第2章 神化と還り人
 
 
「若旦那、お客さんですよ」
 鈴奈の声が自室に響く。相変わらずの元気な声である。
「……ん、朝?」
 半分夢の中の状態で仁王立ちの鈴奈に訊ねるが、彼女の顔が怒っていることには気づいていない。
「朝じゃありません。お昼です。ほら、起きて下さい。お客さんを待たせちゃいますよ」
 布団を引き剥がし、無理矢理目覚めを促す。
「ちょっと、鈴奈!」
 ようやく目を覚まし、起き上がる。本当に彼女は強引である。
「あー、寝間着じゃないじゃないですか。帰ってそのまま寝てしまったんですか」
 緑樹の格好を見た途端、すぐに不機嫌になってしまう。本当にだらしないという口調にさすがの緑樹も何か言わずにはいられなかった。
「いろいろあって」
 言うには言うがあまりにも言葉が少ないため鈴奈を納得させることはできず、不機嫌なままだ。
「もう、終わったらきちんと整えて下さいよ。さっさと客間に行って下さい」
 これ以上言い合っていても仕方が無いので言うべきことを言って部屋を出て行った。
「本当に鈴奈は」
 不満げに言葉を洩らしつつもお客を待たせていることを思い出して急いで客間に行った。客間には予想通りの人物が待っていた。
 
「ごめん、ごめん」
 部屋に入るなり軽く待たせたことを謝り、向かいの席に座った。
「構わない。昨晩の話の続きだが」
 緑樹が席に着いてから話し始めた。
「そうそう、神化とか還り人って何?」
 聞きたいことを思い出し、早速訊ねる。
「それは神化とは過程を示す。その結果が還り人だ」
 言葉が指し示すことをまず話す。それから詳しい話にはいるのだ。
「過程って何の?」
 さらに突っ込む。何か妙なことを示していることは分かっている。
「それは、死人使いが死んでまた戻って来る過程だ。その際に間違わなければ蘇った際、多くのものを手に入れることができると言われている。あまりの不思議さと神懸かり的な行為のため神化と呼んでいる。そして還って来た者を還り人と呼ぶ」
 死人使いになる際に様々な知識を得たが、その中にあったあることを口にした。あまりにも危険なことなので試したこともやってみたいとも思ったことのないこと。今日までただの知識として頭に入れていたこと。まさか、それが役に立つとは思いもしなかった。 
「まさに還り人だね。それで成功した人は?」
 納得するが、まだ気になることはある。
「しかし、それをして無事だった者は滅多にいない。大昔はいたらしいが、詳しい話も資料も残っていない。ほとんどが行ったきりだ」
 自分の知り得ることを話す。気になって調べたこともあったが、あまりの資料の少なさに諦めたことを思い出した。
「そっか。それを彼はしようとしているわけだね」
 ようやく全てが繋がったが、まだ繋がらないことがある。墓場を荒らすことだ。
「あぁ、それだけなら墓場を荒らす必要はないが。何か目的があるのかもしれない」
 ただ、死んで戻るだけならこのような事件を起こす必要はない。まだ何か足りないものがあってそれを補うために動いているのではないかと緑樹と別れてから改めて考えた。
「もしかしたら神化のために何か情報を集めてるんじゃないのかな。ほら、詳しい話も資料も残っていないって。そんな中でやると言っても無理だよ。ある程度の情報が無いと。何か特別なことが必要かもしれないし」
 少年の最後の言葉を思い出していた。はっきりとは言ってはいなかったが、まだ何かする様子ではあった。それが何かが分かれば楽なのだが。
「そうだな。何にせよ、気をつける必要はあるな」
 何かは分からなくても不吉なことであるのは間違いない。
「そうだね」
 紫乃絵と同じことを考え、うなずいた。
「さてと」
 話を終えた紫乃絵はゆっくりと立ち上がった。
 これからやることはもう決まった。あの少年が次に何をしようとしているのかを調べる必要がある。
「もう行くの?」
 つまらなさそうに訊ねた。彼が帰ってしまえば待っているのは仕事の山である。それを考えるだけで気持ちが滅入る。
「あぁ」
 引き留めの言葉にも素っ気なく答えてさっさと部屋を出て行った。
「気をつけて」
 仕方なく見送った。
 
「はぁ、大変なことになったなぁ」
 ばったりと倒れ、天井を見ながらぼやく。
 本当に妙なことになった。きっとこれから関わることになりそうでますます嫌な気分になる。今も仕事仕事で疲れ気味だというのに。災いを呼ぶ体質なのだろうか。
 この後、緑樹は格好を整え、食事を終えてから仕事に取りかかった。誰一人として昨晩のことを訊ねる者はいなかった。興味がないのかは知らないが。
 世間では事件がぱったりとなくなり、ほっとしていた。
 
 彼が翌日に起きる賢人の華の都の本盗難や関係する事件を知るのは二週間と八日後のことだった。そこでも彼はまた本が盗まれたとか薬の流行など厄介なことに巻き込まれてしまう。
 
 遠い空の下のどこかで泥棒猫がクスクスと笑い声を立てていた。