空っぽの台座
 
 
 歌が街を包む歌の都があった。そこは音楽家達の聖地とされていた。音楽家の中で最も優れている者はミュゼットと呼ばれており、その者達の歌を聴こうと多くの訪問者が遠方からやって来て年中街はにぎやかである。
 
「さすが、歌の都」
 昼食時の少し過ぎた頃、10歳ぐらいの子供が音楽に満たされた通りを歩きながら言葉を洩らした。
 その子供の姿は前髪の右側をピンか何かで留め、後ろ髪を三つ編みにしていて服装は軽装で飾りがない。少し大きい革製の帽子を被り、背中に同じ革製のリュックがあった。 目鼻立ちはくっきりとしているが、性別は分からない。
 そんな子供は楽しそうに歩きながらいろんな店を見て回っている。
「衣装屋に宝石店かぁ。いろいろあるけど。闇の青ほどの物を探すのは難しいかな」
 音楽家達が多く住まっているためか公演のために必要な衣装や装飾関係の店が音楽関係に負けずに多く軒を連ねているが、入って見るだけで何も買いはしない。賢呪の国に存在している遺跡で見た闇に浮き上がる深い青に勝てる物など無いようでつまらなさそうに息を吐くだけだ。
 
「あれは」
 いつの間にか足は路上の音楽家達でにぎわう広場にやって来た。
 年齢、芸も様々の音楽家達が自分の達の力で来る人来る人を魅了し、腕を磨いていた。
「どこもかしこも音楽ばかり」
 見て回りながらこの都の音楽を感じていく。どの音楽家達もそれぞれ遜色はなく個性があり、とても楽しいのでそれなりの人垣が出来上がっている。
 旅人が歩き続けた足を止めたのは、ベンチに座っている年老いた男の語りだった。
「……?」
 旅人は近くに行き、その語りを耳にする。周りには二、三人の子供しかいない上に男の身なりも粗末な物で隣に置いてあるお金を入れる箱は空っぽだった。
 男の語りはどんなに観客が少なくとも気にする様子はなく、続いていた。
「この世界は目に見えた物が全てではないというのが当たり前の世界である。それは人だけではなく、宝石も同じである。ただの綺麗な石だと思えば、不思議な力を持つ秘石だったりする。いろんなことがあってこの世界に飽きる人はそういない。そんな世界には当然、不思議な物もたくさんある。例えば、多くの人を感動させる名器に希有な秘石の水の民の至宝、還らずの楽譜、挙げればきりがないがたくさんある」
 男は話を止め、周りをぐるりと見渡した。胡散臭そうに自分を見る目ばかりだが、話をやめる様子はない。
「そんな不思議な物の中にこれを加えたい」
 男は懐から銀色に輝く指輪を取り出し、聴衆に見えるようにと腕を高くした。
「この主を失い、台座に輝く相棒さえ失った哀れな指輪。引き裂かれた理由は、男と女が別れの際に再会を誓って一つを二つに分けたという。お守りにと。それとも幻の店通りに売り払ったのか、貧しさのために売り払ったのか、様々に理由が囁かれている。現実から幻想、愛と興味。どれが真実なのかは分からない」
 男の言葉通り宝石がついているはずの台座は空っぽだった。
 旅人は興味深く指輪を見ながら男の話に耳を傾けていた。真剣に聴いていたのはこの旅人だけだった。周りにいる子供達は胡散臭そうにしている。
「しかし、それが問題じゃないのだよ。問題なのはこの台座に何もないことなのだよ。ないと言うことは昔はあったということ。それは血のような紅だったのか深い海の色だったのか漆黒の石だったのか、ただの宝石なのか秘石なのか水の民の至宝なのか、それさえも分からない。そしてそれはもしかしたら、近くの骨董屋に売っているかもしれない。道端に転がっているかもしれない。それとも誰かのお守りになっているかもしれない。世の中は狭いようで広く広いようで狭い。どうだね、この世界は面白いと思わないかい。疲れたから今日はここまで」
 話はあっという間に終わり、子供達はどこかに行ってしまった。
「……それで実のところ、どれが理由でどんな宝石があったのですか?」
 旅人は箱にちょっとしたお金を入れながら、指輪を懐にしまっている男に訊ねた。
「お嬢ちゃん、興味があるのかい?」
 自分の話に興味を持ってくれたことが嬉しかったのか声が上機嫌だった。
「そうですね。宝石収集家としてはとても」
 男が自分のことを女の子だと思っていることに突っ込みはせず、素直な気持ちを口にした。
「ほう、宝石収集家。名前は」
 この世界は外見と中身が必ずしも一致するとは限らないが、これほど運命に満ちた出会いにさらに興味が湧き、名前を訊ねた。
「ニルムという者です」
 ニルムは丁寧に名乗った。
「わしはこの都で語りをしているホクス。よく見てみるかね」
 男も名乗り、再び指輪を取り出してニルムに差し出した。
「はい」
 指輪を受け取るなりじっと食い入るように見つめる。銀の輪に込められた秘密を探るかのように。
「……これは秘石が混じっていますね」
 指輪から顔を上げ、鋭い瞳が見つめた秘密を言葉にした。
「分かるかね」
 嬉しそうにホクスは顔を綻ばせた。
「宝石収集家ですから」
 当たり前のことのようにあっさりと言い、話を続けようとホクスを見た。
「台座に輝く宝石はどんな物だと思うかね」
 さらに今まで誰にもしたことのない質問をニルムにふっかけた。
「かなりの物だと考えると秘石ですかね。含んでいる秘石に質も良さそうなので」
 宝石収集家の顔で答えた。指輪を持つ手にただの石とは思えない力を鮮明に感じる。 秘石を使った物は他に比べて価値が高いとされている。指輪に秘石を含んでいるとするとそれなりの値を持つ物と考えるべきだが、台座がある限り、台座に座る宝石を含んでの価値も考えなければならない。宝石がただの石なら価値は低く高品質の秘石ならかなりの値がするのだ。
「そう考えるとこんな未完成の指輪でも偉大な謎と肩を並べることができるだろう」
 ホクスは長年話のたねにしてきた指輪を愛おしげに見ながら、解けずにいる秘められた秘密に心を上気させた。
「そうですね」
 うなずき、なおも空っぽの台座を見つめる。せっかく気になる物に出会ってもその答えを知らずに終わってしまうと思うと残念である。
「良かったら、お前さんにあげよう」
 ニルムの残念な気持ちを察知したのか思いがけないことを口にした。
「いいんですか?」
 予想外の言葉に聞き直す。大切な物を行きずりの旅人に譲るとはとても思えなかった。
「構わないよ。お前さんは話をとても熱心に聞いてくれた。そのお礼だよ」
 あれほどまでに指輪を愛しそうにしていたのに向ける笑顔には未練が無かった。
「そうですか。でも、過ぎたお礼ですよ。何か」
 嬉しいことではあるが、あまりのことに困ってしまう。 
「いいや、そんなものはいらない。過ぎてはいない。この箱に入っているお金だけで十分だ。それじゃ、また機会があれば」
 箱を手に持ち、ポケットを探り始めたニルムを止めて広場を出て行った。
「はぁ、ありがとうございます」
 礼のことをやめ、ホクスの無欲な笑みに礼を言い、去って行く彼を見送った。
「本当にいいのかな」
 話のたねの指輪をニルムに譲ってしまってこれから彼はどうするのか見当がつかないだけに少し申し訳なく思ったが、今さら返すのも失礼なのでしっかりと貰うことにした。
「……まだ明るいし、旅を続けようかな」
 指輪をリュックに大事に片付けてから旅の道に戻った。
 空はまだ昼過ぎの太陽が輝き、旅をするには時間がある。
 しばらくすれば、夜が来るだろうが、ニルムには関係ない。
 どんな時間でもどんな場所でも宝石の輝きや声を聞けばすぐに足を進める。
 きっとその道々で銀の指輪の相棒も見つかるだろう。たとえ、見つからなかったとしてもそれなりの答えを見つけることはきっとできる。
 この世界は広いようで狭く、狭いようで広いのだから。