第1章 心怯える夢
 
 
 どこもかしこもぎっしりと本が詰まった棚ばかり。開け放された窓からは心地の良い風が入り込んでくる。窓から見えるのは果てしなく続く草原と青い空だけ。
 
「さてと」
 青年が本棚から一冊の本を取り出した。
 18歳ぐらいの外見に金色の髪を無造作に後ろでくくり、本を見ている青色の瞳は知的に見える。
 そんな彼が心楽しそうに本を読んでいた。
 自分の望む全てが手にする物全てに載っているかのように満足そうだ。
「次は」
 次の本を手に取ろうと読み終わった本を戻そうとした時、青年の表情が引きつった。
「……!!」
 彼の視線の先には15歳ぐらいの少年がいた。
 誰かがいたこと自体はおかしなことではない。風貌と感じるものによって青年は後ろに下がった。
「……本ばかりのつまらない所だな」
 窓から現れた少年はつまらなさそうに辺りを見回した。
 見回す目には言葉以上の悪しき感情が感じられる。
 ボサボサの頭に前髪から覗く額には生々しい縦の傷にその上を走る傷を塞ぐための糸。服装はきちんとしているので嫌な違和感がある。
「君はここの人?」
 見回してた少年の目が青年に気付く。
「何者だ?」
 自分を見る目に狂気じみたものを感じ、警戒の声で問う。
「何者でも構わないんだけど。まぁ、歪(ひず)みの者と名乗ってる。さて」
 適当に名乗り、少年は近くにある本棚に触れる。
 途端、本棚が燃え始める。
「きれいに燃えるなぁ」
 歪みの者と名乗った少年は楽しそうに燃え広がる様を見ている。
 青年は異常事態でも慌て逃げることはせず、心と体を研ぎ澄ます。自分に危害が加えられることがあれば、向かってやろうと。
「全然、慌ててないのがつまんないなぁ」
 立ち向かう気でいる青年にがっかりな顔を向けるもすぐに口を有り得ないほど裂けて楽しそうに声を上げる。
「燃えたらいい。体が焼け落ちて消えてもずっとずっと燃えて燃えて心まで灰になったらいい。とーても楽しいよ。ねぇ」
 その言葉通り青年の体が足元から炎が覆っていく。
「……なっ、何だ」
 さすがの青年も戦意を折られ、慌てる。
「もっともっと燃えたらいい。もっともっと顔を引きつらせてよぉ。楽しいなぁ」
 歪みの者は濁った目で青年の顔をなぶるように見る。
「……!!」
 青年にはどうすることもできない。ただ、熱さと苦しさで顔が歪むばかり。
 しかし、状況はそればかりではなかった。遠くから青年を呼ぶ声が異常事態の間に入り込む。
「焔! 焔」
 聞き知った青年の声が耳に入る。呼ばれた彼はどこか安心したように表情を緩ませ、その声に答えようと声を張り上げる。
「緑樹!」
 声を張り上げ、力を出し切った彼は声を出すと共に傾いた。
 傾いた体は床に着くことはなかった。
 
「……緑樹」
 寝起きのように自分を心配そうに見ている同い年の青年に顔を向ける。着物に似た独特な服装とサンダルに似た物を履き、右人差し指には金の指輪をしている。自分のよく知っている姿。
「何が緑樹だよ。居眠りなんかして」
 緑樹、独特な文化を持つ遠い人の国出身の友人が呆れたように先ほどまで机に突っ伏して眠っていた友人に言った。
「居眠りって、オレ寝てたのか」
 ぼんやりと焔は実感のない顔で辺りを見回す。
 先ほどいた世界と同じ本ばかりの場所だが、人がいる。違う世界であることは確かなようだ。
「そうだよ」
 呆れたように言い、焔に背を向けた。本棚から何か本を持って来るらしい。
「ちょっと待てよ」
 焔は慌てて友人の白色量の多い明るいレタスグリーン(若菜色)の長い髪を引っ張った。
「痛いって」
 少し嫌そうな顔をして焔に顔を向けた。
「なぁ、大賢者の君の所に行こうぜ。何か、妙なことが起きそうな気がしてよぉ」
「まぁ、いいけど。でも、妙なことって?」
 寝ぼけ顔ではなく、真剣な大賢者の顔に緑樹は文句の口を閉ざし、怪訝な顔を友人に向けた。
「あとで話す」
 知りたそうな顔にも口を開くことはなく、広げている本を閉じて棚に戻しに行った。
 二人はそれぞれの思いを抱えながら図書館を出てもう一人の友人が待つ午後の裏通りに向かった。
 
「……早く出ねぇかな」
 いつものよにチャイムを鳴らして友人が出て来るのを待つ。その時間がいつも以上に長く感じ、少しばかり苛立ってくる。
 もう一度チャイムを鳴らそうとした時、扉は開いた。
「はい。あっ、焔に緑樹」
 現れたのは6歳ぐらいの外見をした少年。おっとりした優しい顔つきをしている。
 彼が二人の友人の大賢者で大賢者の君と呼ばれている少年である。
「おう。ちょっといいか」
 焔は友人のような楽しい気持ちは一つもない顔で挨拶をした。
「いいけど」
 いつもと様子の違う彼に眉を寄せながらも二人を中に招いた。
 話は案内された居間で始められた。
 
「で、今日は?」
 お菓子や飲み物でもてなしをしてからゆっくりと訊ねた。
「実は……」
 焔はゆっくりと話し始めた。今でも心にねっとりと残る嫌な感触を。
 友人二人は彼の話を真剣に聞いている。
「そんなことが」
 実感が湧かないのか君は考えをまとめようと言葉を呑み込んだ。
「ただの夢ってことは有り得ないと?」
 緑樹も焔の予感が当たっているだろうと思いつつも一応訊ねる。
「おう。夢にしては異質な気がする。何か、こう込み上げる恐怖というか。緑樹がいなけりゃ、どうなってたか」
 目覚めている今でも感じることができる。あの時に感じた夢以上の恐怖。目覚めれば全てが霞の如く消えるのが夢なのに手に残るのはひりひりとする熱さと苦しさ。言い知れぬ恐怖。それも嘘の感覚であると知っても信じられない。その恐怖は呪術師として活躍していた時に時々感じていた恐怖と似ている。
「じゃ、僕は命の恩人だね」
 どんなに大変な事が起きていても彼の呑気さは変わらない。そこが長所と言えば長所なのかもしれないが。
「調子に乗るなよ」
 助けられたのがしゃくなのか不満そうに言い、菓子を頬ばっている緑樹を睨んだ。
「はいはい」
 いつものように二人を宥める君。
 先ほどまでの考え事顔が和んでいる。
「でも、ただの夢じゃなかったらどういうことだろう。歪みの者かぁ、実家にも手紙を出そうかな。もしかしたら来てるかもしれないし」
 緑樹は考えをまとめようと頭を巡らすと共に遠い人の国の実家が心配になってきた。もしかしたら今犠牲者が出ているかもしれないと思うと胸がざわつく。喉を潤して落ち着こうとした。今慌てても何もならないのだから。
「大丈夫だよ、緑樹。とりあえずできることからしていこうよ」
 心配の色を隠せない緑樹を励ますが、君にも何をやるべきか具体的なことは思いついていない。
「……できることって何かあるか?」
 三人の中で一番方法を知りたい焔が君に訊ねた。まだ嫌な感覚が残り不安を生んでいる。
「思いつかないね。でも、被害者はきっと他にもいるはずだから何か手掛かりはあるかもしれない」
 君はため息をつき、カップに口をつける。
「だね。夢だとなかなか難しいよね。また、悪夢を見たりして」
 緑樹はのんびりとお菓子を頬張りながら不吉なことをさらりと言う。
「おい!」
 不機嫌に緑樹を睨む。
「冗談だよ」
 予想外の腹立ちに慌てて言葉を重ねて収めようとするが、焔はまだ睨んでいる。
「その歪みの者が夢だけの存在なのかそうじゃないのか気になるところだね。もし夢だけの存在なら夢の中の彼を何とかすればいいんだけど、そうじゃなかったらもう少し考えないといけない」
 君は友人二人のいつものやりとりを眺めながらも考え事がやめずに気になっていたことを口にした。
「そうだな。今度、会ったら追い出してやる」
 不機嫌な顔は消え、震える心を奮い立たせた呪術師の顔になり、話が始まって一度も口にしなかったお菓子や飲み物に手をつけた。先ほどまでからかっていた緑樹の顔も真面目になっている。
「大賢者の君が言ったことで賢人総会で言い合いになりそうな問題だね」
 先ほど君が口にした言葉について突っ込みを入れる。当然、開かれる会議は万一の時に開かれる最も回数の低い賢人全体の会議のはず。
 それなりの知識があれば、大賢者の君でなくても思いつくことである。
「だな。それでどうするのか答えが出ないぜ。眠るなって言うのは無理だからな」
 堂々巡りする会議風景を思い描きながらうんざり気味に言った。
「確かにね」
 君もうなずいた。どうすることもできないのが現状である。
「まぁ、焔の大賢者のように強い意志を持つのが一番だね。そんな感じの結論が出てみんなに知らせるようになるんじゃない」
 肩をすくめながら軽い調子で言う。
「そうだね。今頃、他の場所でも事件が起きて大変なことになってるはず。二人共、気を付けてね」
 君は緑樹の言葉にうなずき、友人の心配をした。
「おう」
「大丈夫だよ」
 君の二人の友人は力強くうなずき、互いに相手の無事を祈る。
 この後も今回の出来事について話してから別れた。
 
 しばらくして賢人総会が開かれるも緑樹の言葉通りの結論になり、人々は不安に包まれた。調べれば調べるほど事件は広がっていることを人々は知る。焔が夢を見た何週間も前から事件は起きていた。ただ件数が少なく命を落とす者ばかりで証言を得ることができなかったため原因不明の突然死として片付けられていたのだ。それは他の街でも同じだった。
 今回は焔の他にも多くの者が夢を見て証言できる者が何人もいたため事件が明るみになった。
 歪みの者によって命を奪われる者、目は覚めるも心を蝕まれた者、恐怖を胸に抱く者。
 事件は様々な所が起きていた。
 緑樹は実家に手紙を送った。手紙は三日後、無事届き、さらにそれから三日後緑樹の元に手紙が届き、実家の無事と多くの被害者について知ることになる。
 
 二人の友人が帰った後、君はぽつりと言葉を洩らした。
「あの二人の呪術師達は大丈夫かな」
 ある事件で知り合った二人の呪術師達に思いを馳せた。