第5章 生者の朝
 
 
 死人の夜が明け、生者の朝が訪れる。恐怖は去った。
 ある大賢者の屋敷で待ちに待った話し合いが始まった。
 
 朝、大賢者の君の屋敷。
「で、あいつと何を話したんだ?」
 焔は菓子をほおばりながら昨晩について訊ねる。
「取引相手は誰かって聞いたんだけど、はっきりとしたことは言わなかった。ただ」
 カップに口をつけながら言った。
「ただ?」
 緑樹も菓子を口に放りながら話を促した。
「ただ者じゃない者が取引相手みたいなことを言ってた。この世界は見えているものが全てじゃない。見えないものの方が多い世界だからきっと彼はその見えない世界に関係しようとしてると思う」
 死神が口にしたことを隠さずに全て話し、自分の推測も付け加えた。
「なるほど」
 さすがとうなずく緑樹。
「彼が求めるものが神化にあるんだって。それが何かは分からないと言ってた。それが彼の本当の言葉なら」
 まだ確実に信じたわけではないが、とりあえず伝えることだけはした。
「……ただ者じゃない相手かぁ」
 焔は頭を巡らして答えを見つけようとするが、それらしきものはなかなか見つからないようで顔色が曇っていた。
「じゃ、当分僕達が動くようなことは起きないってことだね」
 緑樹は呑気に菓子を食べて緊張する空気を乱してしまう。
「呑気だな」
 緑樹を見ながらため息をつく。大変なことに巻き込まれているというのになぜこんなにも呑気にできるのか理解できない。
「そう言うけど、何かできることでも?」
 焔の言葉に不満を抱き、ずいと険のある声で訊ねた。
「確かに動けねぇけど」
 まともな答えを持っているわけもなく、ため息だけが洩れる。
「まぁ、今はそれでいいんじゃない。僕達には僕達の生活があるんだし」
 そんな空気の悪くなった二人を君の穏やかな声が場を落ち着かせる。
「なんだかなぁ」
 釈然としないまま言葉を慎んで焔は喉を潤した。
「……ただ者じゃない相手か」
 ずっと黙っていた紫乃絵が心当たりがあるのかぽつりと呟いた。
「何か思い当たることでも?」
「少しあるが、確証はない」
 紫乃絵の言葉に気づいた緑樹が訊ねるも彼は言葉を呑み込んで先を言うことをためらう。
「それは?」
 緑樹はとにかく先を知りたいのでさらに訊ねる。
「鬼市かもしれない」
 ゆっくりと言った。君の言葉から推測できたのはそれしかなかった。
「鬼市って異形の者が集まって交易をするっていう僕らの国独特のものでしょう。黄昏時に聞こえるうら寂しい笛の音が市が来る合図とか」
 緑樹が眉をひそめながら念を押すように紫乃絵に言った。信じられなかった。鬼市の存在は天空城や世界の中心と同じで存在しているのかしていないのか不明なものである。
「あぁ、もしかしたらそこに行こうとしているかもしれない。奴ならそこに入っても異形の者として扱われるだろうからな。人の匂いが消えているはずだろうから」
 紫乃絵はさらに自分の考えを言葉にした。
「幻の店通りみたいなもんだな。奴がそこにいると思う理由は何だ?」
 さらに訊ねたのは焔だった。その顔は真剣そのもの。彼の言う幻の店通りというのは大陸版鬼市である。笛のところが足音や歌という違いがあるだけで内容は同じである。
「鬼市では人以上の情報を持つものが多いと聞く」
 死人使いになった際に得た知識の中に鬼市もあったことを思い出す。
「それでそこに行く方法は?」
 君はもっともなことを訊ねた。
「それは少し調べてみる必要がある。見聞きした資料に詳しいことが載っていなかったか確認する必要がある」
 返ってきた答えは明確なものではなかった。
「それより、すごいな死人使いって言うのはよ。あんたが使っていたあの白い粉っていうのは人の骨だろ。あんな物どうやって手に入れるんだ?」
 焔は初めて見た死人使いの戦いを思い出し、白い粉のことを訊ねた。未知への興味が大賢者らしい。
「身寄りがない者やうち捨てられた死体から手に入れる」
 答えはあっさりとしたものだった。今は平和な時代なので入手方法も平和である。争いのあった頃は敵方の兵を殺して手に入れていただろが。
「大変だな」
 じっと白い顔を眺めながら感想を口にした。この世界は広い。普通なら会うことのない人物に今会っているのだ。
「とりあえず、話はこれでおしまいかな」
 話すべきことは終わった。君はゆっくりとカップに口をつけた。
「そうだね。じゃぁ、帰るよ」
 緑樹もうなずき、ゆっくりと立ち上がった。
「……」
 紫乃絵も立ち上がり、二人は出て行った。
「おう、気をつけてな」
 焔はのんびりと見送り、しばらく残っていることにした。
 
 場所は港。時間は昼前になっていた。昨夜、大変なことがあったとは信じられないほどの変わり映えのない通り。今日、墓場が荒らされていないことを知った人々は少しばかり安心し、事情の知らない賢人は自分達の対策のおかげだと今頃、満足げだろう。
 しばらくすれば、本当に人々は安心し、葬式もいつも通りされるだろう。
 
「今回はありがとう。……気を付けてね」
 緑樹は紫乃絵を見送るために港まで来ていた。
「あぁ。……お前の方もな」
 一言言い、彼は乗船した。振り返ることなくマントの青年が乗った船は出港した。
「さぁてと」
 船が見えなくなるまで見送った後、緑樹は家に戻った。
 
 遠い人の国の二人が去って残ったのは大賢者の二人だけだった。
「本当にいろいろあるよな」
 焔はまだ残って和んでいた。本盗難と言い、薬のことと言い、何かとこの世界は忙しい。
「まぁ、それがこの世界だからね」
 あっさりと言ってのける君もまた焔と同じことを考えているが、根が穏和なので全く深刻に思っているとは思えない。
「さてと、オレも行こうかな」
 たっぷりと和んだ後、ゆっくりと立ち上がった。
「うん、また」
 出て行く焔を見送り、一人になった君はゆっくりと時間を過ごした。
 
 不気味な事件を終えた賢人の華の都、厄介な事件を迎えようとする都があった。
 二人の凄腕の呪術師が再び技を放つ時が近づいていた。