第1章 縁というもの
 
 
 ここは思い人の世界と呼ばれている全てが外見と中身が一致するとは限らない世界。地図ではトキアスと記されているその世界に存在する思跡の国、地図ではシークリアと記されている国に存在する歴史家達の聖地、白歴である。
 青い海に白い家々。空も地上も青と白の二色が支配している街。 
 そこに、一人の旅人がやって来た。
 
「さすが、歴史家の聖地」
 通りに軒を並べている店をいろいろと見て回りながら呟く旅人がいた。
 外見は6歳ぐらいでカールした金髪を薔薇の髪留めで二つに留めており、上品な服装に意志の強そうな瞳が印象的で手には愛用と思われるスーツケースがあった。
「へぇ、きれい」
 彼女が気になったのは怪しい露店に並べられている鍵だった。
 壺や本や指輪など様々な物が節操なく、置かれて見た目からして偽物の匂いを醸し出している物もあるが、彼女の心を掴んだのは美しい薔薇の飾りのついた銀色の鍵だった。
「これはどこの鍵なんですか?」
 露店の主らしき見るからに怪しい男に訊ねた。
「知らん。そんなことよりも買うのか買わないのか」
 あっさりと質問を斬り捨て現実的なことを言い出し、その目が怖い。
「……買います」
 対応に少し不機嫌になりながらも買うことにした。
 買い物が終わるなり、さっさと店を離れた。
 
「いい買い物をしたかなぁ」
 店の主については少し気分を害したが、手に入れた鍵は嬉しい。鍵を眺めながら通りを歩いていると背後からよく響く子供の声がして足を止めて振り向いた。 
「大賢者ローズ!!」
 振り向いた先にいたのは小柄な少年だった。外見は5歳ぐらいで薄い金髪を布で包みおだんごにし、結んでいる布が垂れ下がっている。格好は軽装に露出部分が多い靴を履いている。
「どうして私の名前を知ってるの?」
 驚きつつローズは訊ねた。どう考えても彼のような知り合いはいない。
 少年は色の薄い目を悪戯っ子のように細め、
「知ってるよ。上古の探索者でしょ」
 きゃらきゃらと楽しそうに言った。
「……確かに私は上古の探索者と名乗ってるけど」
 笑う少年を訝しげに見つめる。
「僕はキッド。歴史を歩く者だよ。君に本を差し上げようと思って来たんだ」
 キッドは軽い調子で言う。彼は本探しの天才で歴史の闇に消えた本を入手し、歴史家にあげるのだ。ただその方法や情報の仕入れ先は秘密にされている。
「本?」
 肩にかけている鞄をもそもそと手探りで探しているキッドに訊ねる。
「うん、これだよ!」
 出てきたのは真紅の表紙の本だった。金色の文字で『ロゼリアン家の家伝記』と書かれている。もちろん古代の言葉で。そして大きな金の縁取りの赤薔薇が表紙を飾っている。少々厚めの本だ。
「……薔薇かぁ、役に立ちそうねぇ」
 受け取ったローズは思わず呟いた。その呟きにあまりの偶然さに対しての驚きも含まれていた。
「それはよかった。あ、そうだ。もう一ついいこと教えてあげるよ。この街にね、ハカセっていう歴史の大家がいるから会ってみたらいいよ。もしかしたら仲良しになれるかもしれないよ。優しい人だし、いろいろ知ってるし」
 そう言ってキッドは何を思ったのか本だけではなくある人物の場所をローズに教えた。
「ありがとう、行ってみる」
 にっこりと笑みをキッドに向けた。
「うん。ぜひ、ぜひそうしてね」
 キッドも笑顔で答え、風のように去って行った。
「……行っちゃった」
 あまりの騒がしい人物が去ったせいか余計に一人を感じてしまった。
 とにかく、彼女は昼食を済ませた後、キッドに教えてもらった人物に会いに行くことにした。
 まさかこの時の出会いがこれから先長く続く繋がりになるとは思いもしなかった。
 
「……ここね」
 他の家と同じ白壁の普通の家の前に立っていた。
 数秒ほど突っ立て会おうかやめようか考える。
 しかし、意を決してチャイムを鳴らすことにした。チャイムの音は鳴らされ屋敷に響く。少しの間じっと待った。どんな人なのだろうと思い描きながら扉を見つめる。
 扉がゆっくりと開けられ、家の主が現れた。
「……どなたですか?」
 現れたのは自分と同い年の外見をした子供だった。マゼンタのおだんごにブリッジ式のモノクル(片眼鏡)を右目に掛け、ゆったりとした服装をしている。分からないのは性別だけである。しかし、ローズは不思議なことに全く気にしていなかった。そもそもこの世界自体が外見と中身が必ずしも一致するという世界ではないので。
「私はローズです。大賢者で上古の探索者をしている者です。ハカセ、ですよね。キッドという少年に紹介されて会いたいと思って」
 少し緊張が含まれた声音で言った。子供はじっとローズの顔を見据えている。まるで品定めをしているかのように。
「そうですよ。……キッドにですか。とりあえず中へ」
 ローズから目を離し、穏やかに言う。
「はい。お邪魔します」
 ほっとしたように息を抜き、ゆっくりと後をついて行く。しかし、見つめられている間、なぜか目を逸らすことができなかった。何かを見透かすような瞳。あんな風に見られるとは思わなかった。
 
 案内された所は居間だった。
「……」
 その部屋のあまりの様子にローズは言葉が出なかった。
 部屋のあらゆる所に本が散らばり、本棚はその役目を成さず、テーブルや椅子を占拠しているのは何かの書類や書き付けた紙ばかりで人を招くには失礼な部屋と化していた。
「無礼で本当に申し訳ありません。椅子に載っている物は適当に置いて座って下さい」
 申し訳なさそうに呆然と突っ立っているローズに言う。
「あ、はい」
 慌てて返事をし、申し訳なさそうに椅子に載っている本や書類を床に置いてから座った。
 ハカセは彼女をもてなした後、席に着いた。
「しかし、キッドが人を紹介するとは思いもしませんでしたよ」
 少し意外そうに悪戯っ子のことを思い出しながら話を切り出した。
「すみません、突然訪問してしまって」
 思わず謝ってしまった。この部屋の有様からもしかしたら何か調べ物をしていたのかもしれない。それを自分が邪魔したのではないかと思ってしまった。
「いえ、大丈夫ですよ。それより、上古の探索者ということはいろんな所にも行ったりとか大変ではないですか」
 ローズの訪問にも気分を害した様子もなく、好奇心に光る目をローズに向けた。
「えぇ、いろんな所に。この世界はいつもいつも様変わりするからとても楽しくて」
 旅人故、誰かに語ることのない思いを口にした。これまでにも本を何冊も書くことができるほどの旅をした。そして、今もまた旅の途中。
「それは分かります。今も何かを目指しているのですか」
 何か共感することがあるのか感慨深くうなずき、話題をローズに向けた。
「えぇ、今は」
 スーツケースから手に入れたばかりの鍵と本を取り出してテーブルに置いた。
「この鍵の相棒を探そうかと。ちょうどキッドにも本を貰って」
 二つを見るハカセの様子を窺いながら説明をした。
「……『ロゼリアン家の家伝記』ですか」
 本を手に取り、題名を口にしてからゆっくりとページをめくっていく。
「そう、ロゼリアン家の歴史が記録されている物で著者は当時執事をしていたキルスという人らしいんです。そして……」
 食事をしながら読んでいてあまりの出会いに驚いた。まさに仕組まれた偶然だと。
「その鍵が関係あるということですね」
 ローズが続きを口にするよりも早く言った。
「はい。ロゼリアン家で最も重要な部屋の鍵だと。ただ、どのような部屋なのかは書かれていないみたいでそれぐらい大変な部屋だとしか分からず」
 うなずき、詳しく話すも表情は困り気味の色をしている。本には延々とロゼリアン家に起きた出来事とそれに対しての捕捉ぐらいしか載っていない。鍵についても重要な部屋の鍵を作ったとしか載っていない。
「彼らはこの上なく薔薇を愛していたと聞きます。庭園に様々な薔薇が咲き乱れていたと。あなたは呼ばれたのかもしれませんね」
 本を閉じ表紙の薔薇を見た後、喉を潤しているローズの髪飾りに目を留めて言った。
「もし、彼らが生きていたらきっと薔薇を見に何度も訪れてたと思います」
 カップをソーサーに置きながら即答した。心には浮かんでいる。立派な屋敷を取り囲む様々な薔薇。美しい花びらが舞い、上品な匂いが辺りを包む様子を。
「そうですね。どんなに華やかでも時が経てば記憶でしか形を見ることができなくなる遺跡になってしまいますからね。たとえ今も遙か未来では」
 うなずき、カップを手に持ち水面を見つめながら切なそうに言葉を洩らす。
「……そうですね」
 様々な昔を訪れるローズにはハカセの言葉がよく分かる。よく思う、遺跡が遺跡ではない時に訪れたかったと。
「ロゼリアン家は呪術師の家ですから気をつけて下さい」
 カップをソーサーに置いてから真剣な顔で言った。ローズがロゼリアン家を訪れることは簡単に予想できるからだ。
「大丈夫です。これでも少しは呪術が使えますから」
 あっさりと答えてしまう。旅人なので専門の呪術師には劣るが、困らない程度に呪術は使える。今までも何度も役に立っている。
「そうですか。美しさは欲を湧かしますがそれは上辺だけのものです。惑わされないように」
 ローズの言葉でもハカセの表情は柔らがなかった。何かを知っていてそれが不安を湧かしているように見えた。
「ありがとうございます。もう行きます。もう少しあなたと話をしたかったのですが」
 ローズは忠告の理由を聞くことはせず、鍵と本をスーツケースに片付け、別れの挨拶を口にした。
「私もです。またいつでも来て下さい」
 柔和な笑みで来客を見送った。
「えぇ、今回の旅が終わったらすぐにでも」
 彼女も笑みで答え、部屋を出た。
 
 上古の探索者は考えていた。今回の出会いのことを。
 自分は旅人だ。やめようと思ったことはない。旅こそが自分がいるべき所だと思っているから。出会いと別れは何度も巡り、当たり前だと思っている。また会いに行くと何度も口にしたことがあるが、そのほとんどが別れの常套句に過ぎない。しかし、あの歴史家にはまた会いたいと思う。
 「さてと、行きますか!」
 顔を上げ、自らを元気づけるように声を上げ、太陽が沈みかけた道を歩いて行く。