第1章 墓場と少年
 
 
 賢人の華の都から随分、離れた場所に遠い人の国、公的名はフリキアという国があった。 その国では独自の文化を創り上げ、服装や呪術さえ全く違っていた。呪術師の妖しの都の者の多くは体系の違う呪術を異質の呪術と言って区別や差別する者がいた。
 他の地で大変なことが起きている頃、この遠い人の国にある海が見える賑やかな瑞橋の都公的名ではリーサンという。そこで事件が起きていた。その事件によって人々は不気味さに体を震わせていた。
 
「はぁ」
 爽やかな朝、一人の青年が情けないため息が狭い部屋に響く。
 畳や棚には様々な書類が所狭しとあり、部屋が余計に狭く見える。
「あぁ」
 またため息をつく。青年は18歳で白色量の多い明るいレタスグリーン(若菜色)の長い髪を後ろで一つに束ねてこの国の服装である着物のようなものを着ていた。
 手に持つ書類を机に置き、畳に仰向けに倒れ、右手を翳す。右の人差し指には不思議な力を持つ秘石素材の金の指輪が輝いていた。その指輪には彼の身を守る呪いがかけられており、この家の責任者の証でもある。見る度に厄介なことを押しつけられたことを思い出す。仕事と称して仲良く世界を回っている両親のことを恨む。時々、帰って来て気まぐれに仕事をしては消えるという有様。彼の家はなかなか大きく世界中の商品の輸入や輸出、その商品選びに世界を回っているのが両親でその旅話を本にしたりもしている。息子は様々な所から来る書類の整理などの雑用をしている。それだけではなく国内では呪術師としても活躍している。それは主に両親ではなく息子の担当だったりする。
「全く、呑気なものだよ。店頭の方とか呪術師稼業はみんながやってくれるけど」
 書類整理だけは自分がやらなければならない。全く滅入ることばかり。そんな時、襖から青年の声がした。
「緑樹、樫木(かしぎ)だ。いいか?」
「いいよ。どーぞ」
 気のない返事をして襖が開く前に起き上がった。
「すっかり、疲れているな。まだ帰って来てから三日しか経ってないぞ」
 呆れた顔をした20歳ぐらいの青年が立っていた。六日前、緑樹は賢人の華の都の図書館帰りのところを見つかり、無理矢理連れて行かれたのだ。三日間の船旅は見張り付きで苦痛でしかなかった。
「そんなことよりどーしたの?」
 疲れで不満の顔になっている緑樹は恨めしそうな目で樫木を見た。
「客だ。店先で待たせてある」
 用件を伝えると緑樹の顔が変わった。
「お客さんかぁ、誰だろう」
 少しばかり仕事から解放されると知った彼は嬉々として店の方に急いだ。住居場所と店は一緒になっている。樫木は呆れた顔で後ろ姿を見送っていた。
 
 急いで店の方に行くと顔見知りの青年が一人立っていた。
「紫乃絵じゃないか。何かあった?」
 立っている青年に声をかけた。青年は緑樹と同い年で髪を頭の上で一つに結び、結び目にはお気に入りの紫と青系のグラデーションの多くの小さな花が集まり大きな花を作る紫陽花のような造花を飾っていた。飾り気のない着物に洒落た帯をして生気が浮かんでいない白い顔をしていた。
「あった。少しいいか?」
 生気のない声で訊ねる。
「いいよ。丁度いい時に来たよ。入ってよ」
 嬉しそうに言い、紫乃絵を客間に案内した。これで少しばかり仕事から解放される。
「で、何があったの?」
 早速、訊ねる。客を前にする時、いつもならテーブルに飲み物や食べ物があるが、今日は用意していない。それは忘れたのではなく必要でないことを緑樹がよく知っているからだ。
「土葬の墓場という墓場が荒らされている。一週間前から」
 紫乃絵が口にしたのは最近、起きた不気味な事件のことだった。
「えぇ!! そんなことが起きてたのぉ!? 知らなかったよぉ。帰ったら仕事ばっかりで。誰もそんなこと言わなかったよ」
 初耳らしく緑樹はとんでもないほど驚き、店の者を恨んだ。絶対に箝口令が敷かれたに違いない。
「言えば、お前が仕事をしないからだろう」
 紫乃絵はきっぱりと緑樹の性格を言った。
「……そんなことはないと思うけど。でも、土葬用には悪さがされないように呪いをかけてたんじゃなかったけ。土に還ったら解ける呪い」
 歯切れ悪く否定するが、すぐに事情を訊ねる。以前は土葬だったが、現代では火葬が一般的だが、稀に土葬を希望する人もいる。呪術があるこの世界では遺体を守るため呪いをかけることが通例となっている。それは他の国も同じである。
「それがすっかり解かれて消えていた。最初は一体消えていたことから始まった。それから毎晩別の墓場からごっそりと死体が消えていく。今は火葬が主流で土葬の墓場は少なくなった。一週間もすれば荒らされていない墓場も今夜で一つになった」
 紫乃絵は簡単に事情を知らない緑樹に話した。
「それでそこで待ち伏せをして犯人を捕まえようってことだね」
 紫乃絵が何を考えているのか察した彼は先回りして言った。
「あぁ、何の目的でこんなことをするのか問いただそうと思う。おそらく同業者」
 今までの事件の流れから導き出した答えを口にした。おそらく高確率で彼の予感は的中しているだろう。
「……死人使いだと?」
 呑気者の緑樹の顔もさすがに渋いものになった。信じられなかった。なぜなら死人使いで知っているの友人である紫乃絵しか会ったことがないからだ。それほど過酷なものなのだ。
「間違いないと思う」
 静かにうなずいた。
「そっかぁ。でも死人を使役する死人使いになるのは大変でしょう」
 青白い顔をじっと見ながら言った。いつも彼に会う度に思うことである。
「あぁ、死人は人間をやめた者、終えた者だ。使役する者もまた人間をやめなければならない。飲食をやめて生きている匂いを消さなければならない。しかし、死人使いは死人ではなく生きている。食べなければ動くこともできない。数ヶ月に数回、水を一口飲んで少しばかりの食べ物を口にするだけだ。それ以上は無理だ。匂いが消えるのに時間がかかる。匂いがあれば奴らを使役することができない」
 淡々と死人使いについて話す。内容はさらりと話すようなことではない。
「本当にすごいよね。普通じゃ耐えられない。狂って辞める人が多いもんね。死人の声が聞こえないと無理だって聞いたよ。だから、紫乃絵はいつも墓場とか葬式と死が側にある所にいるんだよね」
 尊敬の念でうなずいた。仕事の不気味さと穢れ多いことに死人使いを軽蔑する者が多いが、呑気者の彼は軽蔑はしない。思い出すのは紫乃絵と初めて会った時のこと。彼と出会ったのは墓参りの時だった。
「あぁ、それが最初の訓練だった。掠れていた声がはっきりと聞こえるようになっていた。神経もおかしくなった。空腹さえ感じなくなった。自分はそれで狂うことは無かったが」
 表情を変えることのない彼の顔が少し皮肉めいたものに変わった。
「でもすごい仕事だともうよ。この国特有のものだし。確か、始まりは戦争の時に生まれたんだよね。兵士がどんどん死んで足りなくなったから増やすために生まれたって」
 賢者をしているだけあって知識はそれなりにあるらしい。
「あぁ、そうだ。争いのない今は死人を蘇らせて言葉を聞いて伝えるべき者に伝えるだけだ」
 それなりに平和な今、死人を使役して戦争に参加することもない今は葬式に立ち会い、亡き大切な人を忘れられない人のために死人の声を聞き、伝えることをしている。死んですぐならまだ魂というものが残っていることがあるので伝えることができるのだ。死人使いは霊能者でないので幽霊が見えるということとは別である。
「その方がずっといいと思うけど。争いなんてくだらないし」
 あっさりと言い、にっこりと笑った。
「まぁな。では、夜になる少し前に墓場で」
 いつもの無愛想で言い、部屋を出た。
「うん、分かってる」
 出て行く後ろ姿をワクワクしながら見送った。遠足前の子供である。
 
「入りますよぉ、若旦那」
 襖が開いて緑樹より3歳年上のおだんご頭の女性が現れた。
「あ、鈴奈。僕に話さなかったでしょう、事件のこと」
 少し嫌味を含めて言う。彼女こそが緑樹を無理矢理連れ帰った本人である。
「当然ですよ。話せば仕事しないでしょう。それより事件に突っ込むでしょう」
 分かり切ったことのように言い、心さえも読んでしまう。
「当然だよ、つまらないし。仕事もするから」
 力強く言うも鈴奈の目力にやられて頼み込むように手を合わせた。
「分かりました。さぁ、仕事をして下さいね」
 呆れたようにため息をついてから部屋を出て行った。
「ふぅ」
 ほっとしたように息を吐いてから仕事に戻った。
 仕事を終え、少し眠ってから夕食をしてから待ち合わせの墓場へ向かった。
 
 墓場の出入り口には紫乃絵が立っていた。
「早いねぇ」
 紫乃絵に会うなり、呑気に言った。
「……行こうか」
 彼は緑樹を促し、さっさと墓場へ入った。緑樹も急いでそれに続いた。
 
 墓場は太陽があってもなくても変わらずに不気味さがある。夜になると何かが出てきてもおかしくない雰囲気さえ醸し出している。
 左右を見回しても墓以外何もない。上を見上げるといつもより深い闇に感じ、天に輝く満月がこの上なく明るく感じる。
「何か不気味だなぁ」
 前を歩く紫乃絵に洩らすが、彼は歩きを止めない。二人とも灯りを持っていないが、月の光で道は明るいし、戦うには手ぶらの方が都合がいい。
「夜だからな」
 ただその一言を口にするだけで何も言わない。
 二人は墓場の中央で足を止め、犯人を待つことにした。
 
 どれぐらいの時間が過ぎたのかは分からないが、月夜に照らされた雲が流れ、 遠くで獣の声がする。ただ、不気味さを増すだけで何も起きない。
「……」
 辺りを静かに見回す。
「……来る」
 発したのはたった一言。警戒するにはそれだけで十分だった。
 彼の言葉と同時に周囲に異変が起きた。墓という墓から不気味な手が姿を現し、ゆっくりと腐敗した骨むき出しの体が出て来る。辺りに死臭が漂う。
「こりゃまたすごい。肝試しにはもってこいだ」
 周りを囲む死人達に笑うが、目は笑っていない。警戒し、いつでも呪術を使えるように整える。
 そして、一斉に襲いかかってきた。緑樹は手早く呪術を放ち、死人が触れる前に吹っ飛ばし地面に叩きつけた。
「こんなものかな」
 ばらばらになった死人達を見ながら満足げに言った。賢者としてあまり呪術を使う機会は少なくなったが腕は鈍っていないようだ。
「この様子だと犯人はこの墓場にいるな。侵入者のことも分かってるようだ」
 打ち倒された死人を見回してから少し考え込んだ。
「どうする? ここで待つことにする? どうせ来るだろうし」
 緑樹も周りを見回した後、紫乃絵に訊ねた。ここは紫乃絵に頼るしかない。相手は彼の同業者なのだから。
「そうしてもいいが、逃すわけにもいかない」
 ここで待って相手が来るとは限らない。今回はどうしても逃すわけにはいかないのだから。
「だったら、行く?」
「そうだな」
 二人はゆっくりと慎重に歩き出した。
 
 歩いてすぐ墓の側で今まさに死人を盗もうとしている現場に辿り着いた。
「あれだね」
 緑樹が指で示した先には少年がいた。
「あぁ、お前が犯人か」
 月の光で照らされたその少年の姿は、13歳ぐらいの紫乃絵以上の白い肌をしていて青を基調とした着物に半ズボンにサンダル、肩まである髪は後ろで一つに束ね、瞳は死人のように虚ろだった。
「もう来ちゃったか。誰かが来て僕の兵を倒したのは知ってたけど」
 じっと少年は二人の侵入者を見た。使役者と死人が少しばかり離れていても 感覚があるので操作することはできるし、倒されたのも分かる。
「来たのが同業者だとは思わなかったよ」
 紫乃絵を見て意外に言う。それほど現代では死人使いは少なくなっているのだ。
「どうしてこんなことを?」
 見合っている二人の間から緑樹が訊ねた。
「理由は一つ。神(しん)(か)をして還り人になるため」
 人差し指を立てて簡単に言った。反応をしたのは同業者の紫乃絵だった。
「……くだらない」
 言葉が何を示しているのか知りつつも一蹴した。
「それは君の考えだよ。僕はそうは思わない」
 そう言いつつゆっくりと先ほどの墓から離れる。彼が離れたと同時に例の如く死人が蘇った。今度の死人は服装も体も完全で顔色がの悪い男の形をしていた。
「うわっ」
 緑樹は驚きの声を上げた。姿に驚いたのではなく、蘇った死人が呪術を使ってきたからだ。
驚きつつも呪いにかかる前に回避し、難を逃れた。
「なかなかの使い手だな」
 じっと少年を睨み、厄介なことになったのを確認する。
 使役する死人は状態によって変わる。骨だけなら骨だけ肉体があれば肉体も。ただ、呪術を使ったり武器を使ったりするのは使役者の腕に寄るところが大きい。
「まぁね。僕は普通の死人使いと違って一切口に物を入れることをやめたからね」
 肩をすくめ、蘇らせた死人を見ながら言った。
「その使い手が何のために故人を冒涜する?」
 少しばかり不機嫌な顔で問いただす。少年と違って紫乃絵は本来の死人使いの仕事はしてない。それは平和なためでもあるが。
「呪術を使うなんて」
 苦戦をしながらも何とか打ち倒す。死人は倒れたまま動かない。それを見て一安心する。
「冒涜じゃない。死人使いの本来の姿だよ。君だってできるんだろう?」
 試すような目を紫乃絵に向けたかと思うと突然、墓から次々と死人が現れた。骨だけの者から肉体のある者、果ては犬か狼のような獣まで現れる。
「うわぁ、これはまた」
 あまりのことに声を上げずにはいられない。今回は呪術師として立派に活躍している。これ以上の頑張りを見せるには少々大変そうである。
「……」
 紫乃絵は右の袖から小瓶を取り出し、ふたを取って手の平に白い粉を載せてから瓶を片付け、粉に息を吹きかけた。手の平から粉が無くなったと思ったら、紫乃絵と緑樹を守るかのように何体もの骨だらけの兵隊が現れた。骨だけというのに呪術を扱い、少年の死人に対抗する。白い粉の原料は骨である。
「すごいよ」
 死人同士の戦いを眺めながらもきちんと呪術師としての仕事はこなす。
あっという間に全ての死人を打ち倒してしまった。紫乃絵は手を叩き、兵達に眠りを与えた。全てが白い粉になり、土に降り積もった。
「お見事。なかなかの腕を持ってるみたいだね」
 手を叩きながら満足げに言った。自分の言葉通りだったのがとても嬉しいようだ。
「さてと君達に付き合うのはここまでかな。ここの墓場だけじゃまだ足りないからね。相手は厄介だから。またね」
 少年は不吉なことを言い残し、さっと風のように去ってしまった。
「行っちゃった。これからどうする? あれはまたどこかの墓場を荒らすよ」
 少年を捕まえることができず、少しがっかりしつつ言った。
「だろうな」
 うなずくだけで何も言わない。彼の頭の中は他のことを考えている。
「それより、神化とか何?」
 緑樹は思い出したように今回の事件の中心にある妙な言葉について訊ねた。
それが全てを解決するものであることは間違いない。
「その話は後でする。もう少しすれば朝が来る」
 紫乃絵は答えず、薄くなり始めた空を見上げる。いつの間にこれほど時間が経ったのだろうか。朝が来るのにそれほど時間はかからないだろう。彼は死人達が倒れている周囲を見回し、自分のすべきことを思う。
「そうだね。少し休んでからの方がいいね。帰るよ。紫乃絵は?」
 今回は引き下がり、自分も随分疲れていることに気づいた。本当に呪術師として頑張った。
「ここを片付けてから帰る」
 ゆっくりと作業を始めながら答えた。死人達が次々と元の墓に戻って行く。
 元に戻して呪いをかけておかないと何かと大変なことになるので急がなければならない。
「そっか。また後で」
 手伝えることはないので素直に帰宅することにした。
帰宅するなり緑樹はすぐに眠りに就いた。