引いてもまともに読むと支離滅裂で意味を成していない。
「そう思います。しかし、この本はあまり多くないと聞きます」
ナディが言ったことは自分も感じていることである。しかし、本屋で簡単に手に入る物ではないので困っているのだ。この一冊で何とか少しでも書かれていることを知りたいと頑張っているが、目を見張るほどの成果は無い。
「だね。もしかしたらハカセだったらその本を探している誰かに会えるかもね。僕が君と出会ったようにさ」
今までのことに笑って言った。今回もきっと何かに引き寄せられると。
「だといいんですが」
ハカセも笑いながら答えた。そんなことは有り得ないと言い切れないのがこの世界の面白いところである。
「それじゃ、また」
本をハカセに返して大切なコリンの形見を抱えて立ち上がった。
もう話すことも終わった。心はコリンの本に向いている。
「えぇ、お気をつけて」
部屋を出て行くナディを見送った。旅の無事を祈って。
すっかり外は午後の空である。時間が過ぎていくのは本当に早い。
「ライデシアンにも会わないと」
抱えている本が読みたくてたまらない気持ちを抑えながら、するべきことを考えていた。まずは自分を心配しているだろうあの美しい水の民の女性に会わなければ。
本はこれから乗る船の中で読めばいい。水の上で水の民の本を読むとは何とも風情があるし、暇潰しにもなるだろう。
ナディは急いだ。
この日の一週間後、歴史の大家は地下図書館を訪れたもう一人の旅人に再会することになるが、今は手元にある難しい本に夢中で考えもしていなかった。
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