第1章 アウルとロベル
 
 
 大変な事件が起きたというのに世界は変わらずに存在し、人々はいつもの毎日を送っている。
 賢人達が多く住まう賢人の華の都でも他の街となんら変わらない日常。
 
 いつもの賑やかな三人組は喫茶店の屋外の席でのんびりと午後を過ごしていた。
 「違い目の民や死人使いとか歪みの者とかいろいろあったのに呑気だよねぇ」
 カップを手に賑やかな通りを眺める少年大賢者の君。
「そういうものだよ」
 甘いお菓子で口をもごもごさせながら答える賢者緑樹。
「というかお前が言うなよ」
 呆れたように言い、焔の大賢者は口にお菓子を放り込んだ。
「あははは」
 気の抜けた笑いで焔に答えた。
 このように親しい者達と時間を過ごしていると過ぎ去った大変な事件が嘘のように思えてしまう。
「あぁ、それより最近面白い物を手に入れてよぉ」
 何かを思い出した焔はズボンのポケットに手を突っ込んだが、そのまま止まってしまった。通りを彷徨っていた視線に気になる者を捕らえたらしい。
「焔?」
 君は違う方向を見ている焔に訊ねた。
「何であいつがこっちにいるんだ?」
 君の言葉にも気付かず、視線は通りを歩く一人の青年をとらえていた。
「焔の大賢者、どうしたの?」
 今度は緑樹が訊ねた。
「あぁ、知り合いがいたんだ。ちょっといいか」
 今度は気付き、適当に答えて焔は通りの方に駆けて行った。
 
「はぁ、参ったな。今日はこっちで休んで明日一番に出発しないとな」
 ため息混じりに通りを歩く18歳ぐらいの黒髪の青年。紫の瞳には少しばかりの疲れが見える。
「……本当に、ん?」
 これからのことに思いを巡らせていた青年は自分を呼ぶ声が耳に入り足を止めて声のする方に顔を向けた。
 自分の名前を呼びながらやって来るのは同い年ぐらいの金髪の青年だった。
「ロー、何でお前がここにいるんだ?」
 目的の人物に辿り着くなり焔は眉を寄せて訊ねた。
「お、アウル。久しぶりだなぁ」
 ローことロベルは嬉しそうにやって来た青年に言葉をかけた。
「アウルって、手紙にも書いただろう。焔の大賢者と名乗ってるって。本当にお前は。で、どうしてここにいるんだよ。深緑街に住んでたんじゃないのか」
 変わらない知人に呆れのため息をつきながら訊ねた。互いに会うことは少ないが、どこに住んでいるかはやり取りをしているので知っている。
「あぁ、それは……」
 焔の質問に答えようとするも言葉が出ずに眉を寄せるばかり。
「……忘れたのか?」
 ロベルの様子にますます呆れる。付き合いは長いので彼がどういう人間は知っての呆れである。
「いや、そんなことは」
 焔の様子に少し腹を立てたロベルは不満な顔で否定するも説明の言葉が出てこない。
「……話聞くにもかかりそうだな。座って聞かせて貰おうか。人もいるけど」
 少し眉をひそめながら焔は腰を据えて聞くことを提案した。ロベルの忘れ癖のためだけではない。
「あぁ、別に構わないよ。大した話じゃないし」
 あっさりとうなずき、焔について行った。
 
「あ、焔」
「その人は? 知り合い?」
 二人は友人が連れて来た見知らぬ青年に興味を向けた。
「あぁ、こいつは呪術師のロベル。オレのいとこだ。こいつも一緒でいいか?」
 ロベルが名前を名乗るよりも先にさっさと紹介した。
「いいよ。僕は大賢者の君だよ」
 人のいい笑顔でうなずき、名乗った。
「僕は賢者の緑樹。何か面白い話がありそうだね」
 好奇心に満ちた目をロベルに向けながら名乗った。
「よろしく」
 挨拶をしてから向かいの空席に座った。
「で、どうしてお前がここにいるんだ? 呪術で何かあったのか?」
 ロベルの隣に座りながら改めて訊ねた。会った時から感じていた呪いの気配に気付かないわけがない。そもそも右手が包帯だらけというだけで何かあったことは察することができる。
「さすが、アウルだな」
 注意されたことも忘れて焔の昔の名前を口にする。
「アウルって。本当にお前は頭の底が抜けてるな。で、どうしたんだよ」
 ロベルの頭を小突きたそうな不満そうな顔で文句を垂れてから話を促した。
「実は知り合いの歌い手が呪いにかかってそれを解呪しようとした自分も呪いにかかったんだ」
 そう言ってロベルは右の袖をめくった。
「ひどそうだな。多分、オレも無理だ。お前の治呪も無理か?」
 包帯に包まれているのは手だけではなく肩まで続いていた。焔はあまりに痛々しい有様に眉をひそめながらも自分の腕では無理だと感じ、異質の呪術を使う友人に訊ねた。
「……無理かも」
 緑樹も恐々と包帯だらけの右手を見ながら答えた。助けてあげたい気持ちはあるが、無理なものは無理だ。
「それで呪術師の都に行って誰かに解呪してもらおうと思って。すっかり右腕が動かなくなってしまってまずいと思って。最初は右の指先だけだったのに」
 ゆっくりと袖を元に戻しながら話を続けた。何とか進行を抑えるために包帯の下には液体化した秘石に浸した布を当てているが、めざましい効果は発揮されていない。
「そのまま放っておいたら心臓も止まるかもな」
 最悪の事態は容易に想像できる。しかもそれほどかからずにそういう事態に陥ることも。
「だったら彼に頼んだらどうかな」
 ずっと黙って聞いていた君が口を開いた。
 君の言葉で二人の賢人は誰なのか察したのか救いのある顔になった。
「彼? 誰か知ってるのか?」
 ロベルは賢人三人の顔色の変化に不思議そうな顔をした。
「あぁ、偉大な呪術師って知ってるだろう。そいつに頼むんだよ」
 理由を話したのは焔。あの有名な呪術師に力を貸して貰えば何とかなるはず。今までも大変な事件をいくつか解決したらしいのだから。
「アウル、知り合いなのか?」
 ロベルは驚きの顔で焔を見た。当然、呪術師なら誰でも知っている。解呪出来ない呪いなど存在しないというほどの凄腕の呪術師のことは。
「ちょっとした事件で彼と魔女と知り合った」
 焔は話しながら出会うきっかけとなった子猫の事件のことを思い出していた。
 それは他の二人も同じだった。
「すごいな」
 すっかり自分を苦しめる呪いのことを忘れて感心する。切羽詰まっているというのにあまりにも呑気である。
「それじゃぁ、住所を何かに書くから」
 ロベルの底なしの忘れ癖を知らない君は普通に書く物を探し始めた。
「君、それは無駄だ。こいつのことだから書いた紙を忘れるに決まっている。無駄だ」
 焔はすぐに君を止めた。君の行動がどれだけ無駄なのかはよく知っている。今までそのことでどれだけ自分が苛立ち迷惑したのか思い出しきれないほどある。
「無駄ってな、忘れないって。命が危ないんだぞ」
 焔のあんまりな言葉にむっとする。命がかかっている割には先ほど呑気に感心していたが。
「命が危なくてもお前は忘れるだろ。お前のせいで散々な目に遭ってきたんだからな」
 ロベルの訴えを聞く気は一切無い。命が危機ならなおさらだ。
「じゃ、どうしろって言うんだ」
 住所を書いて貰えないなら当然、口で教えてもくれないだろう。そうなれば、行くことも出来ない。困っている自分を放っておくのかと少し声を苛立たせる。
 そんなロベルに焔は最良で間抜けな提案を口にした。
「オレも行く。問題ねぇだろう」
 偉大な呪術師の話題が出た時点で考えていたことだ。ロベル一人に行かせたらどんなことになるかは容易に想像できる。自分が道案内で行く方がどれだけ早いのかもまた簡単に想像できる。
「はぁぁ。何でお前も来るんだよ。子供のおつかいかよ」
 めちゃくちゃに不満を顔中に浮かべて焔に抗議するが、彼が受け取るはずがない。
「ほら、立て。それも替えてやる」
 焔は椅子から立ち上がり、ロベルの左腕を引っ張って強引に立たせた。
「ちょっ、おい」
 まだ不満が浮かんでいるロベルは少し転びそうになりながらも椅子から立ち上がり、焔は急に用事ができたことを二人に詫びた。
「悪りぃけど、話の続きはまた今度な」
 ロベルを引きずる形でその場を去った。
「うん、気を付けて」
「焔の大賢者って意外に優しいよね」 
 残された二人は去って行く焔達を見送り、緑樹はお菓子を食べながら呟いた。
 この後、焔達のことを心配しながらも何かと談笑しながら時間を過ごしていた。
 
 友人と別れた焔はロベルとも別れ、自宅に急いでいた。
 ロベルの腕に巻いていた包帯などを替えるために道具を取りに行く。
 呆れたため息をつきながらも急ぐ。意外に人がいいのが彼らしい。
 自宅に着いた焔は包帯や液体の入った小瓶をいくつも適当な袋に放り込んでからロベルが泊まっている宿に急いだ。
 
「ここか」
 ロベルと違って記憶力がまともな彼はすぐに宿に到着し、部屋に赴いた。
「おい、ローいるか?」
 宿泊していると思われる部屋のドアをノックしながら訊ねた。
 もしかしたら道を忘れてまだ帰っていないかもしれないと思いながら。
「開いてる」
 無事に戻ることが出来たらしく部屋の中から声がした。
 焔はゆっくりドアを開けて中に入った。
「無事に戻れたんだな」
 焔はわざとらしく大げさに言ってロベルをからかう。
「さすがのオレだって宿に帰るぐらいはできる」
 ロベルはむっとした顔で反論する。
「とにかく、服を脱げ。呪いの状態を見たい」
 焔はからかいの顔を真面目なものに変え、呪術師としての仕事を始める。
「分かった」
 ロベルはそう言ってもぞもぞと上の服を脱ごうとするが、右腕が全く動かないので悪戦苦闘する。
 あまりに鈍くさいため苛立った焔が手伝って何とか脱衣を完了する。
「予想以上だな」
 ロベルの呪いの有様を見た焔は開口一番に困り声を上げた。
「最初は指先だけだったんだけどな」
 すっかり動かなくなった右の指先を見ながら言った。
 指先から腕、腕から肩と包帯だらけで肩に巻いている包帯から青紫に変色した皮膚が見える。呪いが進行していることが一目で分かる。
「本当にこのままじゃ、お前死ぬな」
 気遣いも何も無い物言いをしながらもロベルのための作業を続ける。
 テーブルに袋から荷物を取り出し、並べていく。たくさんの包帯と布。それぞれ違う色の液体が入った五つの小瓶と空っぽの小瓶一つ。
「あっさり言う」
 焔のことはよく知っているので気を害した様子もなく、焔の作業を眺めている。かなりの準備をしてきたなと思いながら。
「こんなもんかな」
 五つの液体を適当な量を空の小瓶に注いでからふたを閉めて振る。
 空っぽの小瓶に入れられた液体は混ざり合い、奇妙な色合いになる。端から見たら子供のお遊びに見えるが、きっちり呪術師としての仕事を全うしているのだ。
「……包帯、外すぞ」
 息を吸って落ち着いてからロベルに言った。包帯の下には変色した皮膚が痛々しくあることは分かっている。手早く作業を終わらせなければならないことも。
「あぁ」
 ロベルも緊張したようにうなずいた。
 焔はゆっくりと包帯を解いて皮膚に当てていた布を外していく。予想通りの有様にさすがに顔が強ばってしまう。
 包帯や布をテーブルに置いて入れ替わりに新しい布に作ったばかりの液体を染み込ませ、皮膚に当てていく。大量に持って来た布を半分以上も使い込んでから包帯で手早く巻いていく。
「これで終わりだ。明日の朝一番にここを出発する。早い方がいいからな」
 出来上がりを確認してから、息をついた。呪いの進行を完全に止めることは出来ないが、気休めぐらいにはなるだろうと。
「分かった。それより今は大賢者だって言うのに相変わらず手早いなぁ」
 当のロベルは呑気に焔の作業に感心する。焔が調合した液体が皮膚に染み込み、心なしか和らいでいるような気がする。布に染み込ませた物は秘石を液体かした物である。
「お前は呑気だな。それより、依頼者も来ているのか?」
 緊張感のない友人にため息をつきながら訊ねる。危機感を感じているのは当事者ではない自分だけのようだ。
「あぁ、隣の部屋にいる」
 手当後の案配を確認しながら焔に答えた。
「そうか。見てみた方がいいな」
 道具を袋に片付けながら言った。ロベルがこの有様なら依頼者はもっと酷いことになっているかもしれない。
「そうしてくれると助かる」
 もし焔が言わなくても最初からそのつもりだったのでありがたい。
 焔はもそもそと苦労して服を着ているロベルを置いてけぼりにして隣の部屋へ行った。
 そして、ロベルにしたように依頼者にも同じように手当を施し、のろりとやって来たロベルにもう一度、明日のことを伝えて宿を出て行った。
 焔は帰宅し、翌朝に向けて準備を始めた。
 
 明日は焔にとっていつも以上に大変な日となるだろう。