第2章 メリナの不思議箱
 
 歴史家が多く住まう街、白歴。地図ではアリアノールとある。その場所にあるとある家。
 その家の居間は、紙が散らばり、本はどこかしこにも積み上げられている。中には貴重な物もあるはずなのに全てごちゃ混ぜにしてしまっている。
 
「ふぅ」
 久しぶりに我が家に戻り、一息つくハカセ。心配していたニコルも元気そうで安心したし用事も終わった。
 ゆっくりと汚いテーブルの上に瓶を置き、他の荷物を床に転がした。
「……どうしようかな」
 椅子に座り、二冊の本に視線を動かす。溢れるばかりの幻想を押さえ込んだ白い表紙の本と全身の毛を立たせる狂気を布と紐で閉じ込められた本。両方共、歴史の上を歩く者に貰った物だ。
「……少し気晴らしにでも行こう。急ぐものでもないし」
 ハカセはゆっくりと椅子から立ち上がり、家を出た。
 
 外出をしたハカセの足が辿り着いたのは、一軒の骨董屋。最近、よく訪れる店の一つである。
「……さてと」
 ハカセはゆっくりと店に入った。店内には本や壺や瓶や石など様々な物が所狭しと静かに並んでいる。物は多いが、どこにも埃一つ積もっていない清潔さ。
「いらっしゃいませ」
 来店した客を迎えるのはレジに座る青年一人。店長である彼は遠い人の国出身だが、服装は故郷独特の物ではなく、この大陸の物を纏っている。
「……」
 ハカセは一瞬だけ店の主に顔を向けた後、棚に視線を走らせた。目移りしそうな物がたくさん並んでいる。また何か出会いを呼び込む物があるかもしれない。水の民との出会いを結んだ指輪に地下深くの書庫の扉を開いた鍵など。
 ゆっくりと歩き回っていたハカセの足がふと止まった。マゼンタの瞳が注意を向けたのは腕で抱えなければならないほどの大きさの瓶だった。
「……綺麗」
 ほぅと感嘆の声を洩らすハカセ。瓶の中には色鮮やかな丸い物がぎゅうぎゅうに詰められている。どれもこれも様々な色をしている。ただの石にしては綺麗すぎる。秘石か宝石だろうかと頭で考え、手は瓶を棚から下ろす。
「……これをお願いします」
 重たそうに抱えながらレジへと持って行く。
「あ、はい」
 店長は、手に持っていた布と美しく装飾がされた宝石箱らしき箱を台に置き、商品を受け取った。
「……」
 店長が値段を打っている間、ハカセは瓶から箱に興味を向けた。手間を掛けたと明らかに分かる装飾。汚れはどこにも無いが、少し古さを感じる。この店の新しい商品なのだろうか。
「値段は……」
 主は適正の値段を言いながら、お客が箱に興味を示しているのに気づいた。
「その箱は今日の朝、届いた物なんですよ。触れて構いませんよ」
 そう言って箱の表をハカセの方に向けた。
「では、失礼します」
 店長の言葉に甘えてふたを開けようと触れるが、びくともしない。
「……これは」
 どう見ても鍵穴は無いので普通に開くと思っていたため少し驚きの顔になったが、すぐにこの箱の正体に思い至った表情になった。
「そうです。これは開かずの箱です。人によっては夢想箱とも呼ばれてますが」
 ハカセが答えを口にするよりも先に言葉にした。
「中に何が入っているのか想像して楽しませるために存在する箱ですね」
 ハカセは箱を店の主に戻し、支払いのためのお金を取り出した。
「えぇ。あ、ちょうどですね」
 店長は代金を受け取った。
「これは秘石飴です」
 そう言ってきっちりといつもの仕事をする。後ろのたくさんの引き出しから一枚の紙を取り出した。
「……飴ですか。てっきり宝石か秘石かと」
 紙を取り出している様子を見てから瓶の中で煌めく宝石を見た。
「そうです。だから、食べることができます。秘石を含んでいるためか食べると眠気が一切来なくなるんですが、飴が溶け切ったら抑えていた眠気が来るそうです。効果の持続は味を感じている間です」
 取り出した紙をハカセに手渡した。
「この飴はかみ砕くことができないほど硬いんですが、もしかみ砕くことができても体内で溶けるまで効果はありますから。その時も味がこみ上げてくるので効果が続いていることは確認できます」
 紙に書いていることを言葉にする。紙には飴のことや製造元が書かれている。
「……この飴の制作者は最後、自分の作った飴を体調維持のために食べ続ける毎日を送っていたと」
「よく知ってますね。秘石を含んだ飴を作る人としてはかなりの腕前だったそうですよ。ですから、この店の棚に並べることになったんです。今では秘石を服用するなんてあまりしませんからね。これはほんの少ししか含んでいませんけど」
「そうですか。徹夜をする時にでも試してみましょうか。ありがとうございます」
 ちょっとしたお喋りを済ませてからハカセは買った品物を持って店を出た。
「ありがとうございました」
 若き主は出て行く客を見送ってから想像を膨らませる箱に心を戻した。
 
「……なかなか溶けそうになさそうだなぁ」
 様々な色の綺麗な秘石飴を見ながら呟く。見た目にもかなり硬そうな印象を受ける。興味だけで口にしたら大変なことになりそうな。
 買った物を楽しそうに見ながら歩いているハカセに声をかける者がいた。
「ハカセ!!」
 闊達な青年の声。ハカセは足を止めて振り返った。
 そこにいたのは外見年齢20歳ぐらいの旅姿の青年だった。
「あなたは、リーアン」
 最高の石を探している青年。奇憶の街へ向かう途中に立ち寄った鏡の街で出会った人。
「久しぶりだね」
 リーアンは嬉しそうに言った。彼の手には、咲き乱れる花や飛び回る小鳥が精緻に描写された箱があった。当然、ハカセはそれに気付いた。
「それはどうしたんですか?」
「これかい? これは、ここに来る途中で手に入れた物なんだ。メリナの不思議箱と言ったら知ってるんじゃないかな」
 リーアンは、簡単に説明した。歴史家であるハカセにはそれだけで伝わった。
「えぇ、知っています。宝石好きの呪術師メリナですね。不思議な箱に宝石を入れて親類に渡しては、解錠できずに困る様子を楽しむと」
 頷き、説明補足を口にすることによって知っていることを示した。
「そうそう。その箱を手に入れたんだ。これで二個目さ」
 ニカっと嬉しそうに答えた。
「それはすごいですね。一個目は開けることが出来たんですか?」
 手に持っているのが二つ目ということは一つ目が気になって訊ねた。
「あぁ、できたよ。良かったら中身を見せるよ。どこか落ち着いた所の方がいいんだけど」
 感動を誰かと共有したかったリーアンはすぐにハカセに言った。
「それなら、私の家にでも来ませんか」
「それじゃ、お邪魔するよ」
 ハカセはリーアンを連れて自宅に戻り、居間に案内した。 
 
「あまりにも散らかっていて申し訳ありません。椅子の上にある荷物は適当に下ろしてかまいませんから」
 あまりにも荒れに荒れ果てた部屋に心底申し訳なさそうに言いながら荷物をテーブルに置いた。
「……あぁ」
 リーアンはあまりの部屋の様子にまともな言葉を発せずにいたが、すぐに言われた通りに椅子を座れるようにしてから話を始めた。
「これが最初に手に入れた物なんだ」
「……これが」
 拳大のくず石に見えるような物を取り出した。くず石にしては美しく光の加減で赤や緑、黄色に青と様々な色を見せてくれる不思議な石。
「……秘石や宝石ではなそうですが」
 少し手に取りながらじっと確認をするが、どこにも不思議な力は感じられない。
「そうなんだ。それでもこの美しさは心を吸い込まれる。箱は開けた途端、ぼろぼろになって消えてしまったんだ。かなり地味な箱でさ」
「そうですか」
 じっと石を見つめるリーアンの気持ちは石を手に取っているハカセにもよく分かる。光の加減で変わるというのなら水の民の至宝もそうだが、この石は違う。
「次はこれを開けてみようと思っているんだ。きっとこれに負けない物が入っているはずだ」
 ハカセがテーブルに石を置いてから本題に入った。一個目の箱でこんなに感動したのだから当然、二個目も凄い物が入っていると思うのは当たり前のこと。
「……鍵が必要みたいですね」
 ハカセは箱を手に取り、確認をする。鍵穴が一つ。それが開けるための唯一の手段。
「それもある」
 服のポケットから精緻な花の飾りが付いた鍵を取り出して見せた。もう開ける気満々である。
「これを回せば、きっとすぐ開くはずだ。呪いは無いみたいだしな」
 ハカセに箱を貰い、鍵を穴に入れようとする。彼は仕事柄呪術も心得ているのだ。
「……気を付けた方がいいですよ」
 ハカセは気軽に開けようとするリーアンを止めた。多くの人がメリナの箱に泣かされたと言うのに鍵を回しただけで手に入るはずがない。ハカセはそう思っている。
「何かあったら俺の代わりにこの石とこの箱に入っている石も一緒に店に送っておいてくれ」
 リーアンは少し手を止めるも中止にするつもりはない。一応の覚悟も店番をしている友人へ心配もあるらしい。
「……すみません。少し席を外しますね」
 なおも止める言葉を続けようとしたが、来客を告げるチャイムにハカセは席を外さねばならなくなった。
「……大丈夫」
 リーアンは覚悟を持ちながらも呑気に答え、鍵を穴に突っ込んで回し始めた。
 ……ゆっくり、ゆっくりと。何が起こるのかも知らずに。
 
 居間に残したリーアンを心配しながらも玄関の扉を開けた。
「どちら様ですか?」
 玄関にいたのは馴染みの一人だった。
「やぁ、ハカセ!」
 キンキンとよく響く声でハカセを迎えたのは5歳ぐらいの子供だった。その子は軽装にサンダルで薄い金髪のおだんごを布で包み、結んでいる布が垂れ下がっていて愛用の鞄を肩に掛けている。
「キッドですか。お久しぶりです」
 ハカセは親しみのある声で迎えた。
「うん。ハカセも元気そうだね。これをあげるよ」
 挨拶もそこそこにキッドは鞄から一冊の本を取り出した。分厚く年季の入った本。
「……これは呪術師メリナの帳簿ですね」
 キッドから本を受け取るなり、手早く中身を確認する。事細かに文字が並び、時々図柄さえ現れる。
「そうだよ。ハカセにあげたいと思ったから」
 キッドはにっこりと笑って答えた。彼は歴史の上を歩く者と呼ばれ、歴史の闇に消えた本などをすくい上げては多くの歴史家に資料として渡しているのである。特にハカセを気に入っていたりする。
「ありがとうございます」
 いつものように感謝を言葉にする。本当にいつも必要な時に現れる。
「それじゃぁね」
 キッドは挨拶をして風のようにどこかに行ってしまった。
「……急がないと」
 ハカセは本を持って居間に戻った。まだ、リーアンの身に何も起こっていないことを信じて。
 
「……すみません」
 一言謝りながら部屋に入ったハカセの顔色がわずかに変わった。
「……リーアン」
 目に映ったのは、鍵を穴に入れたままテーブルに伏している青年の姿。明らかにハカセの不安が的中したことが見て取れる。
「……一体、何が」
 ハカセは急いで手に入れたばかりの本を開いて探し始めた。
「……これだ」
 見つけたページには、テーブルに置かれている箱と同じ絵が載っている。この帳簿はメリナが管理してた箱とその箱に入れた石の種類などが書かれているのだ。
「……鍵を回し続ける必要があるが、回し始めると同時に眠気が襲って動けなくなる」
 ゆっくりと書かれていることを確認する。まさに今起きていることがそのまんま書かれてあった。
「……放っておくと永遠に覚めなくなる。とりあえず」
 当然の結果もすぐに予想できること。まず、することはリーアンを助けることに他にない。
 ハカセは何とか苦労してリーアンを寝室へ移動させ、ベッドに寝かせた。
「……これできっと大丈夫なはず」
 ハカセは居間に一度戻り、買ったばかりの飴を瓶から一つ取り出して戻って来た。
「……リーアン、起きて下さい」
 呼びかけ、彼の口に深紅に輝く宝石飴を放り込んだ。
「……」
 待っても目覚める様子がない。もしかしたら一度、眠りに入ったためか効果が現れるのに多少時間がかかっているのかもしれない。
「……少しかかりそうだ」
 少し様子を見た後、ハカセはリーアンに頼まれた仕事を片付けた。テーブルに置かれた石を彼の名前で店に送った。
 それからハカセは改めて箱を見た。
「……鍵を回し続ける」
 ハカセはリーアンに頼まれたもう一つの仕事を始めた。紫に輝く宝石飴を口に放り込み、ゆっくりとさしたままの鍵に触れた。
「……回す」
 そして、鍵を回していく。ゆっくりと確実に。
 ふと一瞬、眠気を感じるも口内に広がる何とも言えない甘くて美味しい味が入り込む眠気を追い出していく。
「……終わりが見えないなぁ」
 いくら回しても鍵は終わらないし、いくら舐めても飴は小さくならない。必要なのは忍耐のみ。
「……この飴が溶け切るまでに開けられたら」
 そう呟きながらどんどん回していく。宝石飴二つは終わった後にかなりの眠気が自身を襲うことは間違いないのでそれだけは避けたいところだ。
「……」
 ハカセは休み無く回し続ける。秘石飴のせいか空腹を感じることはない。ただ、ひたすらに箱を開けることリーアンが目覚めることだけを考えている。
 
 この後、ハカセはずっと鍵を回し続け、送られた三日目の朝、リーアンの店に到着した。
 そして、リーアンはいまだに目を覚まさないでいる。
 それでも自体はゆっくりと変わって行った。