歌石
 
 ここはトキアス。人々は思い人の世界とも呼んでいる。ここでは中身と外見が必ずしも一致するとは限らない不思議な所で、歴史家や知識を求める賢者や呪いを愛する呪術師が住まっている。
 そんな世界のあるとある街。歴史家が多く住まう街、白歴。地図ではアリアノールとある。
 
「…………」
 6歳ぐらいの性別不明の外見にマゼンタ色のおだんご頭と同色の瞳。右目にはブリッジ式のモノクル(片眼鏡)にゆったりとした服装をしていた子供だけ。知る人は歴史の大家やハカセと呼んでいる。
 ハカセが座るベンチに子供がやって来た。
 外見12歳ぐらいの性別不詳。手には木製の鞄を持っていた。遠い人の国独特の着物に似た衣服とブーツを履いており、表情はぼんやりでマフラーで口元を隠していた。衣服から他人は遠い人の国出身だろうと言うが、それに対して子供は何も答えないので真偽は不明だったりする。
「……」
 少しの間、座っているハカセを見ていたがすぐに子供はちょこんと隣に腰を下ろした。
「……」
 子供は鞄をわずかに開けてそっと水の民の至宝を取り出し、ぼんやりと見つめる。その横顔にはどんな感情も浮かんではいなかった。
「……水の民の至宝ですか」
 隣に座っていたハカセが興味を抱き、子供に訊ねた。
「……」
 子供はちろりとハカセを見るなり、石を差し出した。
「ありがとうございます」
 ハカセは礼を言いつつ石を手に取り、上に下に舐め見る。
「……歌石(うたいし)ですね。加工もされていますね」
 ハカセは理由を訊ねようと子供の方に視線を向けた。歌石とは、呪術を歌い手にかけて秘石に歌を込めた石である。石に込められた歌を聴くには秘石素材の研磨剤で巧みに磨き上げ音を鳴らす必要がある。秘石によっては歌石に向き不向きがあり、非合法なやり方で作り上げた歌石があるとかないとか。当然、磨く度に石は小さくなり最後は聴く事が出来なくなる。秘石の中でも秘石加工に優れた水の民しか扱う事が出来ない水の民の至宝は最上の品である。現在出回っているのは周囲に他の石を混ぜて切り出す所までしか出来ないのだ。
「……」
 子供は答えない。
「……」
 ハカセはもう一度水の民の至宝に目を向けるやいなや口元を綻ばせた。
 子供はそんなハカセの様子を不思議に思い、目の色が微かに疑問に揺らいだ。
「……水の民についてこれまで色々と縁がありまして、思わずそれを思い出してしまいまして。この歌石にはどのような歌が込められているのですか?」
 子供の疑問の色に気付いたハカセは柔和な笑みのまま答えた。
『知らない。入手してから聴いてないし売り物だ』
 子供は答えるために手帳とペンを取り出し、会話を成立させた。
「……そうですか。私は歴史の大家やハカセと呼ばれている者ですが、あなたの名前を伺ってもよろしいでしょうか」
 ハカセは手帳を見た後、自分が名乗っていない事に気付き、改めて挨拶をした。
『歌石の売り人、マキカ』
 マキカも挨拶を書いた。
「……歌石の売り人ですか」
 マキカの返事からハカセは手にある歌石に何か曰くがあるような気がしていた。あまりこちらから訊ねない方が良いような何かが。
『そうだ。その石は仕入れの際に混ざっていた物だ。欲しければ売る』
 マキカは簡潔に事情を伝えた。
「……是非、お願いします」
 ハカセは購入を決めるなりもう一度自分の手の中にある歌石を確かめた後、言った。
『分かった』
 マキカはそう答え、売り手と買い手は問題無く交渉を終えた。
 商売を終えるなりマキカは鞄を片手にどこかに行ってしまった。
「さて青の都に行き、頼んでみようか。その前に石夜の街に行って再会してもいいかな」
 マキカを見送った後、ハカセはあれこれと今後の計画を立てていた。
 そして、翌日ハカセは知り合いが店を構えている石夜の街に向かう事にした。