鳥かごの中の鳥がはばたく時
 
 燦々と降り注ぐ朝の光。ここは海にぽつんとある島で三方を大陸で囲まれている。
 島の名はハクセイユと言い、一般に儚い者の国と呼ばれている。
 森などの自然もあり、他の大陸と繋がっていないので静かな所だと思われるが、そうではなくとてもにぎやかで占いの類が流行している。それもここの住んでいたという先見(さきみ)の民に関係があるらしい。
 
「……朝か」
 青年は上体を起こし、光の射す窓を見つめる。呟きには、生きていることを確認しているような響きがあった。その青年は18歳ぐらいで温厚そうな顔立ちで肩より少し長い髪が射す光で淡く輝いていた。青年は立ち上がり、服装を整え髪を頭の上で一つに縛る。そして、二階の自分の部屋から一階へ下りて行った。
 
 一階の居間に行くと二人分の朝食が用意されていた。
「おはよう、エレン。体の具合はどうだい?」
 父親が起きてきた息子に訊ねた。40代というのに体つきは良く、若々しく見え、それでいて穏やかさがある。食事をするのはこの二人だけらしい。
「いいよ」
 と答え、父子は向かい合って席に着いた。
「……エレン、時々思うことがあるんだ」
 ふと父は食事の手を止め息子を見つめた。
「思うこと?」
 じっと父の視線を受けるエレン。
「……二人分の食事が一人分になる時が近いんじゃないかと思ってしまうんだよ。リーネルの元に行っていしまうのではないかと心配でならないんだよ。……いくら先見の民で短命だと知っていても」
 少々辛そうに言う父。現実が言葉通りになることは目に見えているのでなおさら苦しい。彼が言う先見の民というものは未来などを見る先見の力を持つ民であるが、短命で呪いに対して極度に弱く。死ぬほどではない弱い呪いでも死に至るほどの弱さである。短命なため10代や20代で死ぬ者が多い。エレンの母はエレンが8歳ぐらいの時に亡くなった。まだ20代であった。
「そうは言うけど、心配ないよ。父さんの呪術もあるんだし、大丈夫だよ」
 本人はいたって明るい。彼が言っているように、彼は純血な先見の民ではない。
 呪術師の父親の血が混じっている。そのため、彼は他の先見の民よりも呪いにある程度強く寿命が長いかもしれないと思われている。そして、呪いを使うことができる。呪いの技は父に教わったとは言っても普通人よりは弱い。もう一つ言うと先見の民一族は一般に滅んだと言われているが、そうではない。ただ、身を守るためひっそりと生活しているだけだ。それでも数は少ないが。
「そうは言っても」
 父はまだ何か言いたそうであった。
「大丈夫だよ。それより、父さんこそ呪術師を引退して随分経つんだし、戻ったら? 僕だってもう子供じゃないわけだし」 
 息子は食事の手を止めずに言った。エレンの父は母が死んでから呪術師としての仕事を辞め、ここで暮らしている。もちろんエレンのためである。 
「そう心配しなくていい。慣れるとこっちの生活の方が平和でいい」
 と答えた。確かにその通りである。
「だったらいいけど」
 納得はしないが、これ以上言っても無駄なようなので食事を続けた。
 食事を終えたエレン。
「少し一休みするよ」
 食事を終えたエレンは席を立ち、二階の自分の部屋に行った。
「あぁ」
 行ってしまったエレンを見送った後、父は一人、食事の続きをした。
「……先見の民は自分の死を見ることができたって言うけど。母さんは二日前に知ったんだっけ。僕は……」
 自分の部屋に戻るなり、エレンはベッドに倒れ込み、天井を見つめた。
「まだ、視えない。大丈夫。だけど……」
 急に切ない顔になり、水分の多い目で天井を見つめ始めた。
「……このままここで終わるのかな」
 ちらりと本棚を見る。そこにはたくさんの本があった。外の世界に行けないエレンの慰みとしてあるものだ。とは言っても生まれてからずっと閉じこもっていたわけではない。 母が生きていた頃は、普通に外で生活していたが、母が死んでから父は息子も失いたくないという思いになり、息子を家とその周辺しか活動できないようにした。息子にもしものことがあった時のために父は仕事を辞めて畑仕事をし、自給自足の生活になった。こういう生活に対してエレンはつまらないと思った時期もあったが、今は仕方のないことだと思っている。
「……」
 じっと天井を見つめる。
 そして、いつもは抑えている力を解放する。未来が広がっていく。
 リュックを背負う自分の背中。空と大地。風が頬に触れる感触。
 それが、もうすぐ味合うことができることを知った。仕方がないと思っていても外への憧れはどんどん強くなってくる。
「……話さないと」
 エレンはぱっと起き上がった。機会が訪れた。逃すわけにはいかない。
 彼は一階へ下りて行った。
 
「これとこれは明日、試してみるか」
 父が食用の植物の入った種を仕分けしていた。テーブルにある木箱にいくつもの種の入った袋があった。
 今では、畑仕事に精を出している父。
 そこにエレンが現れ、
「父さん、話があるんだけど」
 と声をかけた。
「かまわないよ。何だい?」
 父は作業の手を休めた。エレンは向かい側に座った。
「……視たんだ未来を」
「……未来とは?」
 嫌な予感を感じつつ訊ねる。
「……旅だよ。僕が旅に出るんだよ」
 はっきりと答えるエレン。
「……やっぱり、旅か。お前は優しいから何も言わないが、時々、退屈そうにしていたのは知っていた」
 父の予感は的中した。父は息子をよく観察していた。時々、退屈そうにため息を吐き出す息子の姿を。エレンにとってここはもう鳥かごでしかない。
「……父さん、充実って何だと思う? 生きている価値って何だと思う?」
 真剣な面持ちで父に訊ねる。
「心が満たされ、ここにいてよかったと思えることが充実だろう。自分が自分を感じることができることが生きている価値」
 父も真面目に答えた。
「その通りだよ、父さん。でも僕の心は満足してないんだよ。たくさんのことを知っていろんなことを感じたいんだ。充実したいんだ。それって、生きているということじゃないかなって思うんだよ。何かを見て知る、その喜びを感じたいんだ。それこそ生きている価値があるんじゃないの? じゃないと死んでいるのと同じだよ。閉じこもるっていうのは。感じるものが無いんだから。死んでも何も残らないってつまらない」
 切実な思いを父に語るエレン。いつも思っていて言えなかったこと。
「確かにそうだが」
 エレンの話は正論であるため反論できないが、もう大切な者を失いたくはない。
「それに父さんも自分の好きなことをしたらいいよ。再び呪術師になったらいい。僕に縛られることはないんだよ。心配してくれてるのはよく分かってるけど、もう大丈夫だから」
 旅に行くこと前提に話す。もう自分も父も先を行かなければならない。今は呪術も多少使えるので昔と違って心配は少なくて大丈夫なのだ。自分のために呪術師のを引退したのは知っている。父には父の道を歩んで欲しいと思う。
「……未来にそう出たのならそうするべきなんだろう。父さんに止められないさ」
 結局、これ以上話しても仕方ないと悟った父はエレンに勝ちを譲った。
「ありがとう。さっそく、明日行くよ!」
 ウキウキした声で言い、二階へ駆けて行った。
 この日は一日中、ウキウキと旅の準備をするエレン。遠足前日の子供のようだ。一方、父は心配でたまらない一日を過ごした。
 
 翌朝、空は今まで以上に青く、白い雲が遙か先を目指して流れていた。旅に適した日になった。
「何かあったら戻ってくるんだぞ。……死なないでくれよ」
 頼み込むように手を離れて行く息子に言う。
「大丈夫だよ。……じゃ、行って来るね」
 今まで見せたことのないような最上級の笑顔を見せた。とても解放感に溢れていた。
「……気を付けてな」
 父はまだ心配を残したまま息子を見送った。
 この後、父は息子の言葉に従い、呪術師に復帰した。しかし、この家に住むことをやめなかった。どんなに仕事場が遠かったとしても。
 エレンは家を離れ、道を歩く。
 森の中の道を少し歩いた後、立ち止まり、
「旅には必ず何か目的があると言うけど……」
 と呟き、生い茂る葉の間に広がる蒼天を見つめてから視線を前方に戻し、言葉の続きを言う。
「僕の場合は旅そのものが目的だ」
 望んだ未来が今確かに自分の側にある。それが今は無性に嬉しかった。 
 そして、彼は再び歩き出した。
 今、生きているということを感じるための旅が始まった。
 
 この後、若き先見の民は様々な物を見、様々な場所に行き、様々な人との出会いを体験することとなる。何もかも始まったばかりである。