音楽の都で
 
 
 この思い人の世界には様々な街がある。花に溢れる都、呪術師の都、賢人の都など様々な都がある。その中に歌に溢れる都があった。静華の国の上から二番目に右に突き出している場所にあるのが音楽の都、地図ではミュゼリクスと記されている。
 そこは年中、音楽が溢れ続け何をするにも音楽が絡み、道端や施設で音楽家達が自分の腕を披露していたりする。
 その都に一人の旅人が訪れた。
 
「あのぉ、すいません。今日、行われる演奏会ありませんか?」
 街の入り口に設置されている案内所に6歳ぐらい少女がやって来た。少女は上品な服装に巻き毛を薔薇の髪留めで両側に一つずつ留めている。旅人らしく手にはスーツケースを握っていた。
「演奏会といってもかなりの数、ありますが」
 女性は演奏会の日程が記されている紙を少女の前に置きながら困ったように言った。この街では毎日何かの音楽会があり、それを催す施設もいくつもある。まさに音楽家達の聖地なのだ。
「……それじゃ、人気のある有名な人のはありませんか?」
 紙をさらりと見てから訊ねた。
「それならナーナ・クルがお薦めよ。彼女の歌は最高よ。なんせ、五人のミュゼットの一人なんだから。どうかしら?」
「ぜひ、教えて下さい」
 少女は女性から詳しく教えてもらうなり、すぐに案内所を飛び出して行った。
 
 目的の施設は人でかなり混雑していた。演奏会は午後からだというのに朝のうちから集まる人々で中も外も混んでいた。少女は人混みに呑まれ、押され押され苦しい状況に遭う。
 それでも何とか中に入り、当日券を買うことに成功するが、座席を探すのに苦労する。
「……うぅ、混んでる」
 小さな呻き声が人の波から洩れる。
 突然、少女は横から引っ張られる力によって人の波から救い出された。
「大丈夫?」
 彼女を助けた女性が空席の前に立っていた。
 17歳ぐらいの外見をした女性で大きな瞳に肩まである髪に長ズボンにサンダルと動きやすい格好をしていた。
「誰かに取られないうちに座った方がいいよ」
 にっこりと笑いかけ、通路側の席を勧めながら自分も隣の席に座った。
「……ありがとうございます」
 おずおずと礼を言ってから席に着いた。
「どういたしまして。ところで、見かけない顔だね。旅人?」
 じっと少女の顔を見ながら訊ねた。
「そうです」
 と答えると、女性はやっぱりという顔になった。
「やっぱりね。だったらなおさら聴かなきゃね。ナーナの歌は最高だよ! あ、私はチェルエット。君は?」
 思い出したように訊ねた。
「……ローズです。上古探索者をしている大賢者です」
 改めて名乗った。
「大賢者かぁ、すごいねぇ。それで、ここに何しに来たの?」
 旅人らしき様子のローズにさらに訊ねた。
「……これと言った目的はないんですが、とりあえず五人の歌神像を見たいなと」
 訪問理由を聞かれ、少し困ったように答えた。旅の目的など初めからありはしないのだ。あえて言うと旅こそが目的となるが。
「そっかぁ。だったら、これが終わったら一緒に行かない? 知り合ったのも何かの縁だし」
 親しげに言った。この出会いをここで終わりにしたくないというのが感じられる。それはローズも同じ。
「ぜひ」
「旅人ということはもしかして五人のミュゼットは知ってる?」
「はい。音楽家の中で最も優れている者ですよね。称号を持っている人達で確か称号の名前は五人の歌神の名前でしたよね。愛の歌神エラトニア、悲しみの歌神メルポス、叙情の歌神エラキュリア、舞踊の歌神ポリニア、歴史の歌神クレリアーナ」
 ローズはチェルエットの質問にもあっさりと答えた。歌神とは歌に優れた五人の音楽家とも神とも言われている詳細不明の存在である。一つ分かっていることは素晴らしい歌を持っていたことだけ。
「さすがだね。その五人の中で変わってるのがクレリアーナで、歌には作られた時代背景が必ずある。それを知ることができなければ、特に昔の歌には命を吹き込むことはできず、言葉が並んでいるだけになる。歴史を知ることは歌を生かすことになるんだ。この都の音楽家達はそういうことを知ってる。クレリアーナはそれに関して最も優れている人ってわけ。……ちなみにナーナは悲しみの歌神メルポスだよ」
 舞台を眺めながら嬉しそうに言った。
「そうなんですか。ミュゼットは五人ですよね」
「うん。ポリニアのアム、エラキュリアのクレア、クレリアーナのラルシャーク、そして……」
 最後の歌神の名前を言おうとした時、ポンとチェルエットの肩を叩く音がして言葉を遮った。彼女は振り向き、笑顔になった。
「ラルク!」
 後ろの席にいたのは外見が25歳ぐらいの長身の青年だった。子供のような澄んだ瞳が印象的だ。
「よっ! チェル、来てたんだな」
「当然。あ、ローズちゃん、彼がクレリアーナのラルシャークだよ。ラルク、彼女は大賢者のローズちゃん」
 二人は親しげに話した。チェルエットはローズのことを思い出し、知り合いを紹介した。
「どーも、クレリアーナのラルシャークだ。ラルクでかまわないよ」
「私は上古の探索者をしている大賢者ののローズです」
 互いに挨拶を交わした。
「あ、ちょうどよかった。これを今日中に渡そうと思ってたんだ」
 ラルシャークは思い出したように大きめの封筒をチェルエットに渡した。
「ありがとう。さすが、ラルク」
 受け取るなり中を開けて中身を確かめる。中にあるのは歌の歴史的背景、それによる歌の発音などが記された書類だった。
「これぐらい自分でできるんじゃないのか?」
 少々、うんざり気味に言う。それもそのはずでミュゼットの一人のためか頼まれ事が多く、多忙なのだ。
「できるけど、人にやって貰った方が楽だし。それに、ラルクは腕がいいし」
 当然のように言う。
「……チェルエットさんは歌い手なんですか?」
 二人が話す間、黙っていたローズが口を挟んだ。
 その言葉にラルシャークはカラカラと笑った。
「優れた歌い手さ。なんせ、エラトニアのチェルエットだからな」
 その言葉にローズは驚いた。まさかミュゼットが二人も自分の近くにいるとは思わなかった。
「すごいですね!!」
 興奮気味の声を上げた。
「ありがとう。書類も揃ったし、準備完了と。明日の午後に私の公演があるんだけど、聴きに来てくれない?」
 照れながらも客集めをする。
「ぜひ、行きます! でも、準備って明日のですか」
 まさかミュゼットの歌がまた聴けるとは思いもしなかったので少し興奮気味だが、少し心配そうに封筒を見た。
「大丈夫。こんなこといつものことだから」
 意に介していないように元気に言った。
「……要領が悪いし、いつもふらふらしてるもんな」
 ラルクのもっともな言葉が間に入ってくる。
「むぅ、ふらふらじゃなくて思索の散歩をしてるのよ。これでもミゼットなんだから」
 頬を膨らませて言い返すもラルクはまるで相手をしない。ローズはその二人の様子がおかしくて笑った。
 その時、開演を知らせる合図が鳴った。時間は正午を少し過ぎた頃だった。
 幕が上がると共に期待満ちる拍手が響く。舞台には30代ぐらいのきらびやかなドレスを着た女性が一人立っていた。そして、ゆっくりと歌い始めた。歌声は辺りに響き渡る。
 春、男と女が出逢い、恋人となり喜びを謳歌する。夏が来、冬が来る。すれ違い、揺れ動く心。昔を取り戻すことはできず、歴史によって引き裂かれる。
 再び春が来る。美しきあの日々は全て夢。いるはずがない。愛しのあの人はここにはいない。遠い遠い場所に行ってしまった。女を一人残して。水が呼ぶ。彼の待つ国へ呼ぶ。崖の縁。足を地から離し、鳥となる一瞬、全てを失い、一つのものを得る。女は愛を抱き水に呑み込まれる。消えてしまう。全ての記憶。全ての想い出。
 悲しみの深さを余すことなく表すのが非常にうまい。この他にも数曲歌い、数時間かかった。歌が終わり、歌い手が挨拶をした時、拍手が大音響となり感動が辺りを包んだ。
 
「本当に素晴らしかったです!!」
 会場から出るなり、ローズは興奮の冷めない声で言った。
「うん、本当に良かったね」
 チェルエットもうなずく。
「良かったよな。んじゃ、ここで別れよう。俺は他にも仕事があるんでね」
 ラルクは片手を上げ、挨拶をした後、早々に行ってしまった。
「全く、いつもいつも忙しいんだから。……さぁてと、どこかで軽い食事をしてから五人の歌神像の所に行こっか」
 ため息をつきながらラルクを見送った後、隣にいるローズに振り返った。
「そうしましょう。ちょうど、お腹も空きましたし」
 感動ですっかり空腹を忘れていたが、落ち着いた今少しずつ実感している。何をするにしてもまずは食事からのようだ。
「まずは食事だね。じゃ、行こう」
 二人は近くの飲食店に向かい、軽い食事をとった。
 
 食事を終えた二人は歌神像のある広場、ムーサピュサと呼ばれている場所を訪れた。
 円形の広場に五人の歌神が円に沿ってそれぞれの台座に立っていた。
 そして、広場の真ん中に先客が立っていた。
「クレア!」
 チェルエットは広場に着くなり真っ先に先客に声をかけた。
 先客はゆっくりと振り向いた。10歳ぐらいの外見に黒髪黒目で黒服を着た小柄な少年だった。周りの風景に溶け込んでしまいそうな静かな雰囲気をまとっていた。
 ローズは何事なのかとチェルエットの所に来た。
「ローズちゃん、彼はクレア・クロセント・ロクシアーヌ。エラキュリアだよ。クレア、彼女は大賢者で上古の探索者のローズちゃんだよ」 
 やって来たローズに目の前の少年を紹介した。ローズは何の反応を見せない少年に困ってしまった。紹介したチェルエットも少し困った感じだったが、すぐにその色は消えて好奇心の目の色で訊ねた。
「で、何してるの?」
 訊ねられたクレアはこくりとうなずき、二人から離れて左下にあるエラキュリア像に行ってしまった。
「ローズちゃん、ごめんね。クレアっていつもあんな感じなんだ。悪気は無いんだけど」
 クレアの素っ気ない態度を代わりにローズに詫びた。
「大丈夫です」
 笑顔で答え、熱心に何事かを考えている黒ずくめの少年を見た。
「ありがとう。……クレアの歌ってとても美しいんだよ。ただ、滅多に歌わないんだけどね。最近はいつもここにいるし、訊ねても何も教えてくれないし」
 クレアの姿を見つめながら眉を寄せて言った。
「……こんな話はここまでにして楽しもうか」
 チェルエットは話を打ち切ってここに来た目的を果たし始めた。
「はい」
 ローズもうなずき、チェルエット話を聞きながら見学を始めた。
 見学は反時計回りにエラトニア、メルポス、エラキュリア、ポリニア、クレリアーナと進められた。彼女達の顔つきはそれぞれが担当するものを示していた。エラトニアは愛くるしくメルポスは憂いを帯び、エラキュリアは不思議な色を浮かべ、ポリニアは美しく妖艶でクレリアーナは知的であった。
「見に来た価値はありました。……このエラキュリアは不思議な顔をしてますね」
 最も気になったエラキュリア像を見上げ、思わず声を上げた。隣のクレアは相変わらず像を眺めながら考え事をしている様子だった。
「でしょう。ほとんどの歌い手は行き詰まった時、ここに来るんだよ。閃きを求めてね」
 ローズの左隣に立ち、一緒にエラキュリアを見上げるチェルエット。
「ねぇ、この街にいる間、ローズちゃんに付き合ってもいいかな。何か面白そうだし」
 しばらく見ていた後、思いついたように訊ねた。
「ぜひ」
 思ってもいなかった申し出である。断る理由はどこにもない。出会いが好きだから旅をしているのだから。
「それじゃ、行こっか。またね、クレア」
 ローズの答えにますます陽気なり、片手を上げてクレアに挨拶をしてから歩き出す。ローズはぺこりと頭を下げてからチェルエットに続いた。クレアは僅かに去って行く二人の姿に顔を向けたが、すぐに自分の世界に戻った。
 しばらくの間、彼はここに立っていた。
 
 広場を去った後、二人は様々な場所を訪れた。楽譜専門店、音楽関連の本を扱っている書店、上質の楽器を売っている楽器専門店、きらびやかな舞台衣装を扱っている衣装屋。価格は安い物から高い物と差があり、それに伴って品質も変わる。さすが歌の都である。
「さすが、歌の都」
 歌声で満たされた通りを歩きながらため息混じりに呟いた。
「そう言ってくれると嬉しいなぁ」
 チェルエットは上機嫌だった。
 この後、親切なことにチェルエットは宿を紹介し、翌朝の訪問を言ってからさよならをした。ローズは一人になり、ようやく落ち着いた。今日はたくさん歩き回って疲れた。今夜はよく眠れそうだ。この日の残りの時間は宿でゆっくりと過ごした。
 
 次の日、快晴の朝。
 朝食を終え、ゆっくりと部屋でくつろいでいた時、部屋をノックする音が響き、急いでドアを開けた。
「おはよう、ローズちゃん!」
 元気な笑顔をローズに向けた。
「おはよう、チェルエットさん」
 思わずローズも笑顔になってしまう。
「早速、ポリニアのアムを見に行こう!」
「はい。でも、券とか何もなくて大丈夫なんですか」
 小首を傾げながら軽く誘うチェルエットに訊ねた。昨日は当日券を購入して入ったのだから今日も何か必要ではないのかと。しかもミュゼットの公演なのだから。
「大丈夫だよ。ここ年中演奏会とかやってる場所だから無料の所やお金だけ払えばいい所とか券が必要な所とかいろいろなんだ」
 肩をすくめながらローズの疑問に答えた。
「さすが、音楽の都」
 ローズは妙に感心の声を上げた。
「だから、早く行こう」
「あ、はい」
 チェルエットはローズを急かして会場に向かった。
 ミュゼットの公演なので昨日のように混雑している恐れがあるので二人は大急ぎだった。
 
 開演にはまだ時間があるというのに会場にはたくさんの人で混み合っていた。
 何とか二人は人の波をくぐり抜け、いい席に座ることができた。
「これが終わったら昼食を食べに行こうね」
「はい」
 などと開演まで軽いお喋りをしていた。
 突然、開演を知らせる合図が鳴り響き、二人は口を閉じた。
 幕が上がる。拍手が溢れる。
 17歳ぐらいの長い銀髪に美しい薄紫の瞳をした少女が一人立っていた。儚く、ふわふわした雰囲気があり、纏っている純白のドレスが白い光を放つ。
 彼女が歌い始める。透き通った声が響く。
 彼女が舞い始める。軽やかで蝶のように。辺りに白い光が溢れる。
「……夢みたい」
 ローズは思わず言葉を洩らした。
「でしょう」
 チェルエットが視線を舞台から離さずに答えた。
 多くの踊り手達が現れても彼女の姿は埋もれることなく存在し、むしろ一層輝いて見える。
 小鳥のさえずり、小川のせさらぎ、甘い花の匂い、彼女の舞台は春の姿となっている。歌姫は春の中、あちこち飛び回る。
 あっという間に公演は終わり、歌姫は挨拶をして舞台から消えた。
 拍手は大音響となって会場中に響いた。
 
「本当に感動しました」
 ローズはまだ感動が冷めない声で言った。
 心にはまだあの美しい歌姫が踊っている。
「でしょう。私もよ!」
 チェルエットは嬉しそうにうなずく。
 今、二人は近くの飲食店で昼食をとっている。
 時々、手を止めては公演の話をする。
 食事を終えて二人は店を出た。
 
「これからちょっと明日の準備があるからごめんね。はい、これ」
 店を出るなり、ズボンのポケットから一枚の紙切れを取り出し、ローズに差し出した。
「……これってチェルエットさんの公演の」
 受け取ったローズは驚いたようにチケットとチェルエットを見比べた。チェルエットが渡したのは自分の公演の券だった。
「あげるよ。必ず見に来てね。頑張るからさぁ」
 自信ありげな笑顔の瞳の奥から彼女の歌い手としての誇りが垣間見える。
「必ず行きます」
 手の中のチケットをしっかりと握った。本当に楽しいことばかりだ。明日もきっと楽しい日になるだろうと予感した。
「ありがとう。それじゃ、明日」
 満足したように笑ってからさっさと行ってしまった。
 この後、ローズは適当に街を歩き回ったりして過ごした。明日を楽しみにしながら。
 
 翌日の天気のいい午後。
 ローズは音楽に満たされた通りを急いで会場に向かった。
 到着した会場はとても混雑していたが、何とか席に着くことができた。
 もうしばらくしたら幕が上がり、開演する。ローズは早く始まらないかと落ち着かないでいる。
 そわそわしている内に時間になり、開演を知らせる合図が鳴った。幕が上がる。拍手が溢れる。
「……始まった」
 ローズは舞台に現れたチェルエットを食い入るように見つめた。
 舞台に立っている彼女は白と黒のしっとりとしたドレスを纏い、別人のようだった。彼女は歌う。愛や喜びに自然への感動を軽やかに歌う。
 温かく包み込むような声。辺りに響き、人々の心を包み込んでしまう。歌が終わっても人々は感動の中にいた。
 幕が下がってはじめて人々は気づく。終わったことを。そして、拍手が会場を包む。ローズも拍手の波に参加した。
 この後、ローズはチェルエットに会うため楽屋に行った。
 
 訪れたローズをチェルエットは快く迎えた。
「どうだった?」
 上気した顔でローズに訊ねた。
「とても感動しました!!」
 声を大きくして答えた。
「……ありがとう」
 嬉しそうに言った。
「あ、ごめんなさい」
 ローズはチェルエットがまだ舞台衣装のままであることに気づき、思わず謝ってしまった。着替えや化粧を落としたり、机一杯の花束をまとめたりと大変だろうに。
「大丈夫だよ」
 ローズの言葉の奥を察し、いつものことのように平気そうに言った。
 そんな二人の耳にノック音が入った。
「開いてますよ。どうぞ」
 ドアに向かって一言声をかけるとすぐに開いて花束を持ったクレリアーナとポリニアの称号を持つ二人が現れた。
「ラルクにアム! 来てくれたんだね」
 チェルエットは嬉しそうに言った。
「当然だよぉ。はい、どーぞ」
「相変わらず、要領悪い癖に上出来だよ」
 二人はそれぞれの言葉と共に花束を贈った。
「ありがとう! でも要領悪いは余計だよ!」
 花束を受け取りながらふくれ面でラルクを睨んだ。
「悪い、悪い。つい余計なことを言ったよ」
 悪びれた様子もなくカラカラと笑った。
「ねぇ、チェル、夕食一緒に食べない? 最近、おいしい所発見したから」
 二人の会話にアムが割って入った。
「それいいね。ローズちゃんも一緒にいいかな。ね」
 手を叩き、嬉しそうに声を大きくしてローズの方に訊ねた。
「……大丈夫だけど」
 盛り上がっているみんなを見ながら遠慮がちに答えた。今のこの場、自分は本当に部外者な気がして歌い手達の会話ではずっと黙っていた。
「アム、彼女は大賢者で上古の探索者のローズちゃん。アムの公演も見たんだよ。彼女も一緒に食事いいかな?」
「大歓迎よ。いろいろお話を聞かせてね」
 アムは親しげな笑みをローズに向け、少しだけ旅人の心が和んだ。
「ありがとうございます」
 礼を言い、ローズは音楽家達と食事を共にすることにした。
 チェルエットの支度が終わるなり、アムお勧めの店に行った。
 
 向かった店は夕食には少し時間があるというのにとても混み合っていた。
 ローズ達は運良く席に着くことができた。それぞれ注文した料理が来てから楽しいお喋りが始まった。
「ローズちゃんは旅をしてるんだよね。今までどこに行ったの?」
 口をもごもごさせながら好奇心の目でチェルエットが質問した。
「いろいろと。世界の中心とか」
 ローズは今まで訪れた多くの場所を思い浮かべるも最近訪れたあの長い旅のことを話した。
「へぇ、あの世界の全ての謎の答えがあるって場所でしょ。すごいなぁ」
 話を聞くなり感心の声を上げた。チェルエット以外の二人も驚いた顔をしていた。
「……そんなことは」
 ローズはあまりの感心に照れながら口ごもった。
「それで他には」
 チェルエットはさらに話を求めた。
「他には……」
 今まで出会った大事な出会いや危機など様々な物語を話した。
 聞き手達は熱心に聞き入っていた。
 楽しい時間は新しく出会ったローズの話が中心になって過ぎていった。
 時間は長く無限のように感じるが、必ず終わりは存在する。今日のこの楽しい時間にも。
 食事を終えた四人は店の前にいた。
「本当に楽しかったです。また、来ます」
 別れを告げるローズ。
「またってもう行くの? もう少ししたら夜になるんだよ」
 チェルエットは驚いたように言った。まさか、今日別れが来るとは思っていなかったようだ。
「でも、道は明るいから」
 自分との別れを惜しんでくれていることに少し嬉しくなりながらも心が旅を求めているのは抑えられない。
「そうか。気をつけてな」
「今度はもっとお喋りをしようね」
 チェルエットと違ってラルクとアムは惜しみつつも別れを受け入れる。
 誰にもあるべき場所がある。それは誰にも止められはしない。
「気をつけてね。また来たら声をかけてね」
 チェルエットも残念そうに別れを口にする。再会を願いながら。
「必ず」
 にっこりと笑って再会を約束して三人のミュゼットと別れた。
 夕暮れが少しずつ夜の闇に染まりつつある空の下、街の出口に向かった。
 
 街の出口に向かっているはずの上古の探索者の足がふと道を変えた。街を出る前にもう一度だけ五人の歌神に会いたくなった。
「……この歌は」
 向かっていたローズの足がふと立ち止まった。歌声が耳に入ってきたのだ。とても不思議な歌声でこれ以上にないほど澄んでいた。心の奥が温かくなり天上にいるような心地よい気分になる。人間が持つ全ての感覚が感動の海に沈む。
「……とても」
 夜も近く人も少ないが、見渡せば自分と同じように足を止め耳を傾けている人がちらほらといた。様々な音が溢れているというのにこの流れてくる歌声だけは埋もれることがなく心の奥に届く。
「……誰が歌ってるんだろう」
 不思議と興味でローズは歌声を辿るべく、足を進めた。
 
 歌声を辿って着いたのはムーサピュサ。ローズが行こうとしていた場所だった。
「……一体、あれは」
 見つけたのはエラキュリア像の前に立つ黒ずくめの少年。
 チェルエットに紹介された無愛想なあの少年。
「……確か、クレア君」
 言葉を交わしたわけではないが、名前はしっかりと覚えていた。
 ローズは邪魔をすることなく、静かに歌声に聴き入っていた。
 そのため、歌が終わったことさえ気付かなかった。
「……君は昨日の」
 ローズが現実に戻ったのは歌声とは全く違う少年の声によってだった。
「……えぇ、ローズです。言葉で表すにはもったいないほど素晴らしい歌ですね。滅多に歌わないと」
 改めて名乗り、感動を口にする。
 そして、チェルエットが言っていたことを思い出す。クレアは滅多に歌わないと。
「歌は心から歌いたいと思う時に歌うもので頼まれて歌うものじゃない」
 ゆっくりと言葉を選ぶかのようにローズの疑問の答えらしきことを言う。その声は静かで歌声に綴られていた温かなものは何もない。
「……心から」
 歌い手の言葉を反芻する。心から湧き出る思いのまま言葉にしたからあれほどまでに心に響く歌を紡ぎ出せたということなのだろうか。分かるようで分からない歌い手の言葉。
「ここは空気が街と違う。考え事をするには一番」
 ローズから目の前のエラキュリア像に視線を移した。
「考え事?」
 表情の変化があまりない横顔を見ながら訊ねた。
「言葉は数え切れないほど存在してる。人によって心に響く言葉は違う。この世界にこの自分に全ての人の心に響かせる音を作り出せるのかと」
 像に目を向けたままゆっくりと答えた。
「それが考え事ね。あなたの歌はとても響いた。聴いている私の周りにいた人々の心にも」
 再び心に広がる感動を思い出した。あれほどまでの歌を聴くことができるとは思っていなかった。チェルエットの言葉以上に素晴らしい歌だった。
「それでもまだ何かを生み出せるような気がしてならない。何かが足りないのか違うのか……」
 言葉は悩んでいる様子だが、表情は相変わらず静かで読み取れない。
「……そう」
 うなずき、また何かを話してくれるのかと横顔を見たが、像を見つめたまま何も答えない。考え事に入ってしまったようだ。
 ローズが邪魔をしないように静かにムーサピュサから離れようと背を向けた時、
「聴いてくれて感動してくれてありがとう」
 クレアの言葉が降りかかった。ほんの少しだけ柔らかくなった表情と少しだけ温度のある言葉。歌い手はやはり聞き手がいてこその歌い手ということらしい。
「どういたしまして。また、会えるまでお元気で」
 ローズは足を止め、静かな笑みの少年に笑顔を向け、改めて挨拶をして去った。
 また再会し、あの心が溶けるほどの歌声を聴くことができるのを願って。
 
 街を離れ、ローズは夜に向かいつつある空の下を歩いていた。
「……本当に」
 足を止めて胸に手を当てる。クレアの歌がまだ心の中で響いている。
 本当に歌の都に立ち寄って良かった。
 ゆっくりと歩き始めた。新しい出会いと再会を求めて上古の探索者は旅をし続ける。
 歌い手が歌い続けるように旅人は旅をし続ける。