第3章 宝石の作り方
 
 
 夜が去り、朝が来ようとする少し前の時間。まだ空には闇が残り、月も残っている静かな時間。どんな光景も美しさよりも妖しさに変えてしまう都がここ呪術師の妖しの都である。
 
 人通りが極端に少ない通りを急ぐ一人の呪術師がいた。肩に大きめの鞄を掛けている。
「呪術も使えてお金にもなる。これほど楽しいことはないな」
 20代の若い男は楽しそうに呟いた。すらりとした長身にそれなりに整った顔立ちをしている。
「もう少ししたらこの都も離れた方がいいな。勘付かれる前に」
 中身が無くなって軽くなった鞄を叩きながら呟いた。呟きと共に浮かべる笑みは気持ちの悪いものだった。
 すっかり朝が来る前にこの都を出ようと道を急ぐが、急に足が意志に反し動かなくなった。
「何だ、これは。呪いか」
 足が動かず、一瞬焦るも呪術師である青年はすぐに解呪をして歩き始めたが、また足が動かなくなり、解呪をする。その繰り返しを数回行い、何回目かの呪いにうんざり気味の声を上げた。
「近くにいるんだろう。何のつもりだ」
 気配は感じるが、自分に迫っている危機がいかほどのものなのかは分かっていない。
「何のつもりって楽しむつもりよぉ。それ以外に何があって?」
 魔女はゆっくりと目を狂気に輝かせ下唇を舐めながら姿を現した。
「何だ、お前は」
 現れた少女に思わず訊ねた。いくら外見と中身が一致しない世界とはいえ、こんな愛らしい少女の知り合いはいない。だとしたら考えられるのはたった一つ。疑惑を浮かべるしかない。
「あら、知らないのかしら。あたしの名前ってなかなかに有名なのだけど」
 自分の名前を知らないことに肩をすくめてわざとらしくがっかりして見せる。
「……?」
 じっと食い入るように見るが、記憶にはない。ますます分からず、見えない展開に鼓動が速くなる。
「あたしは魔女って呼ばれてる者よ。あなたと同じで呪術が大好きなねぇ」
 名乗りながら青年に近づき、狂気の目で彼を見上げた。もうこれからしようとすることで頭はいっぱいだ。
「……魔女ってあの魔女か。何で俺に」
 名前を聞き、改めて己の立場を理解する。とんでもなく命が危ないと。彼のように魔女の名前を知っていても姿を知らない者は珍しくない。
「それは依頼を受けたからよ、あなたを呪ってくれってね。楽しませてもらおうかしら」
 何でもないことのように軽く答え、青年の足首を軽く蹴った。道ばたに転がった石を蹴るかのように本当に軽く。
 魔女より何倍も背が高い青年は枯れた木のように後ろに倒れてしまった。急いで起き上がろうとするが、急ぐのは心だけで体はぴくりとも動かない。明らかに呪術によるものだ。
「なかなか素敵な顔立ちをしてるわねぇ。その顔とその声で巧みに人を騙したんでしょうねぇ。こんなに綺麗な目ならなかなか素敵な物ができるわぁ」
 魔女は青年の顔に近づき、漆黒の瞳を食い入るように眺めて下唇を舐めた。もうすっかり自分の楽しみの世界に浸っている。
「目ってまさか」
 自分を見つめる狂気の目、動かない体、まとわりつく呪い。何もかもが覚えのある状況。今まで人にしていたこと。呪術を試して楽しんでお金を得ていた方法。それが今自分の身に降りかかっている。誰かの依頼によって。
「さぁ、始めましょうか」
 魔女は青年の恐怖の思いなどお構いなしに作業を始めた。スカートのポケットから小瓶を取り出した。青年には見覚えのある液体が入っていた。
 魔女は青年の両目に液体を流し込む。液体を拒もうにも目を閉じることができない。
 液体を注ぎ終わると同時に魔女の手が触れる。途端に目を閉じてしまう。全てが全て呪いによって動かされ縛られている。解呪をしようともがくも何もできやしない。
 できるのは痛みに声を上げるだけ。一度閉じた目は開けることはできず、消えることのない痛みが大波小波になって襲ってくる。
「本当に素敵な声ねぇ」
 小瓶をポケットに片付けながら叫び声を楽しそうに聞き入る魔女。どんなに叫んだとしても誰も来やしない。今いる所はそんな場所だ。
「いつまでも聞いていたいけど。もうそろそろ始めないと質が落ちちゃうのよね」
 魔女の手が青年の腹部に触れた。軽く触れたにも関わらず、青年の顔色がどんどん悪くなっていく。
「何だこれはぁ、何をした」
 気持ち悪く体内が混ぜ返されている感じがしてならない。手足の感覚も自分の心臓が動いている感覚さえない。目の痛みは絶え間なく続く。痛みは取り出した後もしばらく続くと言うほど。
「取り出しの作業よ。宝石だけを取り出すのは面倒なのよ。だから、楽な方法を取っているだけよ。あなただってしたでしょう」
 魔女は青年から少し離れて成り行きを監視する。
 青年の体が少しずつ溶け出していく。外側も内側も何もかもが溶けて最後は地面に染み込んでいく。
 最初から誰もいなかったかのように。
 残ったのは青年の着衣類や鞄と魔女の目的としている物ぐらい。
「なかなかの完成度ね」
 魔女は青年の顔があったと思われる場所に転がっている二つの眼球だった物を拾い上げた。
 魔女が注いだ液体は秘石で特別に調合した物。眼球を石化し、色艶を与える。どれぐらい液体を浸透させるかによって出来も違ってくる。液体の調合と同じく出来も呪術師の腕によって変わる。液体の調合具合によっては様々な効果を追加することができる。例えば、時間が経つことによって眼球が自然に落ちるようにすること、秘石の炎によって取り出す際の炎からの保護、宝石だけをくり抜く際に傷がつかないように保護することなど、様々なことができる。
 どの方法でも苦しみは凄まじく石化の焼け付くような痛みに声を上げる。声を潰すか痛みを麻痺しない限り、生命の火が消えるまで叫び続けると言う。
「さてと」
 魔女はスカートのポケットからレースをふんだんに使ったハンカチを取り出し、丁寧に二つの宝石を包んでポケットに片付けてから別の秘石の液体が入った小瓶を取り出して青年の持ち物に振りかけた。
 途端に燃え出し、灰になってしまった。
「これで終わりねぇ。あまり楽しめなかったわねぇ」
 残念そうに呟きながら吹き出した風に飛ばされていく灰を眺めていた。
「とあえずあの商人さんの所に報告しに行こうかしら」
 魔女は朝になりきっていない空の下、依頼人の元に向かった。
 
 魔女が足を止めたのは粗末な宿のある部屋の前だった。
 普通に考えればまだ誰もが眠りに入っている時間だというのに彼女はお構いなしにドアをノックする。
 ノック音は室内に響き、眠りに入っていた商人の目を開けさせる。
「……こんな時間に、魔女か」
 体をベッドに横たえたままノック音を確認し、今の時間予想できる訪問者を口にする。寝ている時でも左目はしっかりと包帯と布をつけていた。
 それからぼんやりとしたまま起き上がり、服装を整えてドアに向かった。
 ドアを開けて商人が何かを言う前に訪問者の明るい声が飛び込んできた。
「ご機嫌よう、商人さん」
 胸がむかつくような甘ったるい声に変わらず狂った目で挨拶をする。
「依頼を完了したのか」
 何のために自分を訪ねたのかは聞かなくても分かる。そもそも魔女が呪術を失敗したという話は聞いたこともない。
「えぇ、その通りよ。あまり楽しめなかったわ。すぐだったもの。これをあげるわ」
 残念そうにしたかと思ったらスカートのポケットからハンカチで包んだ何かを差し出した。
 商人は受け取り、中身を確認した途端、表情が少しばかり不愉快な色に変化した。
「……これは嘆きの宝石。それも生きた方の。まさか」
 ハンカチに包まれていたのは二つの宝石。夜の闇を閉じ込めたかのような漆黒に何千回も何万回も磨いたような艶、何もかもが完璧で美しい宝石があった。
「あなたの考えてる通りよぉ」
 口元を歪め、狂気に瞳を輝かせる。すっかり商人の表情の変化を楽しんでいる。
「本当にあんたは恐ろしいな」
 ハンカチを返しながら、呟くのは心底の感想。これほど進んで関わりたいと思わない人物はいない。
「嬉しい言葉ねぇ。また何あったら力を貸してあげるわ」
 どんな言葉を投げかけられても何も気にせず、目は楽しげに商人の失った左目を舐めるように見ていた。いずれ自分が関わることになるだろと思いながら。
「……厄介になるものか」
 そう不愉快に言いつつも左手は失った左目に触れていた。失っても何度も繰り返す行動。
「それじゃ、お元気で」
 商人の行動を面白げに眺めた後、魔女は去った。
 仕事を終えた彼女が向かうのはただ一つ、自分を厄介者扱いをする彼の元だ。
 魔女が彼の元に向かったのは、太陽が昇ってしばらくしてからだった。
 
 いつものように偉大な呪術師に会いに行き、邪険に扱われながらもきちんと話し相手を務めてくれて一通り話が終わったら、別れを口にする。
 その時、偉大な呪術師が口にするのは関わりたくないという感情のこもった挨拶だが、魔女は懲りずにまたやって来る。
 それが呪術以外の彼女の楽しみだから。