闇の青
 
 
 ここは賢人や呪術師が主に住まっている国に存在しているとある遺跡。少しの光さえも入らないと言われ、闇の住処と呼ばれている。その遺跡にとてつもない宝があると多くの人は信じてそれを得ようと多くの冒険家が訪れ、帰らぬ人や諦めた人となったため宝の話はただの幻想ではないかと一方で囁かれた時、一人の旅人が遺跡に訪れた。
 
「……ここかぁ」
 朝の光に照らされた朽ち果てた遺跡の前に10歳ぐらいの子供が立っていた。
 前髪の右側をピンか何かで留めて後ろ髪を三つ編みにしている。服装は軽装で飾りがない。首には少し大きい革製の帽子の紐が結ばれ、背負っていた。背中には同じ革製のリュックもあった。目鼻立ちがくっきりとしてはいるが、その姿は少年にも少女にも見える。
 子供は帽子を被り、意を決したようにゆっくりと遺跡の内部へと足を踏み入れた。
 
 中は他の遺跡と同じように所々朽ちた石畳の世界だったが、まだ本当の内部には入っていないのでこの遺跡の全てを語るにはまだ足りない。子供はさらに歩みを進める。
「ここから」
 足を止めたのは一つの石の扉の前だった。
 秘石を燃料とする灯りをリュックから取り出し、扉を開けて闇の中に踏み出した。 
「……この先に宝があるって言うけど」
 宝があるとされているのはこの闇の奥とされている。灯りに照らされた地下は石畳で人工的に造られていたことが明らかだが、何の情報にもなりはしない。
「多くの人が帰らぬ人になったというけど分かるなぁ」
 闇を見回しながら思わず呟いた。こんな闇の中、長時間いれば精神がおかしくなりそうでたまらない。こんなに闇が深いと多くの者は足元は力強さを失い、自分が闇よりも弱々しく思えてしまうはずだが、子供は恐れることなく進む。闇の中の救いは道がまっすぐであることだけである。
 
「長いなぁ。保つかなぁ」
 あまりの道の長さと暗さに思わず、呟いてしまう。予想以上の距離に灯りが心配になった。燃料となる秘石は常に携帯しているが、足りるかどうかに不安がある。
「とりあえず、足りそうになかったら諦めないと」
 一つの可能性を覚悟してさらに足を進めるが、何時間かしてすぐに足を止めることになった。
「どうしたんですか?」
 灯りが照らした先に人影があり、思わず声をかけた。まさか、自分以外に訪問客がいるとは思わなかったので少しばかり驚いていた。
「……あなたは」
 座り込んでいた女性がゆっくりと灯りの方に振り向いた。その顔はすっかり困り果てている様子だった。
「ニルムという者です。ここに眠る宝を探しに来た者です。あなたは?」
 ゆっくりと名乗ってから訊ねた。
「私はラナ。灯りが途中で切れてしまって、予備もなくて。足もくじいたみたいで」
 ラナと名乗ったその女性は右足首を撫でながら答えた。側には役目を果たさずにいる灯りがあった。
「そうですか。とりあえず、薬があるので足の手当を」
 関わったからには放っておけないのでニルムはリュックを下ろし、中からよく効く秘石原料の塗り薬に当て布や包帯を取り出して手早く手当を施した。
「ありがとう」
 手当が終わり、道具を片付けているニルムに心からの礼を言った。
「あとは、灯りですね。一緒に戻りましょうか」
 道具を片付け、燃料用の秘石が入っている瓶を取り出し、ラナの灯りに火を灯した。
「それは無理よ。随分、良くはなったけど、まだ動くのは無理よ」
 火を見つめて少しは安心したが、まだ足首に痛みがある。眉を寄せてニルムを見た。
「少しの我慢もできませんか? 秘石もたっぷりあるわけではないので」
 瓶を握ったまま困った顔でラナを見た。こちらにもこちらの都合があるのであまり時間を使いたくはない。
「それは無理、もう少し休まないと」
 首を振って動こうとはしない。
「……そうですか。それならば、ここでお別れです」
 仕方がないと言うように息を吐いてからきっぱりとした顔でラナに別れを突きつけた。
 これ以上、関わっては自分の目的を果たすことができないと感じたニルムは別れることに迷いが無かった。
「えっ?」
 思いがけない言葉に聞き返した。
「私は宝石収集家です。ここに眠る宝が宝石らしいと耳にして来ました。私が持っている燃料もそれほど多く残っていません。ここが予想以上長いので。休みが必要なら休んでもらって帰れるようになったら帰って下さい。秘石も多めに渡しますから」
 手に持っていた瓶をズボンのポケットに片付け、まだ手をつけていない燃料用の秘石が入っている瓶を取り出してラナの灯りの隣に置いた。
「そんなぁ、一人で」
 半分涙目で訴えるが、ニルムは気に留めることなくリュックを背負い、歩き出そうとした。
「本当に申し訳ないですけどこちらにはこちらの事情がありますから。しばらくすれば、足もよくなりますし。それでは」
 先に進む前にもう一度、ラナに顔を合わせ優しい笑みを向けてから後ろ髪引かれることなく行ってしまった。
「……そんな」
 ラナは闇の中取り残され、絶望した顔でニルムの後ろ姿を見つめていた。
 
 どこもかしも真っ暗で時でさえ止まっているとしか思えない静かさの中、聞こえるのは自分の歩く足音だけ。ニルムはひたすら歩いていた。
 そして、その歩みは突然止まった。
「……行き止まりかぁ」
 灯りで前方を照らすが、どこにも道がない。あるのは壁だけ。
 必死に進んだ結果としてはあまりにも悲しい結果だ。
「……本当に何も無いのかな」
 壁に近づき、ペタペタと触って何か仕掛けが無いかを確認していく。この世界は不思議に満ちているので、何もないということは有り得ないとニルムは考えている。
「……あ」
 探すことに夢中になっていたので突然の闇に驚いた。
「……確か」
 急いでズボンのポケットから瓶を取り出そうとポケットを探っていた時、何気なく壁に視線を向け、驚きを見た。
「……うぁ」
 ニルムの視線の先にあったのは闇に浮き上がる一つの奇跡。深く静かな青色の煌めきだった。
「……これが宝」
 探る手を止めて恐る恐る輝く石に触れる。
「ただの行き止まりだと思ってたのに」
 明るい時には気づかなかったこと。闇が消え、そこに隠された物を見つけ出すことができた。目的を達成することができた。 
「……噂で宝石は闇の青と呼ばれてるけど」
 吸い込まれるように青い光を見つめ、感動の言葉を洩らす。
「……これは持って帰れない」
 感動が収まり、肝心なことを思いつく。行くだけ行って得たのは心に入れる煌めきだけで手に残る物は触れた感触だけだ。
「でも、来た意味はあったかな」
 持ち帰りができないことは残念だが、手から感じることはできる。手に触れて目を閉じる。心の奥に闇の青を焼き付ける。
「……さてと、行こうかな」
 たっぷりと心に留めた後、ニルムは灯りで現実に戻り、来た道を戻って行った。
 
 静かな闇の中を歩きながら思うのは闇の青とラナのことだった。
 休み無く歩いているが、まだ彼女に会っていない。さすがのニルムも彼女の心配をしている。
「……ラナさん、大丈夫だったかな」
 照らされた道をくまなく見回しながら歩くが、何もない。もう帰ったのだろうと少し安心するが、彼女の怪我を思い出し、心配しつつも先を進んだ。
 
「あ」
 何度目かの闇がニルムを呑み込む。灯りが消えてしまったのだ。急いでズボンのポケットから瓶を取り出した。
「……やっぱり、無い」
 闇の中、奇跡を信じて瓶を振って中身を確認するが音がせず、すっかり使い切ったことを確認するしかなかった。
「……仕方がない」
 息を一つ吐いてからニルムは瓶をポケットに片付けてからゆっくりと歩き出した。闇の中でも迷う必要はない。道は長い長い一本道なのだから。それだけが救いである。
 闇の中、役目を果たせなくなった灯りを手にニルムはゆっくりと確かな足取りで出口を目指した。
 
「……あれは」
 ずっと先にほのかな光が見えた。足元に気をつけながら、歩く速度を速めて光の持ち主を確かめようとした。
「……ラナさん」
 ニルムはうっすらと人影が見える所で足を止めて、声をかけた。
「……誰? あっ、ニルムちゃん」
 足を止めて灯りを向けながらゆっくりと声のする方に振り向いて安心した。
 自分を助けてくれた恩人がそこにいた。
「大丈夫みたいですね。放って行ってしまって申し訳なかったです」
 壁を伝ってゆっくりと歩いていたことが壁に触れている手を見て分かるが、別れた時と違って落ち着いている様子なので安心した。
「ううん、大丈夫だから。それで宝は何だったの?」
 目的を成すことができなかっただけに気になるのか興味深そうに訊ねた。
「噂通りの闇の青ですよ。闇の中に輝く静かな青色をした物。壁に嵌められた一つの石が宝だったんですよ。明るい中では見ることのできない宝。持ち帰るにはあまりも不届きな気がしてやめてどうしてあそこにあるのかという謎だけ持ち帰ることになりました」
「そう、見たかったなぁ。次は十分用意してここに来よう」
 心の中で思い描くが、想像は想像なので輝きは色褪せている。やはり、本物をこの目で見ないといけない。
「そうしたらいいですよ。次は見ることできますよ」
 ラナを放置したあの時と違って優しい顔を彼女に向けた。
「……本当に助けてくれてありがとう」
 ラナはまた礼を言った。
「いえ、礼を言われるようなことではありませんよ」
 ニルムは彼女から視線をはずした。礼を言われるのが気恥ずかしいのか放置したことに胸が痛むのかは分からないが。
 二人はそれ以上会話をすることなく、静かな闇の中ひたすら出口を目指して歩いた。
 
 二人が出口に辿り着き、久しぶりに外の空気を吸うことができたのは、空が黄昏れ色に染まっている頃だった。
「それではここでお別れですが」
 別れの言葉を口にしながら、ラナの右足首に目を向けた。彼女を放っておく時に厳しいことを言ったが、心配はしていたのだ。
「大丈夫よ。あと、これを」
 ラナは心配ないというように明るい顔で言い、少しだけ残った秘石の瓶を渡そうと服のポケットから出した。
「少しだけ貰います」
 ニルムは空になった瓶に少しだけ入れてラナに瓶を戻した。これから夜がやって来る。道を照らす物がなければ困ってしまう。
「……それでは、お元気で」
「えぇ、ニルムちゃんも」
 二人はここで別れ、それぞれの道を歩いて行った。
 
 黄昏の空の下を闇に浮かぶ青い煌めきを心の奥に留めながら宝石を求める者は歩く。
「……時は宝石のように輝き続けず、移ろいで色褪せていく」
 ふと立ち止まり、朝から夕暮れに変わった空を見上げ、耽ったような虚ろな匂いのある言葉を洩らした。
 そうしていたかと思うと、視線を道の先に向け、
「さてと、次はどこに行こうかな」
 明るい声を上げ、頭にある帽子を被り直した後、再び歩き出した。