第1章 鍵と職人
いつものように旅暮らしを楽しんでいる上古の探索者ローズ。
水の民に関係することで度々話題になる海人の国、地図ではバーブルと記されているその国に存在する商業都市水華、セポネスと地図で表されている国に彼女はいた。
「さすが商業都市って感じ」
活気に溢れる朝の通りを歩きながら呟くローズ。
歩いている内にたくさんの船が停泊している港に立ち寄っていた。
「どうしようかな」
船と海を眺めながらこれからのことを考える。
この街を訪れた理由は何も無い。ただ、立ち寄りたかっただけである。
そうやって考える彼女の横を20代ぐらいの姉妹らしき女性達が通り過ぎていた。そのこと自体は気にすることではない。心を動かされたのはその後だった。
「あっ、どうしよう!!」
妹らしき女性が急に大声を上げて海の方を見た。
「どうしようって海に落ちた物は見つからないわよ。謝るしかないでしょう。大きかったのを言わなかったのが悪いのよ」
姉らしき女性は呆れたように言ったが、そんな言葉で諦めきれるほどの物ではなかったのか妹は海から目を離さない。
「だってぇ、誕生日に恋人に貰った物だよぉ。あれじゃなきゃだめなんだから」
諦めることのできない彼女はじっと海を見つめて何かいい方法を考えようとするが何も浮かばない。このままでは諦めないといけなくなる。
そんな姉妹の様子をローズは少し離れた所から眺めていた。
「海に何か落としたんですか?」
突然、困り果てる姉妹の間に少年の声が入った。
「えっ、腕輪を」
いきなりの質問に驚くもきっちりと答える妹。
側には11歳ぐらいの外見をした少年。短髪で左の横髪先端を紐で束ねている。首には秘石のついたチョーカーと背中には旅人らしくリュックがあった。荷物はそれだけではないらしく腰にウエストポーチがある。一番に目が向くのは腰に巻いている布である。布には頭のように見える円と広げた手のように見える線に魚のヒレがついた胴体が描かれてあった。
「そうですか。この辺りですか?」
少年は妹が見ている辺りを見ながら訊ねた。
「そうだけど」
どういうつもりで訊ねてくるのか分からないままうなずいた。
「それはどんな腕輪ですか?」
さらに腕輪の特徴を訊ねる。
「……金色で花と葉の彫刻があって真ん中に赤色の秘石があるの。裏にケイリィって私の名前が彫ってあるの」
少し悲しそうに答える。側では姉が不思議そうに二人のやり取りを窺っていた。
「そうですか。分かりました。見つけて来ますから待ってて下さい」
そう言うなり身に付けている荷物を地面に下ろして腰布を外してリュックに載せる。半袖と下に着ている長袖の服を脱いで荷物の上に置き、袖無しの服だけとなる。
「えっ、見つけて来るって、海に?」
妹は少年の素早い行動に驚き、訊ねた。まさかこんな展開になるとは予想外である。それは様子を窺っているローズも同じだった。
「そうです。なかなか上がって来なくても心配しないで下さい。泳ぎは得意ですから」
サンダルを脱いでリュックの側に揃えながら何でもないことのように答えてあっという間に海に飛び込んでしまった。
「……大丈夫なのかしら」
ローズはしゃしゃり出る隙を逃したため事の成り行きをじっと眺めるしかできなかった。
姉妹は心配そうに少年が消えた海の方を見ていた。
少年が海に潜って数十分が経過する。
「姉さん、人を呼びに行った方がいいんじゃない?」
少年の言葉で少しは我慢したが、もう限界である。普通なら死んでもおかしくないぐらい時間が経っている。もはや腕輪どころではない。
「そうね。誰か人を呼びに行った方がいいかもしれないわね。私が行ってくるから荷物を見ててちょうだい」
妹の言葉にうなずき、人を呼びに行こうとした時、水飛沫の盛大な音で足を止められた。
「見つかりましたよ」
嬉しそうな顔を水面から見せながら姉妹に見えるように腕輪を高く掲げた。
「えっ、あぁ、ありがとう」
予想外のことに驚きながらも礼を言う妹。
姉もあまりのことに驚いて言葉を失っていた。
「はい。どうぞ」
海から上がった少年は腕輪を妹に渡した。
「ありがとう。まさか見つけてくれるなんて」
嬉しそうに腕輪を受け取る。今度は腕には着けず、しっかりと手に持っている。
「よかったです。本当に」
そう言って妹の嬉しそうな顔にほっとし、サンダルを履いてリュックからタオルを出して頭を拭いた。
「本当に妹の腕輪を見つけてくれてありがとう。何かお礼をしたいんだけど」
姉も礼を言う。礼だけでは足りないらしくさらに言葉をかける。隣に立つ妹も同じ気持ちらしくうなずいていた。
「そうですね。今とてもお腹が空いています。とてもおいしいお店を教えてくれませんか」
タオルを頭に被ったままお腹を押さえながら訊ねた。
「そんなことでいいの?」
妹はあまりにも拍子抜けする言葉に思わず聞き返してしまった。
「大丈夫です」
うなずき、にっこりと笑った。
「そう、だったら」
妹はよく行く店の場所を教えた。
「すぐに行ってみます」
「ありがとう」
少年は笑顔のまま答え、姉妹は礼をもう一度言ってから去って行った。
「さてと」
タオルだけではなく置いていた服もリュックに片付けた。海から上がったばっかりでまだ服が濡れているため当分今の格好でいなければならない。
少年も荷物を背負ってこの場を去った。
残ったのはずっと見ていたローズだけだった。
「……まさかこんな出来事に出会うなんて」
予想外の出来事に思わず呟いた。本当に旅とは面白いものである。どこでどんなことに出会うのか分かったものではない。
「ふぅ、さてこれからどうしよう」
海での出来事も終え、昼食を済ませたローズはお昼の通りを歩いていた。
「せっかくだから何か見てみようかな。水の民の至宝とか」
水の民でにぎわう大陸に来たので何かそれに関係する物でも見ようかといろいろな店を見て回ることにした。
そして、彼女はある露店で興味深い物に出会った。
「……これは鍵ですよね。どこの鍵なんですか?」
髪飾りや指輪に腕輪など女性が喜びそうな品に混じって秘石素材の無骨な鍵があった。それがあまりにも場違いで興味を引いた。
「さぁ、どこで手に入れたか忘れたよ。忙しくてね」
申し訳なさそうに主である中年の男が言った。
「……そうですか。これ、下さい」
少しがっかりするが、興味は失せてはないらしく買うまでの決断は早かった。
「いいのかい?」
決断の早さに思わず訊ねる男。
「えぇ、面白そうなので」
あまりにも根拠のない言葉で男に答え、笑顔でそれ以上の質問を許さなかった。
「そうかい。はい、ありがとう」
せっかく買ってくれると言うのだからあまり追求してもただの野暮になるだけなのでさっさと勘定を済ませて客を帰すことにした。ちなみに値段は手頃なものだった。
「さてとどうしようかな。少し休んでから考えようかな」
買い物が終わったローズはぶらぶらと鍵を持ったまま歩いていたが、近くの広場で足を休めることにした。
「ふぅ、どこの鍵なんだろう。でも、探索者としてうずうずする」
ベンチに座って改めて鍵を見る。どこにも場所を示すものは無い。それが探索者としての好奇心を疼かせる。何かとんでもない場所の鍵ではないかと。考えれば考えるほど楽しくなる。
「……お隣いいですか?」
妄想に夢中になっていた彼女に声をかける者が現れ、横を向いた。
いたのは港で腕輪を見つけ出した少年だった。
「あ、いいですよ。あっ、あなたは海で腕輪を探してた」
あまりの偶然の出会いに驚き、高い声を上げてしまった。
「えっ」
まさか見ていた人がいたとは思わなかった上にこんな所で声をかけられるとは思いもしなかったのか少年は驚いた顔をしていた。
「あ、ごめんなさい。あなたが海で腕輪を探しているのをたまたま見かけてあまりにも驚いたものだから」
突然、声をかけて驚かせたことを謝り、話しかけた理由を言葉にした。
先ほどの出来事は彼女の思い出にしっかりと残っていた。
「大丈夫だよ」
少年はほのかに笑って隣に座った。
「あんなに長く水に潜ってて大丈夫だったの?」
目撃して一番に思ったことを訊ねてみた。おそらくあの姉妹も不思議に思っていたこと。
「あれぐらい大丈夫だよ。ただ、服がびしょびしょだけど」
肩をすくめながらお茶目に答えた。彼の言葉通りまだ上着を着ていない。
「そうね。でもすごかった」
思わずローズも笑って感心を言葉にした。
「大したことじゃないよ。それより君は? 僕はエルル・ハーフレット。石に輝きを与える者だよ。まぁ、簡単に言うと石職人だけど」
互いに名乗っていないことを思い出し、先に彼から名乗った。石職人とは秘石や宝石などの石を削ったりして形を整える職人で時には加工した石を使ってペンダントや指輪を作ることもある。
「私はローズよ。上古の探索者をしている大賢者。石職人ということは今までたくさんの宝石を」
いつものように名乗り、彼の仕事について興味を見せた。
「うん。一番、印象に残ったのは君の髪飾りと同じ形に加工した秘石かな」
エルルは少し考える様子を見せたが、ローズの髪留めに目が向けてある秘石を思い出した。
「薔薇に?」
予想外の言葉に少し緊張しながら聞き直した。自分の耳が聞き間違いではないかを。
「うん。とても大変だった。相手は薔薇にこだわってたから」
ローズの事情を知らないエルルは聞き返す理由が分からないまま答えた。口元に笑みを浮かべながら。
「それってロゼリアン家?」
もう自分の考えは間違いがない。ロゼリアン家の管理人から聞いた凄腕の職人とは彼のことらしい。
「知ってたんだ。そうだよ」
ローズの驚きの理由が分からないまま答えた。今でも思い出す。薔薇が一面咲き乱れる美しい屋敷。記憶だけでしか残っていないのに匂いさえも漂ってくる気がした。
「……旅って面白いものね。どこでどんな出会いが起きるかなんて予想できないもの」
感慨深く呟いた。出た言葉は思いがけない出会いをする度に思っていることである。
「ん?」
感慨深くなっているローズの方に眉を寄せながら言葉を促した。
「私、ロゼリアン家に行ったことがあるの。それで」
にっこりとしながら答え、スーツケースから秘石が入っている小瓶を取り出し、手に持っていた鍵を片付けた。
「これって僕が加工した」
小瓶から取り出された秘石を受け取り、姿形を確認した途端エルルの顔が驚きに変わった。
「そう“ばら姫”。ロゼリアン家で手に入れて一応、所有者になってるんだけど」
強くうなずき、所有者であることを少し照れた。
「まさか、こんな所で再会できるとは思わなかったよ。懐かしいなぁ」
じっと心底懐かしそうに手の平にある薔薇を見つめた。今でもこの秘石に関わった時のことを思い出す。
「私も職人さん出会えて嬉しい」
まさか管理人でも知らなかった職人に出会えるとは思いもしなかった。
「はい、ありがとう」
一通り再会を楽しんだ後、秘石を持ち主に返した。
「えぇ。それって」
再び秘石を小瓶に戻してスーツケースに眠らせてからまだ何かを話そうとエルルに顔を向けた時、首のチョーカーについている秘石が目に入った。
「これ? これは僕が自分で加工した物なんだ。チョーカーだけだと寂しいかなって思ってた時に変わった物を見つけて」
チョーカーを外して秘石が見えるように掲げた後、ローズに渡した。
「これ水の民の至宝じゃ」
渡された秘石をじっと見る。薄い海の色がとても美しい。それだけではなく、自分がよく目にする秘石以上の力を感じる。何物なのか分かっても疑問は消えない。
「そうだよ。光を通しても色が変わらないんだ。水の民の至宝は光によって色を変化させるのが特徴なんだけどね。僕は水の民の血が混じってるから彼らの持つ技術も仕込まれてるし、どこをどう加工したらいいのか勘も受け継いでるんだ」
さらりと出自を話す。
「へぇ、納得。じゃ、いろんな資料のように?」
水の民の至宝とエルルの顔を見合わせた。これで少しは納得した。水の民が石の加工に関しては比類無き腕を持っていることはローズも知っている。それだけではなく水の民がどのような姿をしているのかも資料上だが知っている。
「それはならないんだ。僕は父が水の民で母が普通の人だったから。一般的な水の民のように体は変わらないんだ。だけど、機能はきちんと持ってる。他の水の民も案外友好的だった」
エルルは今は去った昔のことを思い出しながら答えた。下半身が魚のヒレのようになっている友人と変わらぬ自分。それでも楽しく泳ぎ回ったこと、様々な技術を学んだこと。
「でも、水の民に会えるとは思わなかった」
遠くを見るエルルに気の利いた言葉が浮かばず、適当なことを言った。
「うん。彼らはひっそりと生活してるみたいだし。それに楽園があると言われてる先の海に行った者も」
憂いの顔は少し消え、ほのかな笑みを浮かべてローズに答えた。
「そう」
うなずくだけだった。エルルのように笑みを浮かべることはできなかった。
「久しぶりの再会だったからついいろいろ話してしまってごめんね」
今度は本当に憂いが消え、自分のことばかりを話していたことに気付き、謝った。
「ううん。とても楽しかった。私も世界の中心とかロゼリアン家といろいろ回っているけど、こうやって誰かと出会うことが一番嬉しいの。ありがとう」
首を振り、エルルに笑いかけた。こんな出会いがあるからこそ彼女は旅をやめはしないのだ。
「それじゃ、またどこかで」
「えぇ、また」
エルルは立ち上がり、ローズに別れを言ってから去って行った。ローズも惜しみながら新たな出会いを見送った。
「……でも」
ローズは再びスーツケースから鍵を取り出し、まじまじと眺め回した。
見ている間に何か思いつくかもしれないと。
「……もしかして」
ふと探索者としてか大賢者としてかは分からないが、ある一つの予感が胸に浮かんだ。
「あの名前を与えられなかった遺跡の」
なぜかそんな気がした。理由は分からないがそれしか思い浮かばなかった。
「間違ってたら間違っていたでまた探せばいいし」
ふぅと息を吐き、気持ちを新たにして鍵をスーツケースに片付けて立ち上がった。
もう目的地も決まったからには動かなければ、まだ陽は沈んではいないのだから。
ローズはまっすぐ名前を与えられなかった遺跡に向かった。
彼女は知らなかった今まさに地下図書館に辿り着く前日の者がいることを。
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