第2章 奇縁
歴史を歩く者から本を貰って二週間目の朝。
爽やかな風と共に海から潮の匂いを運ぶ。時々、流れゆく雲に遮られながら太陽の光が街に降り注ぐ。平和な時間。
「今日は気になっていたお店にでも行ってみようかな」
ハカセは最近、気になっているお店に足を向けた。
家で調べ物をするのも好きだが、散歩も好きだったりするハカセが向かったのは多くある骨董屋の一つだった。
二階建ての店だった。最近開店した骨董屋で主は遠い人の国出身という。そのためか並ぶ品には遠い人の国の物が少なくない。
「……」
ゆっくりと店の扉を開ける。
店内は静かで主と長い年月を生き抜いた記憶だけしかいなかった。
清潔な店内に並ぶ品々は壺から本に巻物、秘石など品揃えに節操がない。
「いらっしゃいませ」
レジに座っている青年が挨拶をした。
彼は22歳ぐらいの外見に長い髪を編み込み三つ編みにして先を輪にしている。人の良さそうな目と温厚さのある整った顔立ち。遠い人の国出身のはずだが服装は故郷独特の服ではなかった。上着は袖が開いた物で下に長袖を着ている。ズボンを履いておりその上にエプロンをしていた。もちろん靴を履いている。
「…………」
ハカセは近くの棚から順に眺めて行った。いろいろな物が目に入り、心を魅せていく。
「……なかなか」
ハカセが足を止め、心を奪われたのは一つの指輪だった。
指輪についている透明の宝石に心を奪われた。
宝石を下から上からといろんな角度から見るとますます魅了されてしまう。
射し込む光に照らされて宝石は青や紫に姿を変える。
この世界には美しい宝石や特別な力を持った秘石が数多くあるが、この指輪の宝石はただの宝石にしては不思議さがあり、秘石にしては力を持ちすぎているように感じる。「もしかして、これは水の民の至宝ですか?」
自分の考えが正しいのか確信を得ようと店の主に訊ねた。
「えぇ、そうです」
店の主はうなずき、ハカセに確信させた。
この時、扉が開く音がし、話が中断した。
「いらっしゃいませ」
青年は店の主らしい気持ちのいい挨拶をした。ハカセも思わず訪れた客を見た。
客は13歳ぐらいの外見をした茶髪で緑の瞳をした旅人の格好をした少年だった。少年は店に入るなり、適当に品を見て回っていた。
主とハカセはまた話を始めた。
「珍しいですね。今では水の民の至宝の加工製品が公の店に並ぶことはほとんど無いに等しいと」
改めて宝石を眺める。水の民とは水辺を生活の場とした民のことである。環境に適用するため下半身が魚のヒレのようになっており、水中での生活を快適にさせている。資料によっては彼らのヒレは人の足の形にもなるという。長命な民だというのに大昔に滅んだと現代では言われている。そんな彼らは秘石の加工に関して最高の技術を持っていたと言われ、彼らの技術でしか加工の出来ない秘石を水の民の至宝と呼ぶ。そのため滅んだ理由に迫害の他に卓越した秘石の加工技術を巡る争いのため滅んだといわれているが、確実な証拠はどこにもない。水の民の至宝は、他の秘石に比べ、力も強く美しさも並外れている。今では加工されている物は少なくなっている。採れる場所は昔よりは少なくなっているが、基本的にどこでも採れる。以前は採石も出来なかったが、現代では何とか採石だけはできるようになった。ただ、加工だけはいまだにできないでいる。
「海人の国からの物を入れる時に運良く手に入れることができたんですよ。今ではなかなか手に入りませんからね」
主は愛する子供を見るようにハカセの手にある指輪を見た。
「それに出会うことができた私も運が良いです。水の民の素晴らしい技術でしか加工ができないという宝石に出会ったのですから。これをお願いします」
ハカセは見た瞬間から買うことを決めていた。ただ、どうしてここにあるのかが不思議だったのだ。
「ありがとうございます。では、少々お待ち下さい」
主はレジの背後にあるいくつもの引き出し棚から手慣れたように目的の引き出しから一枚の紙を取り出し、台に置いた。
「もし何かありましたらこちらまで」
もう一つ台の引き出しから名刺を取り出した。名刺には店の名前と住所そして主の名前があった。名前は瑞那というらしい。
「……水の民が加工をしたとありますが、どのような人物がこれを作ったのかやはり不明ですか?」
台に置かれた紙に目を向け、気になったことを訊ねた。
「そこまではさすがに。職人ならどこかに銘を刻んでいるはずなのですが、手を尽くしたのですが」
主、瑞那は困ったように答えた。彼としても不明と書かざる得ないのはあまりにも悔しいのだが、分からないものは分からない。
「……そうですか。しかし、骨董屋で買う品の詳しい情報を貰うとは思いませんでした。商品はこのままでいいです」
ハカセは支払いを済ませ、商品を受け取るなり素直な感想を口にした。この街には多くの骨董屋が軒を連ねているが、その中には商品だけを売りつける店が少なくない。それも売り手が何も知らない時も常であるためこの店のように親切なのは稀である。
「当店では商品だけでなく情報も売るのが信条ですから。また、ご利用下さい」
ハカセの言葉は商品が売れたことよりもとても嬉しかった。自分の信条が受け入れられ、人の役に立っていると分かったから。
「はい、また利用させて貰います」
笑みで答えて店を出た。こんな店、今回の一度きりの訪問ではもったいない。今後、何度か訪れることになるだろうことは明確となった。
「ありがとうございました」
精一杯の心からの礼を言いながら、出て行く客を見送った。
しばらくして、茶髪の少年も店を出て行った。彼はハカセと違って何も買わなかった。
「……さすが、水の民の至宝」
満足げに指輪をはめて眺めながら帰宅の道を歩いていた。石は光の加減で青や紫に変わり、見る者に不思議さを与える。
「ねぇ、君」
ハカセは自分を呼び止める少年の声に足を止めて振り返った。
「あなたは」
立っていたのは骨董屋で見かけた茶髪の少年だった。
「水の民の至宝を買っていたのを見ていて。ほら、僕も」
少年は左の人差し指を見せた。そこには透明の宝石がついた指輪が輝いていた。
「水の民の至宝ですね」
一目見て煌めく石の正体を見破り、改めて少年を見た。
「うん、これは特別な物で色が変わらないんだ」
そう言い、光に翳す。言葉通り受けた光を光のまま貫き通して輝く。
「そうみたいですね」
美しい輝きに心を魅了されながらうなずくも視線はすぐに少年に戻った。ただ、宝石自慢で声をかけられたわけではないと思っている。
「それでこの世界で一番水の民の遺跡がたくさんある海人の国にあるいい所に案内したいなぁと思って。初対面で簡単にうなずいてはくれないと思うけど」
ハカセの予感は的中したが、あまりにも唐突なことに言った本人でさえもまずいことを言ったという顔をしている。ハカセの表情は驚きではなく推し量るようなものだった。
「……案内ですか」
ハカセは真摯な緑の瞳を見つめた。彼の言葉の信用性だけではなく奥にある人間性までも見透かすような強く優しいマゼンタ色の目。
少年は視線を逸らさずにしっかりと受ける。何もやましいことはないので逸らす必要はない。
「……お願いします」
見つめる瞳が優しくなり、笑みを浮かべた。彼の品定めは終わって結果が出たようだ。
「そっか。受けてくれてありがとう」
嬉しい答えに声を高くして舞い上がる。
「私はハカセと呼ばれている者です。あなたは?」
改めて一番にしなければならなかったことをする。
「……僕はナディリアス。ナディと気安く呼んでくれていいよ」
少し間を置いてからゆっくりと名乗った。まるで名乗るべき名前を探しているかのように。
「よろしくお願いします、ナディ」
ナディの様子に何かを感じつつも訊ねることはせずにこれからのことに気持ちを持って行った。
「それじゃ、明日の朝に。準備は全部しておくから」
簡単に待ち合わせ場所や時間など打ち合わせをしてからさっさと行ってしまった。
「……これは何かの縁かな」
ハカセは小さく去っていく旅人を見送りながら呟いた。
その後、ハカセは帰宅して明日の準備をしてから再び『青の記憶』のページを開いた。
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