第4章 歴史の大家と本の探し人
上古の探索者と地下図書館の話で盛り上がってから三日後の白歴。いつもと変わらない毎日というものはこの世に存在しない。
今日も再び歴史の大家の元に何かを呼び込むこととなるだろう本を渡そうとやって来た者がいるのだから。
「さてとハカセに会いに行こうかな。きっと驚くよ」
5歳ぐらいの外見をした子供がほくほく顔で手に入れたばかりの本が入っている肩掛け鞄に触れた。
子供は薄い金髪をおだんごにして布で包み、結んでいる布が時々吹く風に揺れている。動きやすい服装に露出部分が多い靴を履いている。
「何て言うだろう」
少年は想像しながらとある家を目指していた。
「いるといいんだけど」
少年は白壁の家の前に立っていた。
恐る恐るチャイムを鳴らして待つ。家の主が出て来ることを願って。
しばらくして扉が開き、主が現れた。
「ハカセ、久しぶりだね」
少年の顔が綻んだ。
「えぇ、キッドも元気そうですね。それで、今日は?」
ハカセも嬉しそうに訪問者を迎えた。彼が自分を訪ねる理由は一つしかない。
「この本をハカセに渡そうと思って」
肩から掛けていた鞄から真っ白の薄い本を取り出し、差し出した。
「これは。題名が無いですね。作者はトモリとありますが」
受け取ったハカセは興味深そうに本の隅々を確認する。
それで判明したのは作者だけである。
「うん。知ってる?」
うなずき、物知りなハカセに訊ねる必要は無いだろうと思いつつも一応訊ねてみる。
「もしかして今活躍しているあのトモリ、ですか」
ハカセが思い浮かべたのは、今活躍している作家のこと。最近の作家でまだ数冊しか本は出ていない。目に見えての人気は無いが、一部に静かなる人気が広がっているらしい。ハカセも読んだことはあり、美しい物語だという感想を抱いた。
「そうだよ。幻想と美しさを書かせたら肩を並べる者はいないって言う」
当然キッドも知っている。作家トモリの書き出す物語はどれも美しく儚い。心さえも吸い込まれると言う。作者はめったに公の場に出ないのでどんな姿をしているのか読者は知らない。
「だとしたらどうしてこの本を私に?」
貰う理由が分からなかった。確かに読んだことはあるが、それほど熱狂的ではないのでもっと求めている人に渡すのが筋ではないのかと。
「ハカセに渡すのが一番だと思ったから。あの地下図書館にも匹敵するほどだよ。読んでみてよ」
キッドは意味深な笑みを浮かべるだけで詳しいことは言わない。
「えぇ、読ませて貰います」
ハカセも追求はしなかった。キッドから貰う物はいつも役に立っているので今回も何かあると。
「それじゃ、またね」
「ありがとうございます」
二人はいつものように別れた。
「さてと」
一人になったハカセはトモリの白い本を手に家に入った。
どんな物語が綴られているのか少し楽しみに思いながら。
「ハカセ、どんな感想を持つだろなぁ」
白い本を渡したばかりのキッドはぶらぶらと通りを歩いている。
いつも忙しくしているが少しぐらいのんびりしてもいい。そう思っていた。それが新たな出会いを引き寄せるとは思ってもいない。
「……これからどうしようかな」
これからのことを考えながら歩いている。彼の横をいろんな人がすれ違って行く。当たり前のことで気にすることは何もない。
だが、この時すれ違った人の言葉がキッドの耳に入り、足を止めてしまった。
「あの本はどこだろう。百年本」
少女の声だった。とんでもない本を探している少女。
「ちょっと」
キッドは遠くに行ってしまう少女を追いかけた。
「たくさん探してるのに見つからない。無いのかな」
にぎやかな通りから離れた少女はため息をつきながらとぼとぼと歩いていた。
その少女は10歳ぐらいの外見で小柄。短い髪に大きな瞳。帽子を被っており、だぼっとした上着に半ズボンで靴を履いている。
その彼女が探しているのは本。噂だけが一人歩きしている本。彼女は知っている。噂だけではないことを。知っていても見つけることは容易くない。ずっと探し回って手にしたのは旅のきっかけとなった一冊だけ。
「ねぇ、百年本って百年ごとに刊行されてる本のこと?」
がっくりしている彼女の耳にキンキンとよく響く声が耳に入って振り向いた。
「えっ?」
振り向いた先にいたのは少年、追っていたキッドが追いついたのだ。
「ねぇ、そうでしょう。それを探してるの?」
キッドは相手が不審そうにしているのも構わず、もう一度訊ねた。
「うん、そうだけど。知ってるの?」
うなずき、もしかしたらと思うことを訊ねた。
「知ってるよ。僕は歴史の上を歩く者。消え去った本とかを見つけ出す者だよ。キッドって名乗ってる」
自信のある笑顔でうなずいた。知っているも何も彼が手に入れてハカセに渡した本がそれなのだから。
「アタシはクラン、本の探し人。知ってるって百年ごとに刊行されてる本だよ」
半信半疑の顔でクランと名乗った少女はキッドを見た。
今までどんなに探しても見つからなかった物がいざ手に入るかもしれないとなると不安でならない。
「その本、知り合いにあげたんだ。よかったら訪ねてみたらいいよ。この街に住んでるし」
キッドは彼女の不安を吹き飛ばすように笑った。
「この街に?」
首を傾げながら訊ねた。
「うん。いい人だからきっと力になってくれるよ。歴史の大家でハカセという人なんだけど」
そう言ってハカセの居場所を教えた。きっと彼女の力になってくれるだろうと確信して。
「……ありがとう」
キッドのことは悪い人ではないと思いながらも本が本当にあるのか信じられないも一応礼を言い、去って行くキッドを見送ってから動いた。
クランはキッドの言葉通り道を進み、一軒の白壁の家に辿り着いていた。
「ここが」
少し緊張しながらゆっくりとチャイムを鳴らした。
いい人だと聞きながらも見ず知らずの人に会おうということなので緊張はますます加速する。
「はい、どなたですか?」
扉が開いて現れた人物は穏やかそうでキッドが言っていた通りいい人そうな感じだった。
「あの、ハカセという人ですか?」
緊張を何とか落ち着かせ、念のために訊ねる。知らない人なので間違いという可能性もあるため。
「そうですが、あなたは?」
うなずき、訊ねた。
「アタシはクランと言う者で本の探し人をしています。キッドという人から探してる百年ごとに刊行される本を持っていると」
間違いでないことを確認してから名乗り、訪問の目的を明らかにした。
「えぇ、持っていますよ。よかったら中へどうぞ」
柔和な笑みで来客を快く迎えた。
「あ、はい」
クランは中に入り、居間に案内された。
居間は誰もが呆気にとられるほどの凄まじさだった。
書類や本がそこら中に散らばり、テーブルや椅子さえも占拠している。
「……その」
何を言っても失礼になりそうで口ごもり、ハカセを見た。
「本当に申し訳ありません。椅子に載っている物は適当に置いて構いませんから」
申し訳なさそうに言い、手慣れた手つきでテーブルや椅子に載っている本を適当に床に置いていった。
それを見てクランも自分が座る椅子の本を丁寧に床に置いた。
そうしている間、ハカセは目的の本の捜索を始めていた。
「……確か」
役目を全うできていない本棚の横に積まれた山の中から一冊の本を手に戻って来た。
「これです。どうぞ」
椅子に座り、本をクランに差し出した。
「あ、ありがとうございます。これです」
本を手に取り、適当にページをめくってみる。
確認終えた彼女の顔は感激の色に染まっていた。
探していた本がこんなにも簡単に出会うことができるとはまだ信じられない。
「どうぞ、持って行って下さい」
クランが訊ねる前に答えを口にした。
「いいんですか?」
あまりの執着の無さに不安になって訊ねた。
「構いませんよ。必要としている人が持っているのが一番ですから」
相変わらずのにっこりでクランに答えた。
「ありがとうございます」
本を自分の物にできると分かり、嬉しさと感謝で礼を言った。
「そう言えば、その本を探していると言っていましたが」
本よりも気になるのは本を探していたクランのことらしく訊ねた。
「はい。家に一冊あります。探すきっかけになった本が。……言葉が言葉として意味を持っていないことが不思議だと思って頑張れば知ることができることを放っておくこともできなくて探す旅を始めたんです」
隠すことも無いので旅をするに至った理由を簡単に話した。
「そうですか」
ただうなずくだけで追求はしない。むしろ彼女の言葉から何かを考えている様子であった。
「あの、この本は読みましたか?」
少し気になって訊ねた。自分以外がこの本を読んで理解するのを目の当たりにしたことがないので気になった。この人は理解しているのではないかと。
「えぇ。しかし、面白く難解な本ですね。何か分かりそうで何も分からない。そんな印象を受けました」
感想を素直に話した。何か分かりそうで分からない。何度も読み返した結果、感じたことである。
「そうですか。あの、ありがとうございます。それでは」
訊ねることも無く、手にした本を読みたいと思ったので退出することにした。
一度、礼を言ってからクランは部屋を出た。
「えぇ、お気を付けて」
ハカセは彼女の旅が無事であることを願いながら見送った。
「さてと」
来客が去り、一人となったハカセはテーブルの上の白い本を再び開いた。
様々な幻想と儚さの入り交じった不思議な世界へと足を踏み入れた。
そして、知ることになる。なぜ、この本がキッドの手にあったのかを。
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